第5回全国被災地語り部シンポジウム<オプションツアー>海の見える命の森

こんにちは、むっちゃんです。

本日は、先月24日と25日の2日間に渡り開催された
第5回全国被災地語り部シンポジウムin東北
オプションツアー 海の見える命の森
の様子をお伝えします。

海の見える命の森までは徒歩移動となります。
ご案内は、三陸復興観光コンシェルジュセンターの阿部寛行様。

約15分、歩いて麓まで到着しました。

ここから再び歩いて山頂を目指します。

その途中に置かれている材木には
今まで来られたボランティアの方々の名前が書かれています。
たくさんの方々のご支援により、今もなお整備が進められています。

山頂に着いて振り返ると、目の前には海が!

あいにく少し曇っていましたが
晴れの日は青々とした雄大な志津川湾を見渡すことができますよ。

山頂で海の見える命の森のご案内をしていただいたのは
南三陸復興みなさん会代表の後藤一磨様。

海の見える命の森は、志津川湾の海の要の位置にあります。
南三陸に降った雨は他の地域に流れ出ることはありません。
志津川湾のみに注がれ
海の水が綺麗であるか汚くなるかは我々の生活にかかっています。

東日本大震災当時、津波が船も家も、この景色さえもさらっていきました。
この地域に住む人の収入源は、ほとんどこの海からでした。

ボランティアの方々の手を借りて養殖を再開した頃
今までに見たことのない素晴らしいワカメが採れ、倍の値段で取引されました。
「ワカメさえ育てていればまたこの地域で暮らせる」「再び家が建てられる」
誰もがそう思いました。

牡蠣も安定した収入源でした。
たくさんの人が養殖をし、育ちは遅いもので約2年。
2年間育てなければ収穫できなかったのです。
しかし、震災の年の8月に新しい稚貝を入れ、半年後に開けてみると
2年経った牡蠣と同等な大きさに育っていました。

研究者に調査を依頼した結果
震災前、海底にあった1mを越すヘドロが
津波により綺麗さっぱり無くなっていたのです。

水質は50年若返ったと言われています。

津波は、単純に「悪い」「悲しい」ことばかりではありません。
人間が汚した自然を50年も若返らせるという驚異的な結果をもたらしました。

命をつなぐ、命の循環をここで一望でき、命を支えてくれる森
そこから「海の見える命の森」と名付けました。

津波のあと、当たり前にあった全てが何もかもなくなりました。
便利な道具も無く、燃料や電気も何もない状況で人が生きる
そういった体験ができる場所になればと考えています。

こちらは、ミャンマー連邦共和国の
Nay Myo Aung氏
Maung Htet Myat Oo氏より御寄贈頂いた南三陸大仏です。
開眼法要の様子はこちら→「南三陸大仏」開眼法要

新しく設置したバイオトイレの他にも

現在、テラスと小屋の建設作業中です。
清水寺の舞台のような
地面を掘らずにテラスを作り、三坪の小屋を作ろうと計画しています。
傍にわざと木を残したのは、日差しや真っ向からくる海風を防ぐためです。

最後、ご参加いただいた皆さまには海へ向かって黙とうを
そして、集合写真を撮影しました。

海の見える命の森は、いつでも、どなたでも出入り自由です。
ご宿泊のお客様も、日帰りのお客様も、付近を散策したい時にオススメです。
季節によって山の表情は変わりますので
一度行ったことがある方も、何度でも足をお運びくださいませ。

植樹された桜が咲いたらお花見を。
小屋とテラスが出来たら夏は涼みにこの場所で。
キャンプも出来る場所になったら一層賑わいを増すでしょう。

海の見える命の森の未来が楽しみです。

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The 5th Kataribe Symposium in Tohoku, Division Meeting No.1

It has been taken place of the 5th Kataribe Symposium in Tohoku at Minami Sanriku Hotel KANYO on 24th&25th February 2019.

It is almost passed 9 years from the Grate East Japan Earthquake and Tsunami on 11th March 2011.

After the opening ceremony and main discussion hold more than 2 hours, we have opened division meeting titles “Kataribe to the world” inviting who are interested in the international activities to attract foreigners to Sanriku coast area.

