第11回全国被災地語り部シンポジウムが開催されました

こんにちは、むっちゃんです。

3月1日(日)、2日(月)の2日間
第11回全国被災地語り部シンポジウムが開催されました。

メインディスカッションでは
「これまでの15年、これからの15年」をテーマに
風化が懸念される中で、今後どう語り継いでいくべきか等が話し合われました。

【これまでの15年について(現状、成果、課題)】


釘子 明 氏(陸前高田語り部くぎこ屋代表)
現状
・最初は順調に進んでいたがコロナによって語り部が減り、その後も減少傾向である
成果
・語り部をした人たちが育ち、つながりが出来た
課題
・自分が年齢を重ねて今後どうすればよいか心配


佐藤 敏郎 氏((一社)スマートサプライビジョン理事)
現状
・コロナの時期は大変だったがオンラインを活用して一度に何千名に伝えることが出来た
・宮城県の新任の校長先生が毎年100名ほど研修で大川小学校が訪れる場所になった
成果
・大川小学校を震災遺構として残すことが出来たこと
課題
・遺構の維持管理と伝承を続けること


青木 淑子 氏(富岡町3.11を語る会代表)
現状
・福島は複合災害であり、現在も復旧復興が終わっていないこと
成果
・原子力災害伝承施設が出来たことにより学生も含めて原子力を学ぶ人が増えてきたこと
・語らなくては分からないので福島県で県内の語り部のネットワークを構築
課題
・わかりにくいのが原子力災害
・語り部を育てること
・県の補助はあるが自走することが必要であること

【これからの15年について】
学校ではカリキュラムが決まっているので
防災学習の時間を確保するのは難しいが
総合学習の時間を有効活用することは出来る。
問題は何をどのようにすればよいのかわからない先生が多いことである。
避難所運営では水、トイレ問題がある。
これだけ甚大な災害が起こる日本で
未だにこのような問題が解決されないのはいかがなものかを国が考えるべきである。
語り部は1回聞いたから終わりではなく
東日本大震災から15年経った今だからこそ聞いて欲しいこともある。
年数と共に話すこと、伝えることは変わった。
これこそが語り継ぐことである。


山内 宏泰 氏(リアス・アーク美術館館長・学芸員)
時代や世代、国や地域が変わったとしても
震災は他人事ではなく自分事として認識させることができる
語り、物語、ストーリーが必要である。
また昔話、過去の話ではなく、未来の話として認識してもらうための語りも必要である。
不特定多数の人間の心を動かすことができるような
普遍的な内容がそろそろ必要ではないかと考える。

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続いては分科会②
「語り部からKATARIBEへ」~災害時に問われる多様性の理解~

パネリストの経験から基づく様々な発言があり
テーマについて深く考えさせられる貴重な時間となりました。


リチャード・ハルバーシュタット 氏(石巻市震災遺構門脇小学校館長)
私たちの記憶を紡ぐ、未来のいのちへつなぐ(施設のコンセプト)
石巻専修大学で被災、イギリス大使館から原発の事で帰国すべきと連絡があったが
第二の故郷である石巻に残った。
大学は自主退職してフリーターになったが
石巻市から声がかかり仮設の伝承館で仕事を始めた。
(石巻市復興まちづくり情報交流館 中央館)
その後2022年4月3日石巻市震災遺構門脇小学校がオープンして館長を拝命した。
震災遺構門脇小学校は唯一津波と火災が発生した遺構であり
海外のお客様も多くお越しになる。その際に英語で案内している。
施設としては次の災害に向けて記憶を語る。
そして伝承を通じて命を守ることをコンセプトにしている。


大城 ロクサナ 氏(ひょうごラテンコミュニティー代表)
誰一人取り残されない防災を 自分のわかる言葉での情報支援(自助)
1991年日本に来日し、その後1995年阪神・淡路大震災で被災した。
ペルーでは避難訓練したことがなかったし
日本語がほとんど分からず震災の時は大変だった。
この経験があったので日本語が分からない人のために
2000年からひょうごラテンコミュニティーとエフエムわいわいで活動を始めた。
2011年の東日本大震災では原発の問題で日本語が分からない人がパニックになった。
それでコミュニティとして災害に対して準備をしてないことに気づいた。
その後コミュニティでは自助と人のつながりの重要性を大切にして
このつながりは母国ペルーまで広がりBOSAIがペルーでも始まった。
これからはBOSAIを文化にして日本から世界へ発信していきたい。


