部分日食と父の日!~南三陸から~

皆さん、こんにちは!カナです(・∞・*)

今日は「部分日食」「夏至」「父の日」です!
特に部分日食と夏至がコラボするのは約372年ぶりとの事!
昔の人も見てたんでしょうか..でもどうやって..(‘ω’)?
しかし、今日は曇りながら綺麗な写真を撮影できました!

さて!今日行われたイベントを順番に追いかけていきます。

まず、夕方16時頃より始まった「部分日食」
スターパーティーが行われる屋上「汐風の空」にて
専用のメガネなどを用いて行われました!
欠け始めたのは16時5分頃から…専用の機材を使用して
お客様にもお楽しみ頂くことができました!

欠け始めを待つお客様へウミネコ達がパフォーマンス!

上手にキャッチできました!

ウミネコ達もこの期間中、お客様を待つようにロビーの手すりにとまり
中の様子を見ていたりしていたので、喜んでもらえたのが嬉しかったのか
綺麗に羽ばたき、こんな写真も激写できました(*’ω’*)…↓
「南三陸にようこそ!!」と言わんばかりのカメラ目線です。

さて!今日の主役の部分日食ですが…途中、分厚い雲に阻まれ
チラチラと欠けてる様子が見え隠れしていました。
(若干 太陽の下のほうが欠けているのが分かりますでしょうか)

そして17時過ぎの完全な欠けがこちらです↓


専用のメガネ越しに撮影したら見えやすい写真になりました↓

そして、今日は「父の日」でもありましたので
お越し頂いた皆様にささやかながらプレゼントをご用意いたしました!
母の日はカーネーションでしたので今回はおつまみにもなる「サバの水煮」を♪

お客様と一緒に撮影をさせていただきました!
笑顔のご協力を頂きまして誠にありがとうございます!!

こちらの「サバの水煮」は売店でも販売を行っています。
水煮なので調理をするようになりますがレパートリーはたくさんあります!

以前に毎週金曜日更新の「マリンパルだより」の先生方に
作って頂いた記事がございますので掲載しますね!↓
ソーセージも一緒に調理したものとなりますので、ご参考までにっ♪
【「さば水煮」×「三陸ソーセージ」 レシピ紹介!!】

少し曇っていた南三陸でしたが、
綺麗に撮影でき皆様にもお楽しみいただくことができました。
ぜひまたイベントがありましたらお知らせを行いますので
ご参加くださいね!

それでは今日はこの辺で!また来週~!

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マリンパルだより 6月その1

こんにちは、マリンパルゆりでございます。

6月1日、マリン創立28周年記念日でした!

女将さんと私たちミニセレーモニでお祝いしました。俵型のクラッカーを園長先生に叩いていただくと、バーン!と言う軽快な音と共にキラキラリボンが飛び出します!大人たちは\(◎o◎)/!(みんなの表情に注目してぐたさい)

園長先生、子どもたちとお祝いで来て本当に良かったです!Tちゃんがお休みで残念。。。

気候ががだんだん暖かくなってきました、外遊びの時間も増え、0歳児にとては新鮮な未経験のことがいっばいです。

最近、はまったのは泥遊びです。TちゃんとSちゃんは初体験ですけど、なんと豪快な遊び方。まるで泥風呂の様だね!

 

そのあと、マリンの本物のお風呂に入り、体を温めます。

ほら~~。三人のお風呂姿が可愛いでしょう!あ~すっきりさっぱり♪

いい湯だな~♪いい湯だな~♪あははん♪は~ビバノンノン♪

入園から2か月で、子ども達もうれしいほど成長して、日々色んな出来事に感動します。

身長が伸びてつかまり立ちが出来たSちゃん。

工作中、”私は1人でやりたいなあ”

 

大胆、やる気満々、ハイハイも速いし、なんでも挑戦したいTちゃん

ほぼ上半身泥浴になっちゃった(笑)(ママ、洗濯物大変ですが、ごめんなさい!)

野ウサギにも興味津々

ものまねが大好き、自分の意見を”うん”と言えるようになったRちゃん。

 

はい、出来た作品がこれです。

 

あれ、Tちゃんの表情が何があった?===マリンの花壇から野ウサギの赤ちゃんが現れました!