Mr. SHIRAI, as coordinator, of Toshiba opened the meeting to focus the potential and possibility to be accepted Kataribe in the world.

58 visitors attended to the meeting, not only Japanese, but also from Taiwan, Philippines, Iran, Italy where experienced big quakes recently.

4 panelists are ready to show their activities and wishes.

First, Ms. Julia from Germany has explained the stories in Germany after the World War 2nd and Belin’s wall opening to unite into one Germany.

2nd, Mr.Yamauchi, formar Shizugawa High School Master, shown his wished to establish international chain of Kataribe network not only inside Japan.

Ms. Kamitani working in Iwate, after experiences in UK and USA, expressed her satisfaction to show the people of affected area by her own way.

To end, Ms.Angela from USA, as ambassador of Minami Sanriku explained her contribution to organize large Christmas party for the kids of the town.

Time was not enough, due that all the panelists have been heated up. However, I believe that we are going to the next stage to act in the more international field to let the “Kataribe” as an international word same as “Tsunami”. 

Mr. Shirai has concluded perfectly, we will meet next year in Kobe to discuss more in detail.

Thanks to all and see you again.

Sergio

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第5回全国被災地語り部シンポジウム<分科会③>未来への伝承~震災遺構と私たちの向き合い方~

こんにちは、むっちゃんです。

24日と25日の2日間に渡り
第5回全国被災地語り部シンポジウムin東北が開催されました。

本日は、その時の
分科会③ 未来への伝承~震災遺構と私たちの向き合い方~
の様子をお伝えします。

コーディネーターは
小さな命の意味を考える会・大川伝承の会 共同代表の佐藤敏郎様

パネラーは
志津川高等学校、多賀城高等学校、向洋高等学校
釜石高等学校、階上中学校の生徒の皆さま

サポートとして
東北学院大学の雁部那由多さん
釜石高等学校の洞口留伊さんにお越しいただきました。

分科会のタイトルになっている通り
今回のテーマは「震災遺構との向き合い方

東日本大震災からまもなく9年が経過しようとしています。
当時を知らない人たちへ伝承し続けていくため
各地には震災遺構が多数あります。

しかしながら、震災遺構という存在に賛成の方ばかりではありません。
震災を風化させないためにどう向き合っていくべきなのか
各々日々の活動報告と共に話し合いました。

①階上中学校

階上中学校は昨年10月より
ボランティア活動として気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館で
館内ガイド(語り部活動)を行っています。
(活動に参加しているのは3年生5名、2年生13名、1年生7名の計25名)

2019年9月23日の第一回練習会で
震災伝承ネットワークの方々から語り部を教わり活動開始。
2019年9月29日の第二回練習会では、前回学んだことを活かし
当日来観していた階上中学校の同窓生の方々のガイドを担当しました。

日本人だけでなく、JICAの方々や、ACCU中国教職員の方々など
海外からのお客様へのガイドも担当しています。

2019年11月24日には
来館された安倍晋三内閣総理大臣のガイドを代表して3年生5名が担当。
他にも防災フォーラムへの参加や、勉強会も行っています。

館内ガイド(語り部活動)を始めたきっかけは
実際に語り部をやっている人を見て「やってみたい」という気持ちになったから。
最初は難しくて大変だったけれど、今では緊張も薄れ
しっかりと伝えられるようになったそうです。

語り部活動を行う中で工夫しているのは
津波の怖さを分かってもらえるように正確に伝えること。
伝承館へ来る人たちは実際に津波を見ていない人が多いので
ただ語るだけではなく、逆に質問をして興味を持ってもらえるよう工夫しています。

階上中学校では、この語り部活動に力を入れています。
伝承館でしか見れない、聞けない話がたくさんあるので
ぜひ自分の目や耳で体験してほしいと考えています。

②多賀城高等学校

多賀城高校の教育目標は
「さとく ゆたかに たくましく」という
知性の伸長、人格の尊重、心身の健康を掲げています。
約800名の生徒が通い、災害科の開設から4年目を迎えました。

