震災から8年目の3.11

皆様こんにちは、マッキ―です。

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東日本大震災発災から昨日で8年。
当時より応援・ご支援・ご協力いただいてきました皆さまへ、
改めて心より感謝と御礼を申し上げます。

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昨日(3月11日)の天気は、
まるで震災当日の悲しみを表すかのような雨、
そして、海も大荒れという悪天候。

その中でも、当館スタッフ・ご来館いただいたお客様が、
5階のロビー・ラウンジに集まり、
震災で亡くなられた方々に追悼の意を表し、
3月11日14時46分に、黙祷いたしました。

震災当日、猛威を振るったこの志津川湾も、

現在では多くの海藻類が育ち、
それらを求めて飛来する絶滅危惧種の「コクガン」などの野鳥が、
この志津川湾に姿を見せています。

その多様な自然環境が評価されて、
昨年、ラムサール条約に登録されました。

そして、この自然豊かな志津川湾とともに、
震災の記憶を風化させることなく、
今後も当館は後世に語り継いでいきます。

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~防災・減災について学ぶ~
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ご宿泊の際には、
ぜひ語り部バスにご乗車いただき、
震災当日の南三陸、
そして被災地の「いま・これから」を
一緒に考えませんか。

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東北・南三陸から想いをこめて。

皆さん、こんにちは。カナです。
最近は本当に暖かくなってきましたね。
春もすぐそこまで来ているのかもしれません。

本日3月10日。
ボランティアの皆様と共に開拓を進めている、「海の見える命の森」にて、
今年で第3回目の開催となる「桜の木 植樹会」が行われました。

「海の見える命の森」は表の山道からの入口と、
山を切り拓き、車で山頂まで向かう2つの通路が完成しました。
(↓切り拓く前の様子。一応、裏道として使われていました!)

(↓山頂側から見た上記の写真の様子です。「道」になっています。)

整備にはもう少し時間がかかりそうですが、
桜の苗木や作業するための道具などは安全に運べるようになり、
前よりも作業が進みやすくなりました。

そして、前よりも草木の整備も進み、海を180度眺める事ができるようになっています。
皆様の協力により開拓が進んでいく「海の見える命の森」です。

【過去 2回の内容です】
□2017年の様子【あれから、6年】
□2018年の様子【3.11 南三陸より】

私の地元の震災当時のお話となりますが一読頂ければ幸いです。
□2018年掲載【新たな一歩を】

3回目となる今年は例年より多く皆様にご参加いただき、
約100名近くの方と一緒に植樹を行い、新しい桜の木がまた増えました。

本日はその様子をご紹介いたします。

朝10時。雨の予報があった今日はぽかぽか天気での開始となりました。
開会のあいさつは当館で「語り部ガイド」として、
町内の案内も行っている 後藤一磨実行委員長より。

「今日は大勢の皆様をお迎えできて、とても嬉しく思います。
皆様が立っておられるこの森を、私たちは「命の森」と名付けました。
森に降った雨は草や木を育て、大地の養分を吸収し田畑を潤し、
やがて海にそそぎます。
その養分がワカメや植物プランクトンを育てます。
植物プランクトンは動物プランクトンや牡蠣のエサになり、
また、小魚の命を育み、中型魚、大型魚へと命が巡るのです。
それらを私たちは食べて生きています。
壮大な命のドラマがこの森から始まるのです。

今日はこの森に「エドヒガンサクラ」を皆さんに植えて頂きます。
「千年の寿命」を持つ桜の苗木です。
春になると山の神が里に降りてきて
農業の神様=作の神になるといわれています。
その作の神が降り立つ木なので「サクラ」と名付けられました。
沢山の皆様のご厚意で苗木が用意され、沢山の皆様の手で桜が植えられます。
今年で3回目を数える行事となりました。
百本を超す桜の森となります。皆様に感謝致します。
何年か経てばこの森は海を望みながら花見ができる場所になるでしょう。
桜の花を愛でながら8年前の津波を想い、
「命とは何か」を考える場所にできたらと思っています。
慣れない作業かと存じます。気を付けて桜を植えてください。」