マリンの珍獣ハンター(笑)ひとみ先生が走り出して、野ウサギゲット!!捕獲成功!(やった~!なんと幸せな癒し時間)

興味深々なTちゃん”うさちゃん、触らせて”

もちろん、うさちゃんが山に帰してあげました。また遊びに来てね!(次の日も来ましたよ!)

そして、なんとうれしいですが、マリンの庭に設置した鳥の巣箱に三組の小鳥ちゃんが住み始めました!今はそれぞれ子育てに奮闘の毎日です。

 

私たちも遠くで見守ってますよ。(静かに見守れない保育士小野寺(笑)毎日、おはよ~と小鳥に声を掛けています)

自然豊かなマリンで毎日楽しいなあ!

では、まった来週~!

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「9年目の未来予想図」と「東日本大震災追悼セレモニー」

皆さん、こんにちは。カナです。

2020年3月11日。震災から9年目の日。

今年も「海の見える命の森」で桜の植樹が行われました。
数年、数十年先の未来予想図へ向けてボランティア様をはじめ、

地元の方にも数名お越し頂き、我々ホテルスタッフも現地へ。

前日10日に吹き荒んでいた雨はすっきりとやみ、晴れていて水平線まで
海景色を見ることができました。
当日の最初は三陸復興観光コンシェルジェセンター長の阿部様より、
集まって頂いた方々の紹介。
進行役として最初の顔合わせを進めて頂きました。

次に当館でも語り部ガイドを行っている後藤一磨様からは
一昨年植えたものは花芽が付き始めて成長を感じていること、
毎年少しずつ森が変わっていて様々な建設やキャンプ等の催し物などの
考えも膨らんできています。と笑顔を頂きました。

そのあとに南三陸で植樹活動を続けて頂いている
「NPO法人 桜並木ネットワーク」の桜野良充様より苗木の扱い方や、
植樹のやり方をレクチャー頂きました。

この後、グループに分かれてそれぞれ7~9本の桜の苗木を植樹。
植樹する場所にはあらかじめ印をつけて頂いているため、
穴を掘るところから開始となります。

しかし、もともと土だけの場所に植えているわけではなく、
自然の山を開拓し、木を切って作業をしているため
切り株が密集しているところは根っこが絡み合い、掘る作業も難航。
石もゴロゴロ出てきましたが、根っこは鎌で切り離しつつ作業を続けました。

掘った土と肥料を混ぜ合わせ、70㎝ほどの穴に少し入れた後、
苗木を印が出るくらいの位置で止め、残りの土を入れていきます。
その時、まだ苗木は細いため風にあおられれば折れてしまいますので、
支柱をたてて、この支柱に苗木を添えて布と紐で離れないようにくくります。

ボランティアの皆様もそれぞれの場所で。


海の見える命の森の未来予想図を完成させるために
山の斜面へ、バラバラの種類を植えていきます。

全部の植樹を終えた後は海を見ながら昼食。
南三陸大仏がある場所で皆で頂きました。

そして….実は清水寺の設計をまねて、デッキも作成中なんです。
【土足厳禁】です。お気を付けくださいませ。

将来的には、ここに小屋が出来ます。

今後は雨が降っても見学できるように小屋を建てたり、

小さな沢が流れる近くに井戸を掘ったり、

その周りを平地にしてキャンプ場にしたり…
海の見える命の森の未来予想図はまだまだ完成していません。

今年2020年、そして来年2021年の植樹予定はこんな感じ….

数十年先の未来には春になれば桜が満開になり、
山が桜色で鮮やかになる日がやってきます。

そして、この日は南三陸大仏が山頂に鎮座して初めての3.11。

追悼セレモニーの時間が近づくと近隣の住民の方も集まり、開会となりました。

最初は弊社副社長より、

・震災前は普通の山だったこの場所が震災後に皆様のお手をお借りし、
このような志津川湾を一望できる場所になった。
・今後10年・100年・1000年先もこの場所が
手を合わせる場所、そして震災の教訓を伝える場所、人々の心を癒す場所として
維持・管理していきます。 と挨拶を頂き、