東日本大震災当時、市内の防災無線は聞こえず、情報がほとんど無い中
帰宅可能な生徒には帰宅許可が出ましたが、帰宅途中で津波に遭遇し
歩道橋へ避難、そこで一晩過ごした生徒もいたそうです。

そういった経験から、震災後すぐに津波波高標識設置活動を開始。
市内を襲った津波がどのくらいの高さだったのか
塀や壁に残った跡から波の高さを調査。
測量を行い、道路脇の電柱に津波波高を示す標識を設置したことにより
震災の伝承だけでなく、通学路の安全や通行人への注意喚起としての
役割も果たしています。

しかし、標識の設置は簡単ではありません。
その都度、電柱への設置許可願いと設置後の報告が必要であり
中でも一番の課題だったのは住民の方々の理解です。
自宅前の電柱に標識を設置することは必ずしも快いことではなく
できれば津波のことは思い出したくないという方もおりました。
そのため、生徒会で多賀城市にお願いし
各自治会長に集まってもらって活動の趣旨を説明。
様々な意見がありましたが、最終的には
「高校生がいる活動なら応援する」という言葉を頂き本格的に活動を開始。
これまで設置した標識は100ヶ所を超えています。

東日本大震災からまもなく9年。
建物の建て替えや塗り替えで津波の痕跡が消失してきている中
津波被害にあった家や企業を実際に訪れ、当時の様子を聞き
今度は波高標識を壁に設置する新たな活動を行っています。

他にも、まち歩きといった
津波波高標識をたどりながら、学校を訪れた方々に被災状況を説明し
案内するという活動も行っています。

生徒が手書きで作成した案内マップを持ち
津波が襲来した場所を歩き、津波の高さを実際に感じてもらいながら説明します。
活動を続ける中で
沿岸部と内陸部の方々の津波に対しての意識に差を感じたそうです。

さらに、東日本大震災メモリアルデーを毎年開催し
全国の高校生約200名と様々な意見を交換し、連携を深めています。
震災遺構である荒浜小学校などで被災地スタディツアーを行ったり
グループごとでワークショップを行い意見交換をしたり
ポスターセッションでお互いの活動を紹介したりしています。

津波波高標識を設置することで震災の痕跡を未来に残し
まち歩きを行うことで津波被害について理解を深めてもらう活動を通し
高校生にも防災・減災活動として震災の伝承ができると実感。
これからも風化させないよう、自分たちが学び続けるだけでなく
たくさんの方々に発信していきたいと考えています。

③向洋高等学校

向洋高校は、地域防災リーダーとして全国の視察や語り継ぐ勉強と
VFCというボランティアフレンドリーサークルの活動として
ボランティア活動をしながら防災についての勉強を日々行っています。

④釜石高等学校

釜石市が主催の、年齢制限や震災の経験などを問わずに募集している
大震災釜石の伝承者(震災の教訓を語り継ぐ意思のある人)という資格を取得。
ラグビーワールドカップの時や、友人や家族など身近な人へ
防災を語り継ぐ活動を行っています。

活動報告のあとは、コーディネーターの佐藤様よりこんな話がありました。

中学校の国語教諭を担当していた頃
震災の翌年に俳句の授業をした際に
コンビニの 窓に汚い 水の跡
という句を詠んだ生徒がいたそうです。

震災直後の1年、2年目頃までは、どこを見てもここまで津波がきたという
事実を目で知ることができていました。
間もない頃は、コンビニの窓も震災遺構だったのかもしれません。

建物の上にバスが乗っていたり、陸に船が乗り上げていたり
それが今では解体され、もしくは自然消滅となっています。

震災遺構は
①保存 ②解体 ③未定
の3つの道をたどると考えられています。

何故残すのか
保存や解体、未定という選択にあたって何か課題があるのではないか
そういったことも含め、各グループでフリートークを行いました。

話し合いの中で生まれた課題などは下記の通りです。

・形あるものいずれは壊れてしまう。どうやって保存し続けていくのか。

・語り部活動を行っているが、それは地域の人たちに本当に浸透しているのか。

・保存したい派と保存したくない派で意見がぶつかっている。
保存したい派は、震災遺構を見て感じて後世に伝えていくため必要だと考えている。
保存したくない派は、震災の気持ちを思い出したくないという気持ちが強い。
この2つの意見をどうやったら釣り合わせることができて、折衷案を出せるのか。

