震災から9年~気仙沼編~

皆様こんにちは、マッキーです。

今回は、震災から9年~気仙沼編~をお伝えいたします。

南三陸同様、東日本大震災で甚大な被害を受けた港町・気仙沼市。
この街も震災から9年が経ち、
新たな街づくりが着々と進められています。

昨年3月10日には「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」はオープンいたしました。

中に入ると…
まずは震災当時の様子の映像や写真を観た後に、
旧気仙沼向洋高校の校舎の内部を歩き、
甚大な被害をもたらした津波の脅威を学ことができます。

昨年4月7日には、
気仙沼」と離島「大島」を繋ぐ大島大橋(鶴亀大橋)が開通。

島民の生活や観光に大きな役割を果たしています。

そして、今も変わらず気仙沼の街を見守り続けているのが
震災伝承施設にも登録された「命のらせん階段(旧阿部家住宅)

チリ地震の津波で多くの人が犠牲になった事を教訓に、
同じ悲しみを繰り返さないようにとの想いで、
震災の4年前にらせん式の外階段を取り付けました。
そして、地域住民の方々とも避難訓練を行っていた結果もあり、
震災当日は約20名が大津波から命を守ることが出来たこの階段は、
命のらせん階段」と名づけられました。

そして観光面では…
豊富な海の幸を和・洋・お寿司で味わえ、
新鮮な魚介類や海産加工品がお買い求めいただける、
海の魅力が集まった。

気仙沼海の市

気仙沼おいちば

マイナス20℃の世界で氷の中で止まったお魚を見ることができる。
氷の水族館

サメの生態について詳しく知ることができる。
シャークミュージアム

(氷の水族館とシャークミュージアムは「海の市」の中にございます)

そして、港町気仙沼を一望できる高台に建つ姉妹館。
地下1,800メートルから湧き出る深層天然温泉、
高張性の純食塩泉で浮遊浴でゆったり寛ぎのひと時を…
気仙沼プラザホテル

サンマリン気仙沼ホテル観洋

また弊社㈱阿部長商店の「気仙沼工場」は、
先日の3月11日、
NHKスペシャル 復興ハイウェー 変貌する被災地」にて紹介されました。

以前より岩手県の釜石と気仙沼間では
山間の一般道(約90分)を介して鮮魚を運んでいましたが、
ハイウェー(三陸道)ができたことにより時間は
約65分へと短縮。
より新鮮な魚を運べるようになりました。

今回、紹介されたのは弊社の気仙沼工場。
ハイウェーを介して運ばれた新鮮な魚を、
様々な形で皆様のもとへお届けできます。

交通面では先月24日(月)に、
気仙沼中央IC気仙沼港ICが開通となりました。
ちなみに気仙沼港インターチェンジは…
仙台方面への従来のみが可能な「ハーフインター」なので
乗り口と降り口を間違えて逆走しないよう要注意。

また、三陸沿岸道は2020年度末までの全線開通が予定されており
現在工事中なのは
小泉海岸IC~本吉津谷IC間(延長2km)と
気仙沼港IC~唐桑南IC間(延長7.3km)を残すのみでございます。
いずれも2020年度末開通予定との事です。

南三陸と気仙沼、
春の三陸海岸をドライブに出掛けませんか?

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「9年目の未来予想図」と「東日本大震災追悼セレモニー」

皆さん、こんにちは。カナです。

2020年3月11日。震災から9年目の日。

今年も「海の見える命の森」で桜の植樹が行われました。
数年、数十年先の未来予想図へ向けてボランティア様をはじめ、

地元の方にも数名お越し頂き、我々ホテルスタッフも現地へ。

前日10日に吹き荒んでいた雨はすっきりとやみ、晴れていて水平線まで
海景色を見ることができました。
当日の最初は三陸復興観光コンシェルジェセンター長の阿部様より、
集まって頂いた方々の紹介。
進行役として最初の顔合わせを進めて頂きました。

次に当館でも語り部ガイドを行っている後藤一磨様からは
一昨年植えたものは花芽が付き始めて成長を感じていること、
毎年少しずつ森が変わっていて様々な建設やキャンプ等の催し物などの
考えも膨らんできています。と笑顔を頂きました。