周 智堯 氏(台湾静宜大学学生)
語り部をするにあたり最初に感じたのが
「津波てんでんこ」が「自己中心」と誤解される恐れがあり
中国語にうまく翻訳すること、伝えることが課題であった。
実際に案内をしてうまく伝わったが、その一方で語り部の難しさも知った。
大切なことは防災の概念と知識を日常に取り入れることであるが
台湾は災害の多い地域であるにもかかわらずその意識が低い。
また若い人の関心が低いので防災にもっと興味を持つようになって欲しいと感じている。


金 千秋 氏(エフエムわいわい代表理事)
1995年の阪神・淡路がきっかけで発足したのがエフエムわいわいである。
在日コリアンを助ける為、そして当時は外国の方は日本人と
平等な権利があるかの微妙な時代であった。
そのような方々を救うためにラジオなど様々な媒体を利用した。
そもそも防災、語り部という言葉は海外では単語として存在しない。
これは日本独自の文化であるから世界へもっと発信する必要がある。


北村 美和子 氏(東北大学スタートアップ事業化センター特任准教授)
外国人も災害から救うには日頃から助け合っていくコミュニティが大切である。
一般的に語り部を翻訳するとstorytellerと訳されるがあまり良くない。
なぜならstoryはフィクションの意味合いが強いからである。
震災語り部はノンフィクションなので語り部はKATARIBEで良いが
しっかりと説明する必要がある。TSUNAMI、BOSAIも同様である。
単語ではなくまずは防災とは、津波とは、語り部とは。
まずはこの言葉の意味をしっかりと理解してもらい
意識してもらうことから始めるべきである。

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第11回全国被災地語り部シンポジウムにご参加いただいた皆さま
誠にありがとうございました。
東日本大震災や過去の災害を風化させないため
いつか来る未曾有の災害に備えるため
これから先も防災、減災、伝承活動に取り組んで参ります。

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震災を学び、防災・減災へ繋げる

3月4月限定
語り部バス無料付 忘れないために訪れる南三陸メモリアル宿泊プラン

ジャパン・ツーリズム・アワード2017 大賞を受賞した
「震災を風化させないための語り部バス」が無料で付いた、
3月限定のメモリアル宿泊プランです。
2011年3月11日に発生した東日本大震災。
当時、被災地で何が起こり、どのような教訓が残されたのかを、
実際に被災地を巡りながら語り部が伝えます。
本プランは、ご夕食に鮑の踊り焼をお楽しみいただける宿泊プランと、
語り部バスをセットにした特別プランです。

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第11回 全国被災地語り部シンポジウム in 東北 気仙沼であの日を追体験するコース

皆さまいかがお過ごしでしょうか?
売店を担当しております、サガイです。

今回は、3月2日に行われました「第11回全国被災地語り部シンポジウム~気仙沼で
あの日を追体験するコース」について紹介したいと思います。

気仙沼市に到着後、元気仙沼消防士の佐藤誠悦様からあの日の出来事についてのお話がありました。

気仙沼市では、津波と津波被害によって破壊された燃料タンクから大量の重油が流出し
大火災を引き起こしました。

特に気仙沼市の鹿折地区では火災が拡大し、このまま拡大していまえば山火事になってしまう
危機的状況で佐藤さんを含む隊員らは諦めず立ち向かい、1キロ以上離れたホースを伸ばし
津波がもう一度来るかもという恐怖もありながら火事の延焼を食い止めました。

道中で気仙沼市・本吉広域防災センターに寄りました。

こちらは、震災時に消防活動の拠点として機能した施設であり500人以上の避難所で溢れ、
消防活動に支障を来すほど混雑しました。

この経験から現在は、地震の震度を体験できる地震体験室や火事があった場合の視界が体験できる
煙体験室など震災の教訓を伝えるパネル展示などが見られる場所となっております。