・保存するためには年単位で維持費がかかる。
その維持費をどこまで落とすことができるのか。

・震災遺構は伝承していくために必要不可欠。記録された映像とはまた違う。
しかし、それを見て、つらい思いをする人への考慮も必要。

・震災遺構を見ると、当時の悲しい記憶を思い出す人も多いが
その悲しみがあるからこそ、津波や震災の恐ろしさがリアルに伝わって
防災や減災に繋がるのではないかと思う。

確かに、震災遺構は記憶を風化させず伝承していくために必要であると思います。
現物を残すことで伝わることがあるけれど
現物が残っていることによりつらい思いをしている人も少なくありません。

震災遺構の中で、たくさん人が助かった場所もあれば
たくさん人が亡くなった場所もあります。
じゃあ、人が助かった場所を残し、亡くなった場所を壊そう
そんな簡単な話でもありません。

サポートの雁部那由多さんは言いました。

「例えば、自分が通っていた小学校が震災遺構になったとしたら
助かった立場からしたら残してほしいと思うし
働いていた先生が仮に亡くなったとしたら反対すると思う。
自分の中でも、当時の立場が違ったら全然違う意見になるのではないか。
これが震災遺構の難しさ。
大事なのは伝える側からしたらどうなのか
地域の人たちからしたらどうなのかをすり合わせていくこと。
一番は色んな立場の人から賛成反対も含め色んな意見をどんどん聞くこと。
対立とはいかなくても結果的にはお互いに考える良いきっかけになる。
保存、解体とは別にある未定という選択肢は個人的にはとてもいいと思う。
どちらか決められる時がきたら決めるというやり方もあり。
震災遺構が誰にとってどんな意味を成すのかを意識していくことが大事」

残すのか、壊すのか。
答えはどちらか1つ。
けれど、どちらも間違いではありません。

だからこそみんなの想いを共有しあって
壊すのであれば残したいという人の気持ちを
残すのであれば壊したいという人の気持ちを汲んだ残し方を
将来見つけていければいい、と佐藤様は語ります。

「もちろん、遺族や当事者の気持ちは大事。
けれど、震災遺構は彼らのためだけにあるのではなく
50年後、60年後の震災を知らない人たちのため
県外などの遠い地域の人たちのためにもあると思う。
何十年後の未来、宮城県や岩手県などの地域に足を運んだ人は絶対に思うはず。
『何で昔の人はこれを残したんだろう』と。
そこに届くような言葉や活動をしていきたいと今日改めて思った」

この分科会に参加した全員にとって
とても有意義で貴重な時間になったと思います。

この場で出た震災遺構に対しての意見はどれも間違いではありません。
きっと、正解でもないでしょう。
それでも、良い話し合いのきっかけとなったことに変わりありません。

一人一人の活動によって
一人でも多くの命が守られますように。

これからも途絶えることなく
語り部として、防災・減災活動に取り組んでいくことを誓いました。

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第5回全国被災地語り部シンポジウム㏌東北~【第2部】~

皆さん、こんにちは!カナです。

さて今日は先週2月24日・25日の2日間にわたり開催された
「第5回全国被災地語り部シンポジウム㏌東北」について
数回に分け、様子をご報告させていただきます。

第2部全てを掲載するため長くなりますが ぜひご覧くださいませ。

当日参加したスタッフのブログ更新日がバラバラなので
シンポジウムの流れが順不同になる事をご了承くださいませ。

まず、私が参加させていただいたのは「第2部」より。
【オープニングセレモニー】から始まりました。

あの日、当日は約400名の参加者の方にお集まりいただき
主な会場となった「羽衣」は報道陣の方も含め満席。

震災から9年を迎える今年。しかしながら、復興はまだ道半ばのところも残っております。

オープニングセレモニーの最初は実行委員長の
弊社、阿部副社長よりご挨拶を頂き、

2016年1回目南三陸町で開催したシンポジウムが
兵庫県淡路市、熊本市などの開催を含み
5回目となり再び南三陸町で開催できること、
昨年、第14回マニュフェスト大賞最優秀コミュニケーション戦略賞を
頂戴したこと、これは弊社だけではなく
震災を語り継ぐ活動を行ってきた語り部の皆様、
ご参加されている皆様と共に歩んできた事が評価され受賞した事、
自然災害は地球規模の気候変動による災害が世界各地で多発していて
シンポジウム開催の意味が年々深くなってきていると思っていること等の話の後