そのあとに南三陸で植樹活動を続けて頂いている
「NPO法人 桜並木ネットワーク」の桜野良充様より苗木の扱い方や、
植樹のやり方をレクチャー頂きました。

この後、グループに分かれてそれぞれ7~9本の桜の苗木を植樹。
植樹する場所にはあらかじめ印をつけて頂いているため、
穴を掘るところから開始となります。

しかし、もともと土だけの場所に植えているわけではなく、
自然の山を開拓し、木を切って作業をしているため
切り株が密集しているところは根っこが絡み合い、掘る作業も難航。
石もゴロゴロ出てきましたが、根っこは鎌で切り離しつつ作業を続けました。

掘った土と肥料を混ぜ合わせ、70㎝ほどの穴に少し入れた後、
苗木を印が出るくらいの位置で止め、残りの土を入れていきます。
その時、まだ苗木は細いため風にあおられれば折れてしまいますので、
支柱をたてて、この支柱に苗木を添えて布と紐で離れないようにくくります。

ボランティアの皆様もそれぞれの場所で。


海の見える命の森の未来予想図を完成させるために
山の斜面へ、バラバラの種類を植えていきます。

全部の植樹を終えた後は海を見ながら昼食。
南三陸大仏がある場所で皆で頂きました。

そして….実は清水寺の設計をまねて、デッキも作成中なんです。
【土足厳禁】です。お気を付けくださいませ。

将来的には、ここに小屋が出来ます。

今後は雨が降っても見学できるように小屋を建てたり、

小さな沢が流れる近くに井戸を掘ったり、

その周りを平地にしてキャンプ場にしたり…
海の見える命の森の未来予想図はまだまだ完成していません。

今年2020年、そして来年2021年の植樹予定はこんな感じ….

数十年先の未来には春になれば桜が満開になり、
山が桜色で鮮やかになる日がやってきます。

そして、この日は南三陸大仏が山頂に鎮座して初めての3.11。

追悼セレモニーの時間が近づくと近隣の住民の方も集まり、開会となりました。

最初は弊社副社長より、

・震災前は普通の山だったこの場所が震災後に皆様のお手をお借りし、
このような志津川湾を一望できる場所になった。
・今後10年・100年・1000年先もこの場所が
手を合わせる場所、そして震災の教訓を伝える場所、人々の心を癒す場所として
維持・管理していきます。 と挨拶を頂き、

次に当館で語り部ガイドを行って頂いている後藤様より、

・震災があった際、大学生がこの山を見て「もったいない」と
言ったことが「海の見える命の森」のスタート。
・「海の見える命の森」の名前の由来は景色。
志津川湾の一番奥まった扇の要にこの場所が位置することから名前がついた。
・9年目にして復興と思われるものはかなり進んでいるようにも思えるが
実際は復興そのものが自然を破壊している状況。
この地域がいつまでも人が穏やかに暮らせる場所であるように
海の幸とこの場所で共に生きていくことが重要。
・自然と人間の生活はどのようにつながりどんな関係にあるのか
そうゆうことも考え、今コロナウイルスが猛威を振るい、
共存しようとしているものを壊そうとしている現状が見えるとき、
9年目を迎えあの震災から気づいた気づきをもう一度思い返しながら新しい未来、
若い人たちが喜んで生まれ暮らせる地球をつくるために
ここで新たな決意をしてこの大仏様と礎にそう誓いたい。との挨拶がありました。

そして植樹でも様々な事をお教えいただいた
桜野様からも挨拶を頂戴いたしました。

・私が属する「NPO法人 桜並木ネットワーク」は
もともと2011年から植物を扱う者たちで結成した団体。
被災地で一時的なものではなく長く植物で出来ることは何かと考えた時、
現地から「桜の木を植えてほしい」と依頼がありこの日に至ります。
・このプロジェクトは3つの事が重なっていて、
「観光誘致、慰霊、学びの場所」
3.11の日がこの先やがて10年、この町の新しい光景をつくったり
もしくは語り継いでいく場所をつくる、
もしくは地域の財産になりうる光景をつくる。
このような場所をつくれる一員に加えて頂いたことに感謝でいっぱいです。

ボランティアで来ていた大学の方からも、

・先輩の代から続いているボランティア活動。
9年の間は「なんでボランティアに行かなきゃいけないの」という人もいましたが、
そこは半強制的にリーダーに連れてこられていました。
しかし、ボランティア活動をしたことがない人でもこの場所にきて活動をすると
「絶対また来たい」と言って帰っていくのが現状です。
・自分たちが初めて来たときは木ばかりだった場所がこんな風に変わったのが
信じられない。この活動はどこの大学を探しても見当たらないと思う。
・これからもこの場所であったことを語り継いでいきたいです
と挨拶を頂きました。