最後に佐藤さまから「東日本大震災を見据えた防災の十の教訓」のお話があり終わりとなりました。

1「津波てんでんこ」・・・「自助」(まず自分の身は自分で守ってから後の人を助ける)
2「高台へ避難する」
3「津波対策」・・・水門の耐久性実証
4「避難所対策」・・・感染防止(インフル・ノロ・コロナ)
5「ライフライン」・・・早期のバックアップ体制 関係機関との調和・協定・締結
6「物資備蓄」・・・住民、事業等で確保
7「医療体制」・・・確保と維持の統制力
8「交通機能対策」・・・早期復旧
9「情報通信の確保」・・・伝達方法
10「住民生活の安心」・・・秩序維持・瓦礫処理・遺体の取り扱い・避難道の確保・仮設住宅の確保

今回の語り部バスでは、震災から15年経った今だからこそ後世に伝えることの
必要性や今ある命を無駄にしてはいけないことを改めて感じました。
普段の生活は、当たり前だと思わないよう大切にしていきたいと思います。


今回ご参加いただいたお客様ありがとうございました。

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震災を学び、防災・減災へ繋げる

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第11回全国被災地語り部シンポジウム㏌東北 エクスカーションプログラムに参加しました

こんにちは!!ここなです

今回は、3月1日・2日の2日間にわたって行われた第11回全国被災地語り部シンポジウム㏌東北の様子をご紹介します。

私は1日目の最初のエクスカーションプログラム震災を風化させないための語り部バス

参加させていただきましたので今回はそちらをご紹介させていただきます。

「震災を風化させないための語り部バス」とは、バスで町内を巡りながら、

当館のスタッフが語り部として震災当時の様子や体験、そこから得た教訓などをお話しする取り組みです。

現在までに47万人以上の方が乗車しており、多くの方に震災の記憶や教訓を伝え続けています。

実際の場所を訪れながら話を聞くことで、より現実味をもって震災について学ぶことができます。

まず最初に向かったのは、戸倉地区です。

ここでは主に戸倉小学校のお話を聞きました。当時の小学校の写真と震災後の写真を見せていただき、

被害の大きさや状況の変化にとても驚き、改めて震災の恐ろしさを感じました。

(戸倉小学校跡地前にて)

戸倉小学校の近くには高台がありましたが、子どもたちの足では避難に十数分かかってしまうため、

当時は高台へ避難するか、校舎の屋上へ避難するかが明確に決まっていなかったそうです。

そのため、実際に災害が起きた際には、その場の状況を見て校長先生が判断することになっていたとのことでした。

そして地震が発生し、校長先生の判断でまずは高台へ避難することになりました。

しかし、津波はその高台にまで迫ってきたため、さらに高い場所にある「五十鈴神社」という小さな神社へと避難したそうです。

その結果、この時避難した91人の児童は全員無事だったとお聞きしました。

状況が刻々と変わる中での判断の難しさと、その中で最善の選択をされたことの重要性を強く感じました。

今回のお話を通して、日頃から防災意識を持つことの大切さに加え、マニュアルだけに頼るのではなく、

その時の状況に応じて臨機応変に判断することの大切さを改めて感じました。

次に少し移動し、戸倉中学校へ行きました。

(旧戸倉中学校※現戸倉公民館にて)

戸倉中学校はもともと高台に位置していたそうですが、それでも校舎の1階、

そして体育館の2階にまで津波が押し寄せたと聞き、とても衝撃を受けました。

さらに、海からの津波だけでなく、背後の山からも津波が流れ込み、挟み撃ちのような状況になったそうです。

幸いにも校舎の2階まで津波は到達しなかったため、2階に避難していた方々は助かったとのことでした。

当時の写真も見せていただきましたが、校庭には流されてきた車が並び、

普段の穏やかな風景からは想像もできない光景が広がっていました。

校舎内には震災の時刻で止まった時計がそのまま残されており、

その瞬間で時間が止まっているように感じ、とても印象に残りました。

次に訪れたのは、震災遺構である高野会館です。

(震災伝承施設 高野会館)

高野会館は、東日本大震災の際に多くの方が屋上へ避難し、津波から命を守ることができた建物です。

到着して建物に入る前に、まずはバスの中で当時の状況についてお話を聞きました。

この場所はかつて冠婚葬祭やイベントなどで多くの町民に利用されていた施設で、

地域の人々が集まる大切な場所でもありました。

震災当日は高齢者の芸能発表会が行われており、館内には多くの方が集まっていたそうです。

(高野会館に入る様子)

 

(高野会館内部にて)