この後、改めてシンポジウムの主旨が参加者皆様に伝えられ、
開会の挨拶となりました。

次に国土交通省東北地方整備局 局長の佐藤克英様にご挨拶を
代理の佐々木貴弘様に代読頂きました。

昨年起きた台風19号の甚大な被害。
国土交通省では被災した地域の河川・道路等の緊急路の復旧や
自治体支援をおこない、今も被災された方々の一日も早い生活再建を。
そして、震災から来月で9年の月日が経ちますが
相次いで「復興道路」の開通などが見られ、着実に復興へ歩みを進めているのが分かる、ということ。
「KATARIBEを世界へ」
この言葉が南三陸より世界へ、未来へ繋がっていきますよう
皆様と共に考えていきたいと思っております。などの挨拶がございました。

この後は政策研究大学院大学客員教授であり、
元国土交通省事務次官の徳山日出男様に【基調講演】を行って頂きました。

演題は「教訓が命を救う-「語り部」のもつ尊い使命」

徳山様は震災直後より救助部隊を各地へ送り込むルート確保を最優先し、
緊急物資の搬入や医療チームを迎え入れるために行動をした方です。
この行動がのちに「くしのは作戦」と命名され、救援と救助活動を支えました。
そのあとは津波の爪痕を伝えるため、伝承施設や震災遺構を通じて
東北から情報を発信しています。

基調講演の内容としましては、
・津波や自然災害の歴史を伝える建物(伝承館など)は
日本だけではなく外国にも存在し、日本とは違った展示の仕方で
教訓や救助活動の様子を伝えている場所がある。ということ。

・東日本大震災から今年で9年。来年は10年を迎え、
注目や関心が集まる最後の山場となるかもしれない。
その時が来るまでこの1年を復興へ向かうこの場所で
どのように過ごし、伝えていかなくてはならないのか。

・日本は「一定規模の災害は防げるようになった」が、
「地域単位ではいきなり巨大災害に直面する」こともある。
その際、「まさか繰り返されるとは思わなかった」
「ちゃんと逃げればよかった。やっとわかった」ではなく、
それを防止するための知識が必要だkが、
教訓や備え、組織の重要さが伝わっていない事も現状としてあげられる。

日本は「災害列島」ここに住むという意識を欠いてはいけない。こと。

・「震災を風化させてはいけない」
「災害の悲惨さ、亡くなった方々のことは忘れてはならない
しかし、同時に命を守るための教訓もつたえていかなくてはならない
命がけで戦った人々の記録、助け合った人々 有効だった備え。
それは歴史そのものであり、
「災害の悲惨さ」だけではなく、「それを乗り越える知恵」を伝えていくことで
災害は知識と備えで乗り越えることができる。ということを後世へ伝えていかなくてはならない。