今回、約100名の皆様に植えて頂いたのはこれから先1000年も生き続ける
私達が今の世界からいなくなって、ずっと先の人たちへ。
あの日起きた出来事と共に伝わっていくように植樹や開拓を続けます。

この後は、桜協賛企業の代表者様にそれぞれ挨拶を頂きました。
・株式会社アデランス 国内事業総括部 渉外担当部長 藤生様

・東京世田谷区ライオンズクラブ会長 丸山様

・P&Gプロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン株式会社 佐沼店店長 永谷様

・富士通エンジニアリングテクノロジーズ株式会社 管理本部長 箭内様

・ピクテ投信投費顧問株式会社 取締役社長 萩野様

・東北福祉大学バレー部 ライジングサンの皆様(代表者様)

・菊武学園大学学生・大学スタッフの皆様(代表者様)

・ナガイレーベン株式会社 澤登慎平様

その後は、作業の注意などの説明があった後、

「桜祈念植樹セレモニー」を開催。
初めは桜並木ネットワークの桜野様より、
「エドヒガンサクラ」の植え方などをご説明頂きました。
まだ幼い木の幹は根っこが折れてしまうともう枯れてしまう事、
あまり深く掘って中に入れても育ちにくいこと、など、
木の習性と共にお教え頂き、

そして、その後に最初の1本を、代表者の皆さんで植えてスタートとなりました。

今回は各3チームに分かれ、斜面での作業です。

もともとの山を開拓している事もあり、少し急斜面の場所などは
お互いに声をかけあっての作業となりました。風が強いと少し危ないような感じです。
所々には休めるように丸太で作ったベンチもあるため、
山の景色を見ながら一休みできます。

観洋スタッフでも植樹を行いました!目印は斜面の丸太ベンチ付近です。
(写真左から、昆野副支配人・尾崎部長・齋藤課長)

土の中は他の根っこだらけでしたが、それを邪魔にならないように取り除き、
丁度良い深さまで掘り進め、根と幹のつなぎ目が隠れないくらいの深さを掘ったら、
穴に入れ、栄養の入った土を上からかぶせます。

その後はまた掘りだした土をかぶせて、再び栄養の入った土をかぶせます。
そして上から水をかけて中まで浸透させた後、木の近くに穴をあけ、
上記写真左部分に写っている竹を差し込み、木の幹を預けるように結びます。
→まだ細い木の幹は風が吹いてしまえば簡単に折れてしまうため、
支柱が必要との事でした!

他のチームも順調に植樹を行っていき、

お昼すぎ頃には今回第3回目の苗木は無事、怪我人もなく植え終わる事ができました。
その後は山頂にて参加して頂いている皆様と一緒に昼食。
(うっすらと「ハロ」も見る事ができましたよ!見えている木は「山桜」です♪)

参加者の皆様、海を見ながらのお弁当はいかがだったでしょうか?
今日は天気もぽかぽかで外でのお弁当日和ともいえる天気でした。

午後からは、
「東日本大震災追悼の祈りと復興への願い」セレモニーを開催。
当館の阿部女将より追悼挨拶がありました。

「明日3月11日で東日本大震災から、8年が経過します。
たくさんの皆様から応援をいただいたおかげで今日を迎える事ができました。

南三陸町の中心部においては八割もの被災でございます。
駅も警察署も病院も役場もすべて失ってしまった環境の中で
我々も「何とか前を向かなくちゃ」と思いながら、
一歩一歩進んできてこの8年を迎えることが出来ました。

我々も「この出来事を風化させてはならない」と
思ったわけでございますが、
他県よりお越しいただいた方からは、
「ここは初めから野原だったのですか」「さら地だったのですか」
と町中に行かれると仰るようになりました。
それを聞き、「きちんとお伝えしなくては」と思いました。

今、海の見える命の森にて実行委員長をされている後藤一磨さんは、
「語り部」として震災直後からご尽力を頂いております。

昨年よりこの地に設置をした、「津波てんでんこ」の石碑。
「てんでんこ」は「てんでんばらばら」の方言で、
津波が来たらバラバラでも高台に逃げる。
「いのちてんでんこ」とも言えます。
この地域の人たちが忘れてはならない言葉、
そして、東北のみならず他県の方にもぜひ覚えていてほしい言葉です。