最後に一般社団法人 TSUNAGARI 勝又様から

・震災は普通の生活をしていたなかで、大地震、津波、放射能の問題、
色んなもので人生の考え方から全てがかわってきた。
この場所にくるたびに、思い返すたびに苦しくなることもある。
・しかしこの活動を通してたくさんの人たちに出会えてすごく心が充実して
前を向けているような気がする。
心の奥のほうではすごく不安といろんなものと葛藤しながら頑張っていますが
たくさんの感謝があってのボランティア活動活動ができていると思っていますので
これからも頑張っていきたい。と挨拶を頂きました。

この日は栗原市より2名の住職様にお越し頂き、
お経をあげていただきました。

そして、南三陸大仏へ献花を捧げました。


そして、14時46分。
あの日、大地震が沿岸部を襲った時刻。
志津川湾に向かい、黙祷。

この後、弊社女将より閉会の挨拶。

「今、14時46分。全国の皆さんが亡くなられた御霊に祈りを捧げました。
この海の見える命の森は皆様にご協力頂きながら
見晴らしのよい場所になりました。
桜の苗木の200~300本と数えるほどになってまいりました。
あの震災直後は片付ける事が多く、
片付けてさら地になったり、「初めから野原だったんですか」と
甚大な被害を受けた中心部を見た方々は仰いました。
この場所は10年が経てば、桜が美しく咲き誇るだろうと言われております。
どうかこれからも皆様の手をかりながらこの森がさらに美しい森になったり、
それから皆様が足を運びたくなる場所へ。
そして万が一、震災が起きた時。
この場所が命が助かる場所になりますように。

本日は足を運んでいただいた皆様、
そして想いを寄せていただいた皆様に感謝を申し上げながら
閉会の言葉とさせていただきます」

閉会の挨拶が終わった直後。
志津川湾のほうを振り返れば、大きな虹が架かっていました。

この虹は同じ時間に各沿岸地域で確認されています。
皆が見たのを分かったかのように数分で南三陸の虹は消えてしまいました。

今年で未曾有の大震災と呼ばれたあの日から9年。
来年は10年をむかえます。
今年なにができるのか、なにをしなければいけないのか。
個人で、皆で、考え共に歩んでまいります。

どうか変わらぬ笑顔・想いを東北へお寄せいただければ幸いです。
他人事ではなく自分事として防災・減災の学びを忘れず、
後世へ伝え続けていきます。

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震災から9年目の3.11

マッキーです。

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東日本大震災発災から本日で9年。
当時より応援・ご支援・ご協力いただいてきました皆さまへ、
改めて心より感謝と御礼を申し上げます。

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当館スタッフも本日は5階のロビー・ラウンジに集まり、
震災で亡くなられた方々に追悼の意を表し、
東日本大震災が発生した3月11日の14時46分に、黙祷いたしました。

そして海の見える命の森は、
ミャンマーから南三陸大仏様が鎮座して初めての3.11。

コロナウイルスの影響で参加できない人も多くなりましたが、
全国から駆け付けた方々や近隣住民が集まり、

追悼セレモニーを執り行いました。

こちらでも、14:46にはお集まりいただいた皆様が、
様々な想いを胸に黙祷いたしました。

東日本大震災から9年が経った今、
当館が特に力を入れている活動が、
2011年4月よりスタートしたホテルスタッフを中心に行っている『語り部活動』
震災当時の様子を伝え、南三陸の今、そして復興の状況を語ります。

これからも甚大な被害をもたらした、
東日本大震災の教訓など後世に語り継ぐために、
震災を風化させないための語り部バス」を運行する事や、

震災伝承施設「高野会館」を維持していくことなど、
当館は今後も語り続けて参ります。

時には穏やかで、時には激しい波の音を響かせる志津川の海。
私たちはこの海と共にこれからも歩みを進めてまいります。

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全国被災地語り部シンポジウム㏌東北~ロビーコンサート・オプショナルツアー~

皆さん、こんにちは!カナです(・∞・*)

