三重から届いた!語り部バス・感謝の手紙◎

皆様こんにちは、マッキーです。

本日は、とあるお客様からのお便りをお伝え致します。

三重県在住の出口様からお便りを頂き、
(三重といえば…伊勢神宮、松坂牛等が有名ですね)
去年の夏に、家族で当館に訪れたとの事です。
車で約11時間掛かるとの事で、遠くからお越し頂き、
誠にありがとうございます。

今回のお手紙をよく読むと、
出口様の娘さんが
当館の伊藤部長の語り部バスに乗った時の様子や、

語り部バスのコース写真をまとめた物レポートを
夏休みの自由研究としてまとめた所、
学年の代表として選ばれ、市の展示会にも掲示されたとの事です。

レポートの内容は…
(若干文字が見ずらいかもしれませんが、ご了承ください)

「語り部バスを体験したきっかけ」

「語り部バスを見聞きした内容」

「感じた事や教わった事」

当館の語り部バスや「3.11からの記憶」という資料を使い、
丁寧かつ分かりやすくまとめてくれました。

今回は、お手紙やレポートを送って頂きました。
手紙の最後には、「また来たいです」との声も(^o^)
是非、またお越しください!
スタッフ一同心よりお待ちしております。

★本日のおすすめプラン★

【泊まって南三陸を応援プランE 】
★震災を風化させないための「語り部バス」付★
鮑の踊り焼付海鮮御膳

 

震災から7年。
あの日起きた真実と、復興に向けての想い。
目で見て、耳で聴いて、
今後の防災・減災について学習しませんか?

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3.11 南三陸より。

皆さん、こんにちは。カナです。

本日、3月11日で「東日本大震災」から、7年が経過致します。

私は本日、「海のみえる命の森」の追悼セレモニーに参加致しました。

本日はその様子をお伝えいたします。

去年の様子はこちらのブログをご覧くださいませ。
【あれから、6年】

本日の追悼セレモニーが始まり、
山を切り拓き、整えているボランティアの皆さんと共に行いました。

最初は、ボランティアの皆さんと一緒に、
森を切り拓き、整備を行っている、
三陸復興コンシェルジェセンター、阿部センター長より、
参列している方々のご紹介がありました。

そして、追悼セレモニーでは、
当館の阿部女将から、

「7年目に至るまで、多くの応援、支援を頂いた事、
今もなお、たくさんの応援の言葉に支えられていることは、
感謝してもしきれません。」
「この場所は、桜の木を植える活動を行っていますが、
いずれこの森がお客様が来ることが出来る場所になるまで、
協力して参りましょう。」
などのお話がありました。

続いては、「桜」の木を植樹して頂いた、
株式会社富士通エフサスの青木常務様より、

「皆様が植えた「桜の木」が早く、大きくなって、
お越し頂いた方々に癒しを与えると共に、
ここから見える景色をずっと覚えて頂いて、
震災を思い出す、風化させない取組に繋がれば幸いです。」
とのお話がありました。

その後は、石碑の前より海に向かい、
献花を、1人1人、行いました。

その後は地元で「語り部ガイド」を行っている、
後藤様より、震災当時のお話をお伺いしました。

「震災当時は、観洋から島まで歩いていけるのでは。と思うほど、
引き波があった。そのあと、水平線の所に「白い線」がひかれるんです。
それが、「津波」。壁のようにそのまま迫ってきた」
「震災当時は明かりが無くなってしまった事により、
星が悲しいほどに綺麗だった。今まで見た事もないような星空だった」
「あの日は風と雪がものすごく、
たき火をして、皆でおしくらまんじゅうのような、
ぎゅうぎゅうになりながら、暖をとった」
など、震災当時の様子をお話し頂きました。

そして、14時46分。
私達は海を臨む山頂より、海に向かい黙祷を捧げました。

「7年」と言う月日は、早くも遅くもありました。
震災当時は、【「頑張って」? こんなに頑張ってるのに、
さらに頑張れっていうのか。なら、元通りにしてくださいよ】
などと、自分にも周り対する感情にも余裕がなく、
物事を大きく捉えられずにいたのを今でも覚えています。

しかし、道路がぐちゃぐちゃな中、物資を運んできてくれる方。
「【一緒】に頑張りましょう」と手をとってくれる方。
全世界から寄せられた。メッセージ。服に食べ物。
月日が経つにつれ、周りが見えてきて、
マイナスに見るのではなく、プラスに物事を捉える事ができるようになりました。