次に当館で語り部ガイドを行って頂いている後藤様より、

・震災があった際、大学生がこの山を見て「もったいない」と
言ったことが「海の見える命の森」のスタート。
・「海の見える命の森」の名前の由来は景色。
志津川湾の一番奥まった扇の要にこの場所が位置することから名前がついた。
・9年目にして復興と思われるものはかなり進んでいるようにも思えるが
実際は復興そのものが自然を破壊している状況。
この地域がいつまでも人が穏やかに暮らせる場所であるように
海の幸とこの場所で共に生きていくことが重要。
・自然と人間の生活はどのようにつながりどんな関係にあるのか
そうゆうことも考え、今コロナウイルスが猛威を振るい、
共存しようとしているものを壊そうとしている現状が見えるとき、
9年目を迎えあの震災から気づいた気づきをもう一度思い返しながら新しい未来、
若い人たちが喜んで生まれ暮らせる地球をつくるために
ここで新たな決意をしてこの大仏様と礎にそう誓いたい。との挨拶がありました。

そして植樹でも様々な事をお教えいただいた
桜野様からも挨拶を頂戴いたしました。

・私が属する「NPO法人 桜並木ネットワーク」は
もともと2011年から植物を扱う者たちで結成した団体。
被災地で一時的なものではなく長く植物で出来ることは何かと考えた時、
現地から「桜の木を植えてほしい」と依頼がありこの日に至ります。
・このプロジェクトは3つの事が重なっていて、
「観光誘致、慰霊、学びの場所」
3.11の日がこの先やがて10年、この町の新しい光景をつくったり
もしくは語り継いでいく場所をつくる、
もしくは地域の財産になりうる光景をつくる。
このような場所をつくれる一員に加えて頂いたことに感謝でいっぱいです。

ボランティアで来ていた大学の方からも、

・先輩の代から続いているボランティア活動。
9年の間は「なんでボランティアに行かなきゃいけないの」という人もいましたが、
そこは半強制的にリーダーに連れてこられていました。
しかし、ボランティア活動をしたことがない人でもこの場所にきて活動をすると
「絶対また来たい」と言って帰っていくのが現状です。
・自分たちが初めて来たときは木ばかりだった場所がこんな風に変わったのが
信じられない。この活動はどこの大学を探しても見当たらないと思う。
・これからもこの場所であったことを語り継いでいきたいです
と挨拶を頂きました。

最後に一般社団法人 TSUNAGARI 勝又様から

・震災は普通の生活をしていたなかで、大地震、津波、放射能の問題、
色んなもので人生の考え方から全てがかわってきた。
この場所にくるたびに、思い返すたびに苦しくなることもある。
・しかしこの活動を通してたくさんの人たちに出会えてすごく心が充実して
前を向けているような気がする。
心の奥のほうではすごく不安といろんなものと葛藤しながら頑張っていますが
たくさんの感謝があってのボランティア活動活動ができていると思っていますので
これからも頑張っていきたい。と挨拶を頂きました。

この日は栗原市より2名の住職様にお越し頂き、
お経をあげていただきました。

そして、南三陸大仏へ献花を捧げました。


そして、14時46分。
あの日、大地震が沿岸部を襲った時刻。
志津川湾に向かい、黙祷。

この後、弊社女将より閉会の挨拶。

「今、14時46分。全国の皆さんが亡くなられた御霊に祈りを捧げました。
この海の見える命の森は皆様にご協力頂きながら
見晴らしのよい場所になりました。
桜の苗木の200~300本と数えるほどになってまいりました。
あの震災直後は片付ける事が多く、
片付けてさら地になったり、「初めから野原だったんですか」と
甚大な被害を受けた中心部を見た方々は仰いました。
この場所は10年が経てば、桜が美しく咲き誇るだろうと言われております。
どうかこれからも皆様の手をかりながらこの森がさらに美しい森になったり、
それから皆様が足を運びたくなる場所へ。
そして万が一、震災が起きた時。
この場所が命が助かる場所になりますように。

本日は足を運んでいただいた皆様、
そして想いを寄せていただいた皆様に感謝を申し上げながら
閉会の言葉とさせていただきます」

閉会の挨拶が終わった直後。
志津川湾のほうを振り返れば、大きな虹が架かっていました。

この虹は同じ時間に各沿岸地域で確認されています。
皆が見たのを分かったかのように数分で南三陸の虹は消えてしまいました。

今年で未曾有の大震災と呼ばれたあの日から9年。
来年は10年をむかえます。
今年なにができるのか、なにをしなければいけないのか。
個人で、皆で、考え共に歩んでまいります。

どうか変わらぬ笑顔・想いを東北へお寄せいただければ幸いです。
他人事ではなく自分事として防災・減災の学びを忘れず、
後世へ伝え続けていきます。

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The 5th Kataribe Symposium in Tohoku, Division Meeting No.1

It has been taken place of the 5th Kataribe Symposium in Tohoku at Minami Sanriku Hotel KANYO on 24th&25th February 2019.