さて、2月24日・25日に開催された
「第5回全国被災地語り部シンポジウム㏌東北」
引き続き、参加した部分のご報告を致します。

24日の最後に行われたのは、
ラウンジ特設会場での「オトガヨロコブコンサート」楽器はマリンバです。

ご宿泊中のお客様やシンポジウム参加のお客様が集まり、音色にうっとり。

最後には中島みゆき様の「糸」を合唱。素敵な歌声と音色が響いていました。

翌日。2月25日。
「海の見える命の森コース」や、
「大川小学校」の語り部コースのオプショナルツアーへ。

私は大川小学校の語り部コースへ参加致しました。
道中も大川伝承の会の佐藤敏郎様にお話頂き、

大川小学校に到着後は、
佐藤和隆様(写真左)と佐藤敏郎様(写真右)の2つに分かれお話を伺いました。

大川小学校(宮城県石巻市立大川小学校)は

1873年(明治6)年 桃生郡釜谷小学校として開校。
1985年(昭和60年) 大川第一小学校と第二小学校が統合され、
大川小学校となり、現在残されている校舎が完成

2011年(平成23年)3月11日 東日本大震災の津波で被災
2018年(平成30年)3月31日 閉校

学校の教室は「扇形」教室の半分を壁で仕切る事ができ、
そのため教室を半分にして使用することができました。
校内にはアッセンブルホール(多目的室)や吹き抜けなどもあり、
私たちがよく目にする四角校舎ではなく、丸いデザインの校舎です。
大川小学校を卒業した生徒の皆さんは「なんで他の校舎は丸くないの?」と
驚く子達が多いんですと、佐藤様に教えて頂きました。

体育館に繋がる渡り廊下の窓は「ガラス製」
運動会の時は校庭から良く見えるここに「得点板」を設置しました。

色紙でつくった花飾りを飾れば花道にもなりました。

外では校庭とは別に「相撲場」や「野外ステージ」。
その野外ステージの壁には北上や石巻の景色が描かれ、
大川小学校校歌の題名である「未来を拓く」の文字があります。
中庭は一輪車で遊ぶ子供たちの声でいつも賑わっていました。

遊び、学び、思い出が溢れる場所。ここであの日 何があったのか。

私は佐藤敏郎様のお話を伺いました。

2011年3月11日 14時46分から15時37分
【14時46分】 地震発生。強い揺れが約3分間続きました。
(東北地方は3日前の9日にも地震が発生し、津波注意報が出ています。)
【14時49分】 校舎から出る際先生が「津波が来る。山へ逃げるぞ」を声をかけ
山に向かった児童もいましたが、まずは校庭に整列することになりました。
【14時52分】 大津波警報 発令。かつてない緊迫した警報。スクールバスには会社から「こどもを乗せて避難」という無線が入り
すぐに出られるように待機していました。
【15時00分頃】 地域の人や迎えにきた保護者、児童が山への避難を進言しています。
【15時25分】 町の広報車が高台避難を呼びかけ通過しています。
【15時32分】 大川小学校と北上川の真ん中にある富士川が越流。
【15時36分】 移動開始。北上川大橋の三角地帯へ。
【15時37分】 北上川が越流。学校に津波到達。
その後、陸を遡上した津波も到達。校庭で渦をまきました。

津波は家屋、車、土砂、そして海岸にあった数万本の松等を巻き込み流れ
北上大橋にへばりつき流れをせきとめ、一気に溢れました。
下記の写真にうつっているのが被災前(上)・被災後(下)の町と橋の様子です。

橋の4分の1ほどが流失、堤防も決壊しました。
校舎内の時計は全て到達時刻の「15時37分」で時を止めています。

そして次に校庭脇の山へ向かいました。
ここでは毎年3月にシイタケ栽培の野外活動を行っていた場所です。
シイタケ栽培を行っていた場所より少し登ると、
コンクリートのテラスのような場所に出ます。
(どなたでも向かうことは可能ですが斜面となっていますので、
お足元にはお気を付けくださいませ。)

※ここは震災後ではなく震災前から崩れないように土留めを行っていました。
低学年の生徒さんも授業で使用されていた場所との事。

ここからは大川小学校そして北上川、遠くの山まで見渡せます。

大川小学校の周りには住宅がたくさんありました。
あの日、避難可能な情報は十分にありました。
保護者、地元の方、防災無線、指揮台に置かれたラジオがありました。
市の広報車は15時25分に避難を呼びかけ釜石を通過しています。

私も実際に山へ登り校庭に戻ってきて感じたことがたくさんありました。
ですが、私が見て思うことと皆さんが見て思うことは別々です。

大川伝承の会様が作成したものには、
「本当に恐ろしいのは津波ではなく、
大事なものが見えなくなってしまうことです。
それは、あの日の校庭、事前の備え、
そして私たち一人一人の中にもきっとあります。
あの日の校庭を考えることは、
子どもたち、先生、そして
未来の命に向き合うことです」と記されています。