ご協力頂いている桜並木ネットワークの皆様には
震災後より各地にて五千本もの桜の木を植樹頂いております。
「津波で被害があった場所へ桜を植樹する。」
それはだんだん大きくなってきたら、地元の子どもたちにも分かりやすく、
「津波がきたら桜の木よりも高い場所へ避難するんだよ」の教えにも繋がります。
それから東北はやや寒さが厳しい場所ですから
春を迎えるにあたって、やはり肌で感じる暖かさだけではなく、
目で見て感じるピンク色の山が色づくと言うのは
とても人の気持ちを明るくするなと感じました。
その素晴らしいプロジェクトが
この海の眺めの良い山にお話が届いた時にはとても嬉しく感じました。

今日、地域の方がここにお越し頂いた際に、
「こんなにここは海が見える場所だったんだね」とびっくりされていて、
「良い場所ができた」と喜んでおられました。

皆様と一緒に追悼の式が行えること、大変感謝申し上げます。
大震災にて失われた尊い命の御霊に皆様と祈りを捧げたいと思います。宜しくお願い致します。この度は本当の心より感謝申し上げます。

追悼挨拶の後、各団体・企業の代表者様に献花を行って頂きました。

海へ向けて、想いを献花に。
その後にも、ご参加者の皆様にも献花をして頂きました。

2011年3月11日。午後14時46分。
この時刻に合わせ、海が見えるこの場所で黙祷を捧げました。

今回で3回目となる「海の見える命の森 桜 植樹会」

閉会の挨拶と共に今日、1つの報告がありました。
それは3年前、第1回目の時に植えた桜の木に小さな小さながついた事。

これは紛れもない第一歩です。
今年、咲くかどうかは分かりませんがこの海を見守りながら育ってきた桜の木。
これから何十年、何千年先にはここがピンクの桜で満開になっていることを、
また再びこの地で会える事を祈って、
最後は集合写真を撮影し、無事幕を閉じる事ができました。

明日、2019年3月11日で2011年に起きた東日本大震災から8年が経過します。
8年が経過する今、震災遺構として残っているものを後世にどのようにして
伝えていくのか、今、私達が出来る事は、やらなければいけない事は、
何なのか、考える日になるかと思います。

明日、実際に現地に居なくても、
想いをよせていただくだけでそれが1つの支援となります。

明日は様々な当時の映像がテレビや、インターネットでながれます。
「他人事」とは思わず「自分事」として今一度、災害について考えて頂ければ幸いです。

東北・南三陸より想いをこめて皆様に感謝申し上げます。
これからも復興の様子を見守って頂ければと思います。

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気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館は明日から公開開始

こんにちは、むっちゃんです。

明日、3月10日
震災遺構として保存が決定した「旧気仙沼向洋高校校舎」が
東日本大震災遺構・伝承館としてオープンします。

なので本日は、私の母校である向洋高校の
震災当時の様子を少しお話します。
(手持ちの写真が少なく、文字が多くなることをお許しください)


2011年3月11日。
あの日は午前授業でしたが、
部活や補習授業などでほとんどの生徒が校内に残っていました。
私も学校に残り、学年最後だからと
クラスの皆と鍋パーティーをしていました。

自由解散だったので、
午後2時半過ぎ、そろそろ帰ろうと友達と一緒に校舎を出ました。
緊急地震速報が鳴ったのは、そのすぐ後です。

あの時は誤報も多く、小さな地震でも速報が鳴っていたので、
今回もどうせ誤報だろうと思い込んでいました。

けれど、起きたのは立っていられない程の大きな揺れ。
近くに停まっていた車は生きているかのように飛び跳ね、
慌ててしゃがみこんだ地面はすぐに地割れを起こしました。

揺れがおさまったとき、真っ先に聞こえたのは
「逃げろ!!」
という先生の声でした。

校内に残っていた生徒は迷うことなく正門へ向けて走り、
点呼を取りながら地福寺、陸前階上駅、階上中学校へと高台に避難しました。

その途中に振り返って見た
沿岸に生える樹木を遥かに越える真っ黒な津波は今でも忘れられません。

学校は海岸から約500mの場所に建っていましたが、
先生の素早い判断のおかげで、
校内に残っていた生徒は全員無事でした。

それから、電気水道が回復し、
向洋高校の三科それぞれが、市内の高校三校に分散して授業を行っていた頃。
一度だけ、被災した向洋高校に行ったことがあります。

どういう状況なのか、知りたかったからです。

実際に行ってみると、がれきだらけであまり近づくことはできませんでした。
ただ分かったのは、
せっかく新しく工事していた校舎がめちゃくちゃになってしまったことと、
校庭に建てられたプレハブ校舎が跡形もなく消えていたことでした。