その後、実際に高野会館の中に入り見学させていただきました。

建物は4階建てで、1階から順に説明を受けながら見て回りました。

実際にその場に立つことで、当時の緊迫した状況や津波の恐ろしさをより現実的に感じることができました。

 

(高野会館内部にて)

(高野会館屋上で説明を受けています)

当日は高齢者の方が多く、屋上へ上がるのも大変な状況だったそうですが、

周りの方々が声を掛け合いながら協力し合い、なんとか屋上へ避難したとのことでした。

その結果、避難してきた近隣の住民の方々も含め、372名と犬2匹の命が救われたとお聞きしました。

 

最後に、防災対策庁舎についてのお話を聞きました。

防災対策庁舎は鉄骨の3階建てで、高さは約12メートルあったそうです。

多くの方が屋上へ避難しましたが、津波はその屋上にまで達し、

43名の方が犠牲となり、助かったのはわずか10名だったと聞きました。

このお話を通して、自然災害の恐ろしさとともに、

「自分は大丈夫」という思い込みの危険性についても考えさせられました。

防波堤があるから大丈夫と思ってしまったり、

避難の判断が遅れてしまったりすることが被害を大きくしてしまうこともあるのだと学びました。

また、日頃から避難場所を確認しておくことや、水や食料などを備えておくことの重要性も改めて実感しました。

今回の経験を通して、話を聞いたり資料を見ることも大切ですが、実際にその場所を訪れ、

現地でお話を聞くことで、震災の出来事や教訓をより身近に、そして深く理解することができると感じました。

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第11回 全国被災地語り部シンポジウム in 東北~石巻を感じ、学ぶコース~

皆様こんにちは、マッキーです。

今回は3月2日に行われました
「第11回全国被災地語り部シンポジウム~石巻を感じ、学ぶコース~」について
紹介したいと思います。

こちらのコースは、
海の見える命の森・実行委員会にお世話になっている
森の番人こと阿部寛行様のアテンドによって始まりました。

南三陸ホテル観洋から大川小学校に向かう道中に
当時の被災状況、そして地域で抱える問題について語っていただき、
また参加者からの質問に対して真摯に答えていただきました。

大川小学校に到着後、
大川伝承の会協同代表の鈴木典行様による語り部が行われました。

東日本大震災の津波で児童・教職員84人が死亡・行方不明になった大川小学校。
自身も当時6年生だった次女を亡くした鈴木典行様。

被害の甚大さが克明に記録されている大川小学校を観ながら、
当時の想いやここまでの歩みを語っていただきました。

身振り手振りを交えて話す様子に、
参加者の皆様も真剣に聞き入っていました。
大川小学校は、多くの方が犠牲となってしまった場所です。
鈴木様も、大事なお子さんをなくしておりますが、
このような悲劇を繰り返さぬよう、伝える活動をしておられます。

あの日何故、先生•生徒は校庭に留まっていたのか
(地震から津波が恐らく到達したと思われる約50分の行動)
地震や津波に対する恐怖や寒さと闘う生徒達、
津波の際の対応が分からず混乱する先生達の様子が
鈴木様のお話や写真・データ等でよく分かりました。

実は、まるで自分達の庭のように野外学習で使用していた
学校近くの山は実際に登って見ても、
本来は恐らく3~5分で足を運べる場所であり、
様々な状況を考慮しても10~15分程で避難できるのではと思いました。
生徒の中には山に避難しようとした子供もおり、
その子供達は山へ逃げていれば、
もしかしたら命は助かっていた可能性が高いと思われます。

しかし実際は多くの先生・生徒が何故か
川の近くにある三角地帯に避難したようです。

そして恐らく避難途中に津波に巻き込まれ、
土砂や瓦礫の中に子供達が居るかもしれないという中、
なるべく傷つけないよう道具を使わずに素手で掘り起こすという
鈴木様含め保護者の想像を絶するような状況、
またこのような状況にも関わらず、
自分の子供の遺体を探し出した際に保護者でさえ、
家族の元へ運んだりする事が出来ず、
色々な決まり事に縛られるやるせない気持ち。
その2つが印象に残っています。