It is almost passed 9 years from the Grate East Japan Earthquake and Tsunami on 11th March 2011.

After the opening ceremony and main discussion hold more than 2 hours, we have opened division meeting titles “Kataribe to the world” inviting who are interested in the international activities to attract foreigners to Sanriku coast area.

Mr. SHIRAI, as coordinator, of Toshiba opened the meeting to focus the potential and possibility to be accepted Kataribe in the world.

58 visitors attended to the meeting, not only Japanese, but also from Taiwan, Philippines, Iran, Italy where experienced big quakes recently.

4 panelists are ready to show their activities and wishes.

First, Ms. Julia from Germany has explained the stories in Germany after the World War 2nd and Belin’s wall opening to unite into one Germany.

2nd, Mr.Yamauchi, formar Shizugawa High School Master, shown his wished to establish international chain of Kataribe network not only inside Japan.

Ms. Kamitani working in Iwate, after experiences in UK and USA, expressed her satisfaction to show the people of affected area by her own way.

To end, Ms.Angela from USA, as ambassador of Minami Sanriku explained her contribution to organize large Christmas party for the kids of the town.

Time was not enough, due that all the panelists have been heated up. However, I believe that we are going to the next stage to act in the more international field to let the “Kataribe” as an international word same as “Tsunami”. 

Mr. Shirai has concluded perfectly, we will meet next year in Kobe to discuss more in detail.

Thanks to all and see you again.

Sergio

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第5回全国被災地語り部シンポジウム㏌東北~【第2部】~

皆さん、こんにちは!カナです。

さて今日は先週2月24日・25日の2日間にわたり開催された
「第5回全国被災地語り部シンポジウム㏌東北」について
数回に分け、様子をご報告させていただきます。

第2部全てを掲載するため長くなりますが ぜひご覧くださいませ。

当日参加したスタッフのブログ更新日がバラバラなので
シンポジウムの流れが順不同になる事をご了承くださいませ。

まず、私が参加させていただいたのは「第2部」より。
【オープニングセレモニー】から始まりました。

あの日、当日は約400名の参加者の方にお集まりいただき
主な会場となった「羽衣」は報道陣の方も含め満席。

震災から9年を迎える今年。しかしながら、復興はまだ道半ばのところも残っております。

オープニングセレモニーの最初は実行委員長の
弊社、阿部副社長よりご挨拶を頂き、

2016年1回目南三陸町で開催したシンポジウムが
兵庫県淡路市、熊本市などの開催を含み
5回目となり再び南三陸町で開催できること、
昨年、第14回マニュフェスト大賞最優秀コミュニケーション戦略賞を
頂戴したこと、これは弊社だけではなく
震災を語り継ぐ活動を行ってきた語り部の皆様、
ご参加されている皆様と共に歩んできた事が評価され受賞した事、
自然災害は地球規模の気候変動による災害が世界各地で多発していて
シンポジウム開催の意味が年々深くなってきていると思っていること等の話の後

この後、改めてシンポジウムの主旨が参加者皆様に伝えられ、
開会の挨拶となりました。

次に国土交通省東北地方整備局 局長の佐藤克英様にご挨拶を
代理の佐々木貴弘様に代読頂きました。

昨年起きた台風19号の甚大な被害。
国土交通省では被災した地域の河川・道路等の緊急路の復旧や
自治体支援をおこない、今も被災された方々の一日も早い生活再建を。
そして、震災から来月で9年の月日が経ちますが
相次いで「復興道路」の開通などが見られ、着実に復興へ歩みを進めているのが分かる、ということ。
「KATARIBEを世界へ」
この言葉が南三陸より世界へ、未来へ繋がっていきますよう
皆様と共に考えていきたいと思っております。などの挨拶がございました。