・教訓が「いのち」を救う。備えることで救える「いのち」がある。
学ぶことで助かる「いのち」がある。

【教訓は世代を超えて伝えていかなくてはならない】

上記の講演が画像を交え行われました。

次に【メインディスカッション】が行われました。

オープニングプレゼンツでは、
奥田梨智さんが「あいたいよ パパ」を朗読。
こちらは第60回「晩翠わかば賞」の受賞作品となっております。

佐藤光莉さんはプレゼンテーションにて「チャレンジ 語り部になる」を発表。

次に
「コーディネーター」として
宮城県南三陸町・一般社団法人復興みなさん会代表 後藤一磨様をお迎えし、

パネラーは、
兵庫県淡路市・北淡震災記念公園総支配人 米山正幸様

岩手県釜石市・浜辺の料理宿「宝来館」女将 岩崎昭子様

宮城県気仙沼市・気仙沼震災復興・企画部長 小野寺憲一様

東京都・クリエイター 映画「一陽来復」監督 尹 美亜様

コメンテーターとして、仙台市・民俗研究家 結城 登美雄様

テーマは「語り部の未来」
後藤様がそれぞれのパネラー様へ質問を投げかけ、意見交換のような流れとなりました。

まず初めに、米山様へ
「阪神淡路大震災からずっと25年語り部を続けてきた米山様から見て
東日本大震災の9年とはどのようなものですか」に対し、

・阪神淡路大震災で被害を受けた場所は復興しているものの、
「震災遺構」「伝承」と皆様にお伝えするものが数少ない。
しかし東日本大震災では「写真」や「動画」がのこっている。
当時の様子を物語ってくれるのはやはり、様子がわかるもの。
復興が進むにつれなくなっていく震災を語る「物」
しかし、「震災遺構」として遺ったものについては
これを様々な世代へ伝えていかなくてならない。
フォーラムやシンポジウム等を通して一人でも多くの方と情報を共有出来たらいいと思います

 

岩崎女将様へ
「女将様にとって東日本大震災の経験はどのようなものでしたか」に対し、

・お越しいただいた皆様に震災後から今までの経緯を
お伝えし、関心を持っていただけるようになった。
しかし、自分は「語り部」ではなくあくまで伝えていただけ。
全てを語る事はできなくても、語り部には多様な形があって
いいと思います。

・「震災で自分自身が変わった」とは思いません。
変わったのではなく、今まで通り一生懸命に一つの事を行って
「生き残った」役割をつとめていければ、
先人の方がそうしてきたように生きて伝えていくのが
自分の役割だと思います。

 

小野寺様へ
「震災直後から行政として取り組んだこと。
法や制度が壁になったことまたは制度の拡大解釈などで可能になったこと
行政としてできたこと、できなかったこと。
これから取り組んでいかなければならない事をお聞かせください」に対し、

・震災直後から「地域の課題解決なしにして真の復興なし」を言葉に、
「復興」という「まちづくり」をすすめてきた。
そしていかに「気仙沼」という町を、今の状況を進めていくか。と思った時、
まちづくりをするにあたり、土台となるのは
「地域資源(人材、歴史、文化、自然、地理)」であり、
そこにその地域に住む人々の想いや課題が加わっていく。
「気仙沼」という場所に他地域のシステムをもってきて融合できるのかと言えば
それは不可能で、しかし「ヒント」や「考え方」はもってこれるため、
それを地域資源にあてはめ融合させる事によりまちづくりを行うことができる。

・しかしながら気仙沼は水産業が既存産業としてあり、
震災前も震災後も「魚がとれたからよかった」「とれなくてこまった」など、
その考えた方では、これからの未来10年、15年したときに
国から東日本大震災の復興は失敗した。と言われかねない。
その為にも、若い世代中高生を中心に震災のこと、
町の事を伝えていく活動が大切になる。これを柱にできれば、中高生も自分自身への教訓にもなるし、
同世代の人へ伝えることもできる。
我々も一緒に徹底して行っていくべきだと感じています。

 

尹 美亜様へ
「岩手、宮城、福島を映画撮影、取材で何回もまわりここで感じた事思ったこと
そして一陽来復をなぜ そして作る前と作った後で感じた事はなんでしょうか」に対し、

・映画作成のための取材を行っていく中で最終的に響いてきた言葉が、
「人は繋がることで生きていける」という言葉。
災害時も人が寄り添い支えあうことでものすごい力を発揮できると感じた。

・「語り部」というのは2種類あると考える。
「誰が伝えるのか」「誰が受け取るのか」
もし仮に一方通行のみだけなら意味を成さない事が取材する中で思いました。

・語り部や伝えていくにあたり、
一番大切なのは「魂がどれだけ震えるか」だと感じます。
「数字」などは忘れてしまうが感動した事はいつまでも覚えている事が多い為、
いかに伝える側が受け取る側の魂を震えさせるのかも大切になってくる。

・「魂が震える語り部」も必要ではあるものの、
「吐き出す語り部」も必要だと感じた。震災から5-6年が過ぎたころの取材は
「こんなに話したのは初めてだ」「整理がついた気がする」等、
外部から来た人に対して話せた。と言うにもあったと言うことでしたが、
先の岩崎女将様が仰られたように多様な語り部があっていいと思いました。