仲の良い友達や兄弟姉妹が抱き合い、
折り重なった状態で遺体となって発見されており、
その様子を聞くだけで胸が痛みます。

東日本大震災を通じて「命を守る3つのS」という言葉を
教えていただきました。
・SWITCH(避難のスイッチ…逃げる」)
・SAFE(安全な避難場所に)
・SAVE(避難後も命を守る…安全な場所に逃げたら戻らない)

また「正常性バイアス(これくらいなら大丈夫)」と
「同調性バイアス(皆と一緒、皆が逃げない)」が
逃げるSWitchがONにならない原因として考えられています。
非常事態に備えて定期的な訓練はもちろん、
冷静さや状況を的確に判断する力等が重要なのかと考えました。

そして昼食を挟み、
日和幼稚園遺族有志の会の佐藤美香様による語り部が行われました。
当時6歳だった最愛の愛梨さんを
津波に伴う幼稚園バスの火災で亡くされた佐藤美香様。

まずは震災伝承交流施設「MEET門脇」で
愛梨さんの事を数多く伺いました。
水色のクレヨンが大好きで背が高い方という事、
その一言一句に娘さんに対する母の想いが伝わり、
それと同時に火災により黒く焦げたクレヨンの箱等を見ると、
胸を締め付けられるような思いになりました。

そして津波が来る前に停車していた
日和山のふもとにある「門脇小学校」へ

多くの親たちがお子様を引き渡す場所となっていました。
この場所でお伺いしたのは幼稚園バスの通常とは異なる運行体制に伴い、
愛梨さんは本来乗るはずの無いバスに乗車、
そして先生達はふもとの門脇小学校までは来たのですが、
子供達と一緒に避難するわけでなく、伝言を届けた後に戻っていきました。
バスの中で皆が恐怖や様々な想いで泣くなかで、
泣かずに周りの子を励まし続ける愛梨さん。
自分が幼稚園児だったら絶対にできないだろうなと思います。

小学校から大人の足で歩いて2分程、
様々な状況を考えても子供の足で5分も歩けば着くであろう
この少し高い場所に移動すれば、
津波に遭う事はなかったと考えると、
「なぜ?」という気持ちになりました。

そして門脇小学校から高台の幼稚園までは大人の足で歩いで5分で着く距離。
本当にやるせない気持ちになります。
大人の正しい判断に伴い逃げていれば助かるはずの命なのに…

そして焼け焦げた幼稚園バスが見つかった場所へ。


運転手が逃げて助かる中、
津波に飲まれても尚、助けの声を上げる子供達。
近所の方の証言から3月11日の夜中までは生きていたと考えられ、
その後に火災により亡くなったと思われます。
「どうせ亡くなるなら津波に飲まれてひと思いのほうが…」
美香様の悲痛な訴えがとても印象的でした。

最後に日和幼稚園の事故で亡くなった子供達の慰霊碑へ。

本来様々な人生のイベントを経験するはずだった愛梨さん。
「ただいま」「おかえり」の挨拶が当たり前の日常が幸せであり、
様々な式を迎え、成長を見守る事ができなかった、
娘に起きた出来事を語り継ぐ事によって、
私は娘の命を生かし続けてあげたい。
こういう悲劇が二度と起きないという想いで語り部活動を続けていくとの事です。

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震災を学び、防災・減災へ繋げる

3月4月限定
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2011年3月11日に発生した東日本大震災。
当時、被災地で何が起こり、どのような教訓が残されたのかを、
実際に被災地を巡りながら語り部が伝えます。
本プランは、ご夕食に鮑の踊り焼をお楽しみいただける宿泊プランと、
語り部バスをセットにした特別プランです。

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マリンパルだより 3月その2

いらっしゃいませ。

 

やわらかな日差しとは、うらはらにひんやりした空気が頬を刺す3月2週目です。本日は、マリンパル保育士三浦美香がお伝えいたします。

 

 

令和8年3月11日東日本大震災から15年目を迎え、今日で二日目。

一頃より静かになったとはいえ一昨日は震災関連のニュースでもちきりでしたが、今日は、静かで穏やかな一日を迎えました。今町は、ワカメやメカブの最盛期を迎え浜は、活気にあふれています。あと数日もすれば、山では、こごみやふきのとうが生え始め、熊騒ぎさえなければ山菜取りも楽しい季節になる事でしょう。それをどこか「淋しい」と感じる方もおられるかもしれませんが、あの大災害から静かで穏やかな日常を迎えるまで、それだけの年月が必要だったことを思うと、果たしてここではないどこかの大きな街で、もしも想定外の大災害が起こった時、何年でこの日常を取り戻せるのでしょう・・・と、ふと考えてしまいました。