この後は政策研究大学院大学客員教授であり、
元国土交通省事務次官の徳山日出男様に【基調講演】を行って頂きました。

演題は「教訓が命を救う-「語り部」のもつ尊い使命」

徳山様は震災直後より救助部隊を各地へ送り込むルート確保を最優先し、
緊急物資の搬入や医療チームを迎え入れるために行動をした方です。
この行動がのちに「くしのは作戦」と命名され、救援と救助活動を支えました。
そのあとは津波の爪痕を伝えるため、伝承施設や震災遺構を通じて
東北から情報を発信しています。

基調講演の内容としましては、
・津波や自然災害の歴史を伝える建物(伝承館など)は
日本だけではなく外国にも存在し、日本とは違った展示の仕方で
教訓や救助活動の様子を伝えている場所がある。ということ。

・東日本大震災から今年で9年。来年は10年を迎え、
注目や関心が集まる最後の山場となるかもしれない。
その時が来るまでこの1年を復興へ向かうこの場所で
どのように過ごし、伝えていかなくてはならないのか。

・日本は「一定規模の災害は防げるようになった」が、
「地域単位ではいきなり巨大災害に直面する」こともある。
その際、「まさか繰り返されるとは思わなかった」
「ちゃんと逃げればよかった。やっとわかった」ではなく、
それを防止するための知識が必要だkが、
教訓や備え、組織の重要さが伝わっていない事も現状としてあげられる。

日本は「災害列島」ここに住むという意識を欠いてはいけない。こと。

・「震災を風化させてはいけない」
「災害の悲惨さ、亡くなった方々のことは忘れてはならない
しかし、同時に命を守るための教訓もつたえていかなくてはならない
命がけで戦った人々の記録、助け合った人々 有効だった備え。
それは歴史そのものであり、
「災害の悲惨さ」だけではなく、「それを乗り越える知恵」を伝えていくことで
災害は知識と備えで乗り越えることができる。ということを後世へ伝えていかなくてはならない。

・教訓が「いのち」を救う。備えることで救える「いのち」がある。
学ぶことで助かる「いのち」がある。

【教訓は世代を超えて伝えていかなくてはならない】

上記の講演が画像を交え行われました。

次に【メインディスカッション】が行われました。

オープニングプレゼンツでは、
奥田梨智さんが「あいたいよ パパ」を朗読。
こちらは第60回「晩翠わかば賞」の受賞作品となっております。

佐藤光莉さんはプレゼンテーションにて「チャレンジ 語り部になる」を発表。

次に
「コーディネーター」として
宮城県南三陸町・一般社団法人復興みなさん会代表 後藤一磨様をお迎えし、

パネラーは、
兵庫県淡路市・北淡震災記念公園総支配人 米山正幸様

岩手県釜石市・浜辺の料理宿「宝来館」女将 岩崎昭子様

宮城県気仙沼市・気仙沼震災復興・企画部長 小野寺憲一様

東京都・クリエイター 映画「一陽来復」監督 尹 美亜様

コメンテーターとして、仙台市・民俗研究家 結城 登美雄様

テーマは「語り部の未来」
後藤様がそれぞれのパネラー様へ質問を投げかけ、意見交換のような流れとなりました。

まず初めに、米山様へ
「阪神淡路大震災からずっと25年語り部を続けてきた米山様から見て
東日本大震災の9年とはどのようなものですか」に対し、

・阪神淡路大震災で被害を受けた場所は復興しているものの、
「震災遺構」「伝承」と皆様にお伝えするものが数少ない。
しかし東日本大震災では「写真」や「動画」がのこっている。
当時の様子を物語ってくれるのはやはり、様子がわかるもの。
復興が進むにつれなくなっていく震災を語る「物」
しかし、「震災遺構」として遺ったものについては
これを様々な世代へ伝えていかなくてならない。
フォーラムやシンポジウム等を通して一人でも多くの方と情報を共有出来たらいいと思います

 

岩崎女将様へ
「女将様にとって東日本大震災の経験はどのようなものでしたか」に対し、

・お越しいただいた皆様に震災後から今までの経緯を
お伝えし、関心を持っていただけるようになった。
しかし、自分は「語り部」ではなくあくまで伝えていただけ。
全てを語る事はできなくても、語り部には多様な形があって
いいと思います。