このような考えを持ったのは私だけなのかなと思ったりもしますが、
7年が経過する今。確実に復興は進んでいます。
思い方も変わってきているのは確かだなぁと感じます。

私の震災当時の様子は、今年の成人式のブログで掲載させて頂きました。
南三陸のことではなく、私の地元の話ですがご覧いただければ幸いです。
【新たな一歩を。】

そして、この森を少し、ご紹介させてください。

今、木を切り拓いて整備を行っているのは、
本日、追悼セレモニーをおこなった「第一広場」。

そして、まだブログなどでも紹介をしていない、「第二広場」。
そこまでの道のりの中では、山のちょうど真ん中に川が流れています。

昨日、雨が降ったため増水しているとお聞きしました。
しかし、川の水はとても澄んでいて、綺麗です。
ここも整備を施し、小さなお子様が遊べる場所にする考えとの事です。

いよいよ、開拓を始めたばかりの「第二広場」へ。
この道を行きました!!


こちらの「第二広場」にも桜を植樹し、
もともとある「山桜」は切らずに残しています。
桜が満開に咲いたら、斜面になっているためとても綺麗だろうと感じました。

そして、秋がくれば「紅葉」を楽しむ事の出来る場所へと変化します。
もっと、もっと、色んな人が気軽に来ることが出来るように、
これからも整備を続けて参ります。
一日も早く、皆様にこの素晴らしい場所を胸をはって、ご紹介できるように。

ここからは余談ですが、帰り道。
「まだ未開拓ですが、
とても綺麗な場所があるのでそちらを通って行きましょう!」との事で、
確かに道はあるのですが、一歩足を踏み外せば川に落ちる。
そんな、けもの道を帰りました。

◇人があまり立ち入っていない自然な川の風景です◇

私自身、小さい時の遊び場は山や川。海だったのでとても楽しかったです。
しかし、カメラなどの機材を持っているため思うように動けず、
足は泥に埋まる、葉っぱで滑る。など、
本当にアクティビティのような体験をさせて頂き、
これは小さなお子様もお父さんやお母さんと一緒なら、
とても楽しい場所になるんじゃないかなぁと思いました。

「今日」と言う日を忘れず、
「明日」も大切に。一日一日を大事に。
三陸と共に歩んで参ります。

「復興」へ向けて。
これからも、様子を見守って頂ければとても嬉しいです。

3.11 南三陸より。 への1件のコメント

宮城三陸3.11追悼記念会

こんにちは、むっちゃんです。

東日本大震災から、明日で7年を迎えます。

そして本日は、
当館5階クイーンエリザベスにおいて、
宮城三陸3.11追悼記念会が行われました。

アーティストの方々による演奏が行われ、
会場には多くのお客様が集まりました。

震災が発生した14:46に合わせ、全員がラウンジへ移動し、
海に向かって黙とうを捧げました。

窓辺には、
亡くなった方々を偲んで花束を。

明日3月11日、南三陸町内でも追悼式が行われますが、
館内でも、14時46分に合わせ黙とうします。

青々と輝く、穏やかな志津川湾の海へ、祈りを捧げます。

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「STORY 4月号」に掲載されました。

皆さん、こんにちは!カナです(・∞・*)
私の地元でも大きな道路を通すための工事が始まりました。
その為、小さい時に遊び場になっていた、
山や川などがコンクリートでどんどん埋められていきます。
復興するのはとても喜ばしい事ですが、
見慣れた景色が違うものになるのは寂しく感じます。

さて、題名にもある通り、
「STORY 4月号」


【被災地の8年目の風景】(本誌:P294~P301)
「福島・富岡町」「宮城・南三陸町」「岩手・大槌町」のページにて、
南三陸・当館をご紹介頂きました。

(以下、STORY様より引用)
「現地の案内人にお願いし、被災地が語りかける教訓、
問うこの国のあり方を求めて彼の地に赴きました。」

南三陸の事をご紹介頂いたのは、298ページ。
【人口流出が最大の課題。
交流人口の増加を通じて、
町の活性化と教訓の伝承を進めてたい】との題名で、
掲載させて頂いております。

今回、当館の阿部女将と対談と行ったのは、
STORY読者モデルの武藤京子様。
東日本大震災後初の被災地訪問は、
南三陸町に建つ、当館-南三陸ホテル観洋となりました。