 

   

 

平成23年3月11日金曜日。14:46。お昼寝時のマリンパルには、5人の子どもたちが眠っていました。その日、お休みだった子の中には、4F建てのアパートの屋上で津波を真っ向から見ながらお母さんがより高い場所へより高い場所へと息子を掲げ、九死に一生を得た子や、神社の周囲をぐるりと囲むように津波がきた中で地区のみなさんや小中学生と一緒に一夜を明かした子、たまたま出かけた南三陸町役場(旧防災庁舎隣)で被災し志津川小学校に避難誘導されたおかげで津波から難を逃れることができた子等もおりました。

 

 

地震が発生した時マリンパルでは、子どもたちの安全を考えお昼寝用の布団をくるりと裏返しにして子どもたちの頭や体に物が落ちてこないように守りました。長い長い揺れに建物の倒壊を恐れ、私たち保育士は、渡り板を建物から離れた園庭に並べ子どもたちに布団を着せるように被せ外に避難しました。子どもたちのそばにはゆき先生を残し、ひとみ先生がサッシや窓を開け放ち子どもたちの荷物や私たちの荷物を外に放り出してくれました。私は、子どもたちの口にすぐ入るもの(おやつやバナナ)を袋にまとめ外に持って逃げました。驚いた事にそれでも地震は続いていたのです。

 

電気が消え非常事態を告げるサイレンが鳴り響き子どもたちは怯えながらも誰一人泣いて騒ぐ子はおりませんでした。「絶対助ける。絶対守る」その言葉に真剣な顔でうなづいていました。10メートルを超える未曾有の大津波が襲来したのは、それから30分後のことでした。

 

震災後たくさんの人の力を借りてようやく日常を迎えることができました。

本当に、どうもありがとうございました。

 

あの日お世話になったたくさんの皆様にもう一度会いたい!そんな思いはいつでもあります。どうぞ、私たちの今を見ていただきたい!こんなに元気に頑張っている喜びを皆様と分かち合いたい!そんな思いでいっぱいです。

 

マリンパル保育園は、常に活動的な保育園ですので最近では、園外保育も充実しておりホテルのドライバーさんの力をお借りして遠方に出かけることもあります。

もしもお越しになる際は、前もってご一報いただければ幸いです。

 

今後とも、南三陸ホテル観洋同様にマリンパル保育園をどうぞよろしくお願いいたします。

 

今日は、震災後の写真をいくつかピックアップして載せてみました。

来週は、園外保育の子どもたちの元気な写真をたくさんご紹介しますのでお楽しみに(^_-)

 

 

 

 

東日本大震災から15年

こんにちは、むっちゃんです。

2011年3月11日に発生した東日本大震災発災から15年。

昨日11日の14時46分には
震災で亡くなられた方々に追悼の意を表し
ロビーやラウンジから海へ向かい、黙祷いたしました。

また、海の見える命の森でも追悼セレモニーが行われ
お集まりいただいた皆さまと共に
志津川湾へ向かい、黙祷いたしました。

東日本大震災を風化させないため
いつか来る未曾有の災害に備えるため
これから先も防災、減災、伝承活動に取り組んで参ります。

震災から15年目の3.11~本とDVDで震災と復興を学ぶ~

皆様こんにちは、マッキーです。

2011年3月11日に発生した東日本大震災発災から
本日で15年を迎えました。
当時から現在まで応援やご支援を賜りました皆さまへ
改めて心より御礼申し上げます。

海と生きる気仙沼の 学べる復興ガイド

東日本大震災から10年の節目のタイミング、
そして気仙沼市の復興は終盤入りし、
がれきに埋もれていた街並みはすっかり変わりました。
この復興にかけた思いを記録した一冊でございます。

あの時、現在そしてこれから

東日本大震災発生直後の状況と、
10年を経た時点の状況を風景写真で比較した
“東日本大震災発生10年特別企画展”が、
フルカラー参考資料集になりました!