 

4名のコーディネーター様のまとめとして、
民俗研究家の結城登美雄様は、

・語り部をおこなっていくうえで大切なものは
「その土地を生きてきた人」
「これからその土地で生きていく人」の想い。
語りかけるだけではなくその土地を生きている人達の悩みに耳を傾けること。
課題を解決するだけではなく、人間には「期待」や「願い」と言った思いもある、
解決をしたその先にあるもの、なくてはならないものを
語る人だけではなく、地域の方々と共に考えることが必要になっていく。

・様々な話を聞いていくうちに「石碑」ではなく、
木でつくった「木碑(もくひ)」にすれば伝承も繋がっていくのでは。という考えがうまれた。
木で内容を伝え見えなくなったらまた建て直す。
そのたびにそこで何があったのかを思い出せるだろう。という考えもある。
・人とのつながりを絶ってしまっては復興するにもできないものがある。
これから先、どのようにしていくか、今この場所にいる皆さんと一緒にこれからも考えていければと思います。

約2時間半にわたる第2部でございましたが、
9年目、そして10年目を迎えるにあたり何が必要なのか、
必要になっていくのかが見えてくるような内容でございました。

まだご報告をしていない分科会や交流会、
2日目に関しましても、後日掲載いたします。

ぜひ、皆様も他人事とは思わず自分事として
ご覧いただければ幸いです。

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【語り部シンポジウム】送迎のご案内

毎週お知らせしております
『第5回全国被災地語り部シンポジウムin東北』
いよいよ来週2月24日、25日に迫って参りました。

お問合せ多数につき、
申し込み期間を延長して受け付けております。

【第5回全国被災地語り部シンポジウムin東北】
「KATARIBE」を世界へ~多様で持続可能な、語り部の未来~
開場/南三陸ホテル観洋(宮城県本吉郡南三陸町黒崎99-17)

<WEB申込み受付中!>

より多くの皆様にご不便なく参加していただくため、
分科会終了後、南三陸⇒仙台駅行のシャトルバス特別便の
運行が決定いたしました!

【2月24日(月)
シンポジウム参加者限定!仙台行シャトルバス特別便のお知らせ】

2月24日の分科会終了後、
南三陸⇒仙台行の特別シャトルバスを運行いたします。

18:15 南三陸ホテル観洋発
⇒ 20:15頃 仙台駅東口着
<※事前予約制>

シンポジウムご参加のお客様のみ無料でご案内いたします。

2月24日朝の
8:45 仙台駅東口
⇒ 南三陸ホテル観洋着

のバスと併せまして、
是非ご利用くださいませ。

■お問合せ・お申し込みは…
実行委員会事務局(南三陸ホテル観洋内)
TEL:0226-46-2442 FAX:0226-46-6200
minamisanriku_somu@kanyo.co.jp

当日の基調講演には、
『教訓が命を救う-「語り部」のもつ尊い使命』
と題しまして、東日本大震災時に東北整備局長として
復旧作業の陣頭指揮にあたった徳山 日出男様がご登壇されます。

その他にも震災の教訓や、これからの語り部の在り方、
震災遺構との向き合い方を考えるディスカッション、
分科会を開催いたします。


<クリックすると大きい画像がご覧いただけます>

皆様のご参加を心よりお待ち申し上げます。

■お申込み方法
下記より申込書をダウンロードしてFAXにてお申込みいただくか、
WEB申込フォームをご利用くださいませ。

■WEBからのお申込みはこちら。
https://forms.gle/iMRRZ3ueqP6GcAC2A

■申込書を印刷される方は下記よりダウンロードをお願い致します。
http://www.mkanyo.jp/brochure/symposium5.pdf

■全国被災地語り部シンポジウム実行委員会Facebook
https://www.facebook.com/kataribesymposium/

■お問合せ・お申し込みは…
実行委員会事務局(南三陸ホテル観洋内)
TEL:0226-46-2442 FAX:0226-46-6200
minamisanriku_somu@kanyo.co.jp

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