・「震災で自分自身が変わった」とは思いません。
変わったのではなく、今まで通り一生懸命に一つの事を行って
「生き残った」役割をつとめていければ、
先人の方がそうしてきたように生きて伝えていくのが
自分の役割だと思います。

 

小野寺様へ
「震災直後から行政として取り組んだこと。
法や制度が壁になったことまたは制度の拡大解釈などで可能になったこと
行政としてできたこと、できなかったこと。
これから取り組んでいかなければならない事をお聞かせください」に対し、

・震災直後から「地域の課題解決なしにして真の復興なし」を言葉に、
「復興」という「まちづくり」をすすめてきた。
そしていかに「気仙沼」という町を、今の状況を進めていくか。と思った時、
まちづくりをするにあたり、土台となるのは
「地域資源(人材、歴史、文化、自然、地理)」であり、
そこにその地域に住む人々の想いや課題が加わっていく。
「気仙沼」という場所に他地域のシステムをもってきて融合できるのかと言えば
それは不可能で、しかし「ヒント」や「考え方」はもってこれるため、
それを地域資源にあてはめ融合させる事によりまちづくりを行うことができる。

・しかしながら気仙沼は水産業が既存産業としてあり、
震災前も震災後も「魚がとれたからよかった」「とれなくてこまった」など、
その考えた方では、これからの未来10年、15年したときに
国から東日本大震災の復興は失敗した。と言われかねない。
その為にも、若い世代中高生を中心に震災のこと、
町の事を伝えていく活動が大切になる。これを柱にできれば、中高生も自分自身への教訓にもなるし、
同世代の人へ伝えることもできる。
我々も一緒に徹底して行っていくべきだと感じています。

 

尹 美亜様へ
「岩手、宮城、福島を映画撮影、取材で何回もまわりここで感じた事思ったこと
そして一陽来復をなぜ そして作る前と作った後で感じた事はなんでしょうか」に対し、

・映画作成のための取材を行っていく中で最終的に響いてきた言葉が、
「人は繋がることで生きていける」という言葉。
災害時も人が寄り添い支えあうことでものすごい力を発揮できると感じた。

・「語り部」というのは2種類あると考える。
「誰が伝えるのか」「誰が受け取るのか」
もし仮に一方通行のみだけなら意味を成さない事が取材する中で思いました。

・語り部や伝えていくにあたり、
一番大切なのは「魂がどれだけ震えるか」だと感じます。
「数字」などは忘れてしまうが感動した事はいつまでも覚えている事が多い為、
いかに伝える側が受け取る側の魂を震えさせるのかも大切になってくる。

・「魂が震える語り部」も必要ではあるものの、
「吐き出す語り部」も必要だと感じた。震災から5-6年が過ぎたころの取材は
「こんなに話したのは初めてだ」「整理がついた気がする」等、
外部から来た人に対して話せた。と言うにもあったと言うことでしたが、
先の岩崎女将様が仰られたように多様な語り部があっていいと思いました。

 

4名のコーディネーター様のまとめとして、
民俗研究家の結城登美雄様は、

・語り部をおこなっていくうえで大切なものは
「その土地を生きてきた人」
「これからその土地で生きていく人」の想い。
語りかけるだけではなくその土地を生きている人達の悩みに耳を傾けること。
課題を解決するだけではなく、人間には「期待」や「願い」と言った思いもある、
解決をしたその先にあるもの、なくてはならないものを
語る人だけではなく、地域の方々と共に考えることが必要になっていく。

・様々な話を聞いていくうちに「石碑」ではなく、
木でつくった「木碑(もくひ)」にすれば伝承も繋がっていくのでは。という考えがうまれた。
木で内容を伝え見えなくなったらまた建て直す。
そのたびにそこで何があったのかを思い出せるだろう。という考えもある。
・人とのつながりを絶ってしまっては復興するにもできないものがある。
これから先、どのようにしていくか、今この場所にいる皆さんと一緒にこれからも考えていければと思います。

約2時間半にわたる第2部でございましたが、
9年目、そして10年目を迎えるにあたり何が必要なのか、
必要になっていくのかが見えてくるような内容でございました。

まだご報告をしていない分科会や交流会、
2日目に関しましても、後日掲載いたします。

ぜひ、皆様も他人事とは思わず自分事として
ご覧いただければ幸いです。

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