実は、入学してすぐ校舎の工事が決まったので、
本校舎で授業を受けた回数は少なく、
主に学校生活を送っていたのはプレハブ校舎でした。

思い出深いプレハブ校舎が
跡形もないことがとても悲しかったのを覚えています。

三校に分散後は、
気仙沼高等学校の第二グラウンドにプレハブ校舎を建て、
そこで卒業までを過ごしました。

現在は、
旧校舎から2キロ程離れた場所に建てられた新校舎で授業が再開されています。


初めに言った通り
今なお震災の爪痕が残る旧向洋高校の校舎は明日から一般公開されます。

明後日で、東日本大震災から8年。
時間が経つにつれて、記憶が薄れていくのは当たり前ですが、
もう一度あの時の状況を胸に刻むためにも多くの方々に見ていただきたいです。

校舎内は、ほとんど当時のまま残っています。

4階まで押し寄せた津波の跡も、
教室に流れ着きひっくり返った車も、
骨組みがむき出しになった教室の天井も、
床に散らばる教科書や上靴も全て、あれから変わっていません。

先日、旧向洋高校に行く機会がありました。
特別に中を見せていただきましたが、
懐かしい気持ちと共に、当時を思い出して涙がこみ上げてきました。

見たくない方もいると思います。
思い出したくない方もいると思います。

それでも、風化させてはいけないんです。
今後起こる災害から自分の身を守るため、
誰かの命を守るため、忘れてはいけないんです。

校舎の公開は限られたところのみですが、
伝承館には津波の脅威を伝える大型の映像シアターなどもあります。

海風をさえぎるものは何もないので、冬場はとても寒いですが、
あの時学校に残った先生たちはこんな寒い中一夜を過ごしたのかと
身をもって知ることができると思います。

開館時間や入館料などの詳細は上記画像の通りです。

東日本大震災から8年。
向洋高校を知っている方も知らない方も、
一度足を運んでみてください。
改めて感じること、学ぶことがたくさんあります。

どうか、明日からの一般公開が、
同じ悲劇を繰り返さないため、
災害について再度考える良い機会となりますように。

気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館は明日から公開開始 への2件のコメント

第2回東北被災地語り部フォーラム<分科会②>災害を知る世代から知らない世代へつなぐ

こんにちは、むっちゃんです(*^^)

先月24日と25日の2日間に渡り、
第2回東北被災地語り部フォーラムが開催されました。

本日は、その時の
分科会② 災害を知る世代から知らない世代へつなぐ
の様子をお伝えします。

コーディネーターは
元志津川中学校校長で、現在3.11震災語り部として活動している菅原 貞芳様

パネラーとして、
志津川高等学校、多賀城高等学校、階上中学校、志津川小学校、入谷小学校の
生徒さんにお越しいただきました。

分科会のタイトルになっている通り、
今回のテーマは「災害を知る世代から知らない世代へつなぐ

東日本大震災からまもなく8年が経過しようとしています。
時間の流れとともに、当時の状況を知らない世代が増え、
それに伴い懸念されるのは「風化」です。

震災を風化させないために。
当時を知らない人たちの防災、減災へ繋げられるように。
あの日生かされた私たちにいったい何ができるのか。
現在行っている活動を含め、今後についてを話し合いました。

活動の報告をしたのは、
階上中学校、多賀城高等学校、志津川高等学校の生徒さんです。

まずは階上中学校

階上中学校の防災学習は「命を守る」を目的とし、
災害を知る
災害に備える
万が一のために訓練する
を学んでいます。

今年度の防災学習のテーマは「自助・共助
体験的学習と探究的学習の2つに分かれて行いました。

体験的学習では学年ごとに防災学習と総合防災訓練を行い、
探究的学習では地区住民へのアンケート調査を実施。

【体験的学習】
1学年は、講師の方を招いて地震津波のメカニズムを学び、
2学年は、消防署の方々からAEDを使用した救急救命講習を、
3学年は、階上小学校の子ども達へカルタを使って
防災を楽しく分かりやすく教える防災啓発活動を行いました。

総合防災訓練は、気仙沼市防災訓練に合わせた日程で午前と午後の2回。
午前は消火訓練、バケツリレー、炊き出し訓練を地区の一員として参加。
午後は委員会ごとに役割を分担し、避難所初期設営訓練を実践しました。

避難所設営に関しては、
生徒以外の誰でも分かるようにマニュアルを作成。
フローチャートを使った説明があり、
準備物や注意点が詳しく書かれてあるためとても分かりやすいです。

【探究的学習】
こちらは、昨年度から取り組みはじめた活動です。
階上地区全世帯を対象とし、
東日本大震災以前・当時の津波避難行動のアンケート調査を実施。
夏休み前にアンケートを配布、回収、集計を行い、
二学期に全校生徒で考察、10月に校内発表会を開き、その後考察の再検討。
12月の防災学習発表会に備えました。

防災学習発表会は以下の4部構成となっています。
1部:体験的学習の発表
2部:アンケート調査の報告
3部:探究的学習の発表
4部:意見交換

結果から、防災意識は低くないが、
訓練が実践的ではないため危機感が薄れてきているのではと推察。
震災を風化させないためにも地域を知り、発信させていくことで防災意識を高め、
これからも地域の一員として取り組みを行っていくそうです。

続いて多賀城高等学校

多賀城高校の「災害科学科」では
災害や防災について科学的な視点で学ぶことができ、
さらに学校全体としては
防災減災学習
東日本大震災の伝承
全国の学校などとの連携・交流
地域を中心とした社会貢献活動」を行っています。

これらが、
ユネスコが提唱するESD(持続可能な開発のための教育:いわゆる生きる力を養成する教育)
理念に合致し、2017年2月にユネスコスクールに加盟が認められました。

上記活動以外にも
通学防災マップづくり
生徒が入学してすぐに行う取り組み。
津波浸水域や土砂災害危険区が記載された地図に自分たちの通学路を朱記し、
有事の際どこに危険が潜んでいるのかを知ることができる。

津波波高標識設置活動
震災後行っていた津波の高さの調査結果をもとに測量を行い、
道路脇の電柱に津波波高の標識を設置する活動。

を全校生徒が積極的に取り組んでいます。

また、生徒が作成した「まち歩き案内マップ」を使い、
自分たちが設置した津波波高標識をたどりながら、
多賀城市内の被災状況を説明・案内する活動も行っているそうです。

最後に志津川高等学校

県内唯一の地域連携型中高一貫校であり、
南三陸町内の志津川中学校、歌津中学校と、
乗り入れ授業や部活動、生徒会交流を通して連携しています。

情報ビジネス科では、震災前より南三陸町の活性化を目的として
南三陸町モアイ化計画」を実施。
オリジナルの缶バッチやストラップの販売を行い、
町民バスや図書館の図書購入資金を町へ寄付していました。

志津川高校の防災学習として、
定期的に行っている防災訓練があります。

実際に起こりうる行方不明者の捜索など、毎年想定を変えて行い、
今年は休み時間に災害が発生したことを想定して訓練を実施。
消火栓を使った放水訓練も行いました。

他にも
弾道ミサイルや豪雨、土砂災害、火災、火山、竜巻、落雷、危険生物など
あらゆる災害について学習し、
社会に出てから「いつ、どこで、どのような」災害に遭遇しても
ある程度自分の身を守れるように考えられた内容となっています。

また、志津川高校には昨年発足した「防災クラブ」があり、
救急手当て法の知識を修得する他、
地域の子ども達を安全に導く役や、避難所でのサポート役にまわったり、
将来地域防災のリーダーを担うための能力を身につける目的で活動しています。

さらに、校内には震災指導室を設置。
当時の様子を伝える物品や、寄贈された物、
震災からこれまでの志津川高校の歩みがわかるような物を展示し、
震災の風化を防ぎ、次の世代に語り継いでいく役目を