亡き妻に捧げるラブレター

元南三陸消防署副署長であり
現在、震災語り部活動をしている佐藤誠悦様による
奥様との出会いや素敵な想い出の数々
震災直後の状況など細かく記されております。
命ある限り語り、伝え、繋いでいきたいと願う
佐藤様の想いが詰まった一冊でございます。

海と共に生きる

東日本大震災・平成三陸大津波のとき、
南三陸町で起きた真実を記録・記憶・気持ちから紐解く。
貴重な証言・写真・資料で構成した全590頁。

南三陸日記

住んで、泣いて、記録した――。
著者の三浦英之様の東日本大震災の直後に受けた内示の転勤先は
宮城県南三陸町だった。
瓦礫に埋もれた被災地で、傷ついた被災者に寄り添い、
ともに過ごしながら取材をし続け、
朝日新聞に連載された「南三陸日記」は大反響を呼んだ。
文庫化に際し、単行本とは序章の構成を大きく変え、
8年ぶりに訪れた「再訪」や、当時は記せなかった物語を大幅追加した決定版。
気鋭のライターが描く珠玉の震災ルポルタージュ!

DVD 一陽来復

未来に伝えたい真実が、ここにある-
東日本大震災から6年後の岩手・宮城・福島を舞台に
手探りで前進する人々を追った心温まるドキュメンタリー

ところで、3月11日には、
3.11犠牲者追悼の、また観洋の自然学習の場にもなっている

「海の見える命の森」では、
南三陸大仏を寄贈頂いたミャンマー関係者も出席して、

東日本大震災 追悼の集いが開かれ、

大地震が発生した午後2時46分には、海に向けて黙祷が捧げられました。


もちろん、観洋館内でも。

3.11 あの日あの時、今、そしてこれから、に思いを馳せ、考え、備えるのにも、
今回ご紹介差し上げた書籍やDVDは、
震災学習及び防災・減災の為のご参考としてもお役に立てそうです。
売店でぜひお手に取って、よろしかったらどうぞご覧くださいませ。

【申込はまだ間に合います】第11回全国被災地語り部シンポジウム2026

こんにちは、むっちゃんです。

2026年3月1日(日)
南三陸ホテル観洋にて開催する
第11回全国被災地語り部シンポジウム2026の申し込みは
現在も引き続き承っております。


(2024年開催時の様子)

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【開催メッセージ】
今年、東日本大震災から15年目を迎えます。
変化の激しい時代の中、年を追うごとに震災の風化は進んでいます。
それでも語り続ける人がいます。語り始めた人がいます。
語り続けることで、私たちは人に何かを伝えることの重要性を知りました。
語り始めたことで、新しい繋がりができ、人の温かさを知りました。
ひとりでも多くの方に知っていただき、生きてほしい。
その願いは時間が経ち、世代が移り行く中でも変わる事はありません。
どうすれば未来の大切な命が守られるのでしょうか?
「命を守るための語り部」として語り続けるために
そして次世代へ語り継いでいくために必要なものは何でしょうか?
15年という節目、東北のこの地で、私たちのこれまでの歩みと
皆様のこれからの未来について共有します。
多様な価値観が集う場に、地域と世代を超えた多くの方が集う事を願います。

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これまでの15年とこれからの15年について考える
ディスカッションや分科会などが行われます。


(2024年開催時の様子)


(2024年開催時の様子)


(2024年開催時の様子)

当日は仙台駅からの無料シャトルバスも運行いたします。

お申し込みはまだ間に合いますので
下記より申込書をダウンロードしてFAXにてお申込みいただくか
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皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。

【申込は2/23(月)迄】第11回全国被災地語り部シンポジウム2026

こんにちは、むっちゃんです。

2026年3月1日(日)
南三陸ホテル観洋にて
第11回全国被災地語り部シンポジウム2026
を開催いたします。


(2024年開催時の様子)

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【開催メッセージ】
今年、東日本大震災から15年目を迎えます。
変化の激しい時代の中、年を追うごとに震災の風化は進んでいます。
それでも語り続ける人がいます。語り始めた人がいます。
語り続けることで、私たちは人に何かを伝えることの重要性を知りました。
語り始めたことで、新しい繋がりができ、人の温かさを知りました。
ひとりでも多くの方に知っていただき、生きてほしい。
その願いは時間が経ち、世代が移り行く中でも変わる事はありません。
どうすれば未来の大切な命が守られるのでしょうか?
「命を守るための語り部」として語り続けるために
そして次世代へ語り継いでいくために必要なものは何でしょうか?
15年という節目、東北のこの地で、私たちのこれまでの歩みと
皆様のこれからの未来について共有します。
多様な価値観が集う場に、地域と世代を超えた多くの方が集う事を願います。