紙のパンフレットにはたくさん情報が記載されています。
しかし、紙だけを見ているのと実際に学校へ行くのとは
まったく違います。

「他人事」自分の場所は安全だから大丈夫だろう。ではなく、
「自分事」万が一 今、災害が起きたらどうすればいいか。考えてみてください。

その考えが自分のためであり、
もし周りに迷っている人がいればその人の助けにもなります。
そして時間があればぜひ、皆様の足で写真の場所へ向かってみてください。

大川伝承の会 様
あの日の事、今の事、これから。が綴られています。
下記よりご覧くださいませ。
小さな命を考える会 様

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第5回全国被災地語り部シンポジウム<オプションツアー>海の見える命の森

こんにちは、むっちゃんです。

本日は、先月24日と25日の2日間に渡り開催された
第5回全国被災地語り部シンポジウムin東北
オプションツアー 海の見える命の森
の様子をお伝えします。

海の見える命の森までは徒歩移動となります。
ご案内は、三陸復興観光コンシェルジュセンターの阿部寛行様。

約15分、歩いて麓まで到着しました。

ここから再び歩いて山頂を目指します。

その途中に置かれている材木には
今まで来られたボランティアの方々の名前が書かれています。
たくさんの方々のご支援により、今もなお整備が進められています。

山頂に着いて振り返ると、目の前には海が!

あいにく少し曇っていましたが
晴れの日は青々とした雄大な志津川湾を見渡すことができますよ。

山頂で海の見える命の森のご案内をしていただいたのは
南三陸復興みなさん会代表の後藤一磨様。

海の見える命の森は、志津川湾の海の要の位置にあります。
南三陸に降った雨は他の地域に流れ出ることはありません。
志津川湾のみに注がれ
海の水が綺麗であるか汚くなるかは我々の生活にかかっています。

東日本大震災当時、津波が船も家も、この景色さえもさらっていきました。
この地域に住む人の収入源は、ほとんどこの海からでした。

ボランティアの方々の手を借りて養殖を再開した頃
今までに見たことのない素晴らしいワカメが採れ、倍の値段で取引されました。
「ワカメさえ育てていればまたこの地域で暮らせる」「再び家が建てられる」
誰もがそう思いました。

牡蠣も安定した収入源でした。
たくさんの人が養殖をし、育ちは遅いもので約2年。
2年間育てなければ収穫できなかったのです。
しかし、震災の年の8月に新しい稚貝を入れ、半年後に開けてみると
2年経った牡蠣と同等な大きさに育っていました。

研究者に調査を依頼した結果
震災前、海底にあった1mを越すヘドロが
津波により綺麗さっぱり無くなっていたのです。

水質は50年若返ったと言われています。

津波は、単純に「悪い」「悲しい」ことばかりではありません。
人間が汚した自然を50年も若返らせるという驚異的な結果をもたらしました。

命をつなぐ、命の循環をここで一望でき、命を支えてくれる森
そこから「海の見える命の森」と名付けました。

津波のあと、当たり前にあった全てが何もかもなくなりました。
便利な道具も無く、燃料や電気も何もない状況で人が生きる
そういった体験ができる場所になればと考えています。

こちらは、ミャンマー連邦共和国の
Nay Myo Aung氏
Maung Htet Myat Oo氏より御寄贈頂いた南三陸大仏です。
開眼法要の様子はこちら→「南三陸大仏」開眼法要

新しく設置したバイオトイレの他にも

現在、テラスと小屋の建設作業中です。
清水寺の舞台のような
地面を掘らずにテラスを作り、三坪の小屋を作ろうと計画しています。
傍にわざと木を残したのは、日差しや真っ向からくる海風を防ぐためです。

最後、ご参加いただいた皆さまには海へ向かって黙とうを
そして、集合写真を撮影しました。

海の見える命の森は、いつでも、どなたでも出入り自由です。
ご宿泊のお客様も、日帰りのお客様も、付近を散策したい時にオススメです。
季節によって山の表情は変わりますので
一度行ったことがある方も、何度でも足をお運びくださいませ。

植樹された桜が咲いたらお花見を。
小屋とテラスが出来たら夏は涼みにこの場所で。
キャンプも出来る場所になったら一層賑わいを増すでしょう。

海の見える命の森の未来が楽しみです。

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