東日本大震災発生後、
南三陸は電気が1ヶ月止まり、水道が4ヶ月間止まりました。
被災したどの場所でも、震災当時は水も電気も無い状態です。

あの日、高台にあった当館では避難場所としての役目を務めました。
当時、ホテル周辺の道路は瓦礫により通行が困難になりました。
当時、チェックインをされていたお客様も、
帰路に着くことが出来るようになったのは、
震災から数日が経過してからとなります。

また、震災から8年が経過する今でも、
仮設住宅の解消は行えていない事も、対談の中で語られました。

今、南三陸は町全体を10m高上げする工事の真っ最中で、

復興車両(ダンプ)が行き交い、土埃が舞う道路が危険なこと、
商店街も仮設から新店舗での経営になったこと、
2017年に町民待望のスーパーができたこと、
しかし、小さな子供たちが遊ぶ公園はいまだにできていない事など、

そして、「人口流失」が最大の課題と言う事が、
阿部女将から、お話がありました。

また、震災後より行っている活動。
「震災を風化させないための語り部バス」。

当時、現場に居たスタッフが「語り部」となり、
町内の様子を皆様へご案内させて頂いております。

南三陸町はチリ地震の津波から一度、復興した町。
東日本大震災が起きてから今年で8年を迎えます。

復興工事が進み、だんだんと薄れゆく昔の景色。
住宅が並んでいたとは思えない更地。
そして、津波が来た時刻、14時48分で止まっている時計。

様々な場所で色々な思いが交錯するなか、
「風化させたくない以上に、
初めからなかったことにしたくないという想いが強い。
脈々と続いてきた町の人々の営み、平凡な暮らしがあったことを
なかったことにされるのはあたりまえに辛い」
(上記、STORY様掲載ページより引用)
と、当館の語り部スタッフである伊藤は伝えます。

また、昔から受け継がれてきた、
「津波てんでんこ」と言う言葉も掲載されました。

【津波が来たら
てんでんばらばらになってもいいから、
高台に逃げなさい】

と言う、昔からの教えです。
自分の命は自分で守る。
自分の命が無ければ愛する人を守ることが出来ない。
このような思いが詰められています。

実際の場所で、見て、聞いて、感じた事を、
皆様が、【第二の語り部】として、
まだ現地に来た事の無い方へ伝える。

この活動があれば、震災前の町の様子も、
今の現状も、風化することはないのだと感じています。

今回のブログでご紹介させて頂いたのは一部になります。
ぜひ、本誌にて南三陸町と、
福島の富岡町、岩手県の大槌町の8年目の「今」もご覧くださいませ。

コメントを残す on 「STORY 4月号」に掲載されました。

「語り部」を世界へ!全国被災地語り部シンポジウムが開催されました!

2018年2月25日、26日には、当館にて
【第3回全国被災地語り部シンポジウムin東北2018】が行われました。

サブタイトルは、
「KATARIBE」を世界へ ~語り部と震災遺構が紡ぐ“被災地”と“未災地”~

様々な課題が残るそれぞれの被災地で、これからの未来について
語り部の声で、「被災地」と、まだ被災されていない「未災地」を
つなぐ機会ということで、日本だけでなく世界へ発信するため、
このシンポジウムは行われました。

なんと参加者は国内外から400名、10時発・11時発の2便ご用意した語り部バスは200名もの方にご乗車頂きました。

【第一部】震災を風化させないための語り部バス
シンポジウム特別コースとしまして、高野会館の内部を含むご案内をさせて頂きました。

 
防災庁舎は、今は近くで見ることは叶いません。
皆さんは少し離れた場所にある献花台の前で、手を合わせました。

 

 
そして高野会館です。
屋上まで津波が迫りながらも、地元の方300名以上の命が助かったこの場所は、
後世に残すべき遺構です。

【第2部】オープニングプレゼンツ


ラウンジでは、群馬県嬬恋村鎌原観音堂和讃会の皆さまによります
「浅間山大和讃」のご披露がございました。

 
そして所変わりまして羽衣のメイン会場にて開会式。
実行委員長であり、南三陸町地域観光復興協議会長である当館の阿部副社長が挨拶を致します。
非常に多くの方がお集まり頂いていることが分かります。

 
そしてパネルディスカッションへと移ります。
コーディネーターは東北学院大学の柳井政也様です。

 

 

 

パネラーは、震災語り部であり元気仙沼本吉地方広域消防南三陸消防署副所長の佐藤誠悦様、
宮古観光文化交流協会 学ぶ防災ガイドの元田久美子様、
益城だいすきプロジェクト・きままに代表理事の吉村静代様、
日本外国特派員協会理事のメリー・コーベット様、
上智大学比較文化研究所客員研究員のフラビア・フルコ様です。

テーマは「普遍性・持続性のある震災伝承と震災遺構
~「KATARIBE(語り部)」を世界へ・被災地から未災地へ・その先の未来へ~」
それぞれの立場での意見が語られました。

【第3部】分科会

 
分科会①【弁天】語り部として私たちが今、伝えたいこと
コーディネーターとしてリアス・アーク美術館学芸係長の山内宏泰様をお迎えし、
北淡震災記念公園震災の語りべボランティアの神木必勝様、
稲むらの火の館語り部の坂井竹男様、
山元語り部の会副代表・防災士会みやぎ理事の高橋健一様、
「陸前高田被災地語り部」くぎこ屋代表の釘子明様に
それぞれの活動内容と、今、未来へ伝えるべき事を語り合いました。

 

 
分科会②【羽衣】震災遺構と語り部が伝える震災伝承と教訓
アドバイザーに南三陸命と防災高野会館プロジェクト共同代表の宮本肇様、
コーディネーターに玉大学情報社会学研究所主任研究員・教授の会津泉様、
パネラーとして元気仙沼市教育長の白幡勝美様、
南三陸復興みなさん会代表/南三陸町文化財保護委員長の後藤一磨様とともに、
震災遺構のありかた、そして昔からの伝承、教訓について語らいました。

 

分科会③【大潮】未来への伝承~10年・100年・1000年先へ繋ぐために必要なこと~
パネラーは志津川高校、志津川小学校はじめ県内各地の小中高生。
志津川高校の校長先生である山内松吾様をコーディネーターとして、
皆様の意見をしっかりと発表していらっしゃいました。

【第4部】交流会


懇親会は志津川名物のたこしゃぶ、生ワカメのしゃぶしゃぶをはじめ、
中国人の料理人の任さんお手製中華料理や、新鮮なお刺身もたっぷり振る舞われました。

【第5部】ドキュメンタリー上映会&復興トーク

 
「“伝える”~東日本大震災から7年、阪神・淡路大震災から23年」
当館の女将さんを含む6名での復興トークのあと、
岩手県大槌町のドキュメンタリー「ちかくて とおい」と、
希望の樹―大槌アート 日台共同プロジェクト」をご覧頂きました。

そして翌日26日。
【第6部】震災語り部の講話
 
ラウンジでは、浪曲師 菊地まどか様によります「稲むらの火」の浪曲をご披露頂きました。
迫力ある声に、通りがかりの方も思わず足を止めるほどで、涙ぐむ方も見受けられました。

 
所変わりましてクラブ会場では、釘子明様による語り部講話がございました。
それぞれ熱心に聞き入っておられました。

【第7部】クロージング
 

 
クロージングではまた会場が変わるのですが、多くの方にお越し頂きました。
総括を大阪府立大学客員研究員の山地久美子様に、
語り部宣言を北淡震災記念公園総支配人の米山正幸様にお願いしました。
シンポジウムの振り返りだけでなく、質問や意見も出まして、
こちらも大変有意義な時間となりました。

このあと、オプションツアーとしまして、
気仙沼の「命のらせん階段」を見学するコースと、
石巻「大川小学校」を案内する2コースをご用意しておりました。

 
「命のらせん階段」とは阿部長商店創設者である阿部会長のご自宅です。

阿部会長は自らマイクを握り、この家を建てた時の思いを語りました。
 
震災当日、この屋上で20名の命が救われました。

そして「大川小学校」を含む石巻のコースです。
 
多くの方が犠牲となってしまった大川小学校は胸が痛みます。

2日間、大変多くの方々にご参加頂きました。
いかなる立場の方にとっても、今や未来について考えるきっかけとなったかと存じます。

このシンポジウムは地元のニュースのほか、多くの新聞記事にもご掲載頂きました。
「メディアサンクス」ページを随時更新致しますので、ぜひご覧くださいませ。
http://www.mkanyo.jp/kouhou-hiroba/media-thanks/


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