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これまでの15年とこれからの15年について考える
ディスカッションや分科会などが行われます。


(2024年開催時の様子)


(2024年開催時の様子)


(2024年開催時の様子)

当日は仙台駅からの無料シャトルバスも運行いたします。

現在、参加申込受付中です。
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お申込みは2月23日(月)までとなっております。
皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。

楽しかったです

「みなさん、お話が それぞれに個性的で、とても楽しかったです」

英国から親子お二人でお越しのお客様から、そうおっしゃっていただいたのが、

この3日のスターパーティ「星のお話」のこと。

曇り空で星空観望は叶わず、お客様方には
ロビーで星空案内人による「星のお話」をお楽しみ頂きました。

おかあさまは、もともと京都のご出身で、30年前に渡英。
目下 英国の大学で「災害」に関する学部で学ぶ息子さんとの来日です。

東日本大震災の被災地の視察・研修を兼ねた旅行とのこと。

お二人とも、穏やかで にこやかな方。

まずは 遠藤さんが、

今見える星や

星座について・・・

続いて、戸内さんと瀧原さんが、

黄道12星座、

いわゆるお誕生日星座について触れ、

佐藤さんが、星の一生についてのお話。

さらに、和田さんによる「星座体操」とあいなり、
星座の形をお客様とご一緒にボディーランゲージ!!、して頂いたのでしたが
Bluebirderは「体操」に伴うPCの操作をしていたので、
写真が撮れてなくてスミマセン。

愉快な体操に、ロビーは笑顔でいっぱいになりました♪

 

次の日、英国からのお二人は ”語り部バス”にご乗車くださり、

観洋が保存する震災遺構”高野会館内”を見学。
たまたまBluebirderがガイド役として、ご案内さし上げました。

「他の被災地では、VTRでの紹介が主で、実感がもうひとつでしたが、

実際に被災した建物に入ってのご案内は”リアリティー”があり、
当時の様子を体感できました」とのご感想を頂きました。

語り部バス高野会館コースは、午前10:15分発で、1時間半ほどのご案内。

大半のお客さまはご出発の時間帯で、ご利用頂けるご人数は少な目なのですが、
お二人の感想で、”高野会館の存在とご案内さしあげる意義”を
再認識させて頂くことができました。

ありがとうございます。

 

当館で2泊されたこちらの親子、2日目の夜は、屋上で星空を観望。

実は、ブログ冒頭の言葉は、この際に頂戴したものでした。

ご宿泊初日の「星のお話」は、格好の予習になったわけで、
見上げた空には、”お話”や”体操”に重なる星座や星々が・・・

さそり座、

しし座、

ふたご座、
さらに、おとめ座など 星座を見つけては、
星座体操の”アクション”を加えて 「これですね!」と楽しんでいらっしゃいました。

望遠鏡では、月のクレーターや北斗七星、ひしゃく星の柄の手元から2つ目の二重星
ミザールもご覧頂きました。  観たのに”ミザール”とはこれいかに?ww

 

それにしても、何とも不思議なめぐり合わせでした。

Bluebirderは、今回ご滞在頂いたおかあさまと息子さまには、もう、

チェックイン後のティーラウンジでお会いしていて、

岩場の巣で卵を温めているカモメのことや

近くの森の野鳥のお話をさせて頂いておりましたから、

カモメのお話⇒「星のお話」⇒そして2日目の語り部バス高野会館コース⇒
さらに束の間ではありましたが 屋上の星空観望・・と
ご一緒のお時間を長く頂戴することが出来ました。一期一会の これもご縁。

息子さまには、ご乗車頂いた”語り部バス”のお話や高野会館での疑似体験が
大学で専攻されている”災害”の研究で多少なりともお役に立てたならば、何より幸いです。


ところでカモメは、この7日をもって 卵が3個とも孵って ヒナが3羽誕生♪
ヒナたちの名前を募集する頃となりました。

近々、カモメのヒナの名前をご来館のお客様から募集致しますので、
よろしくお願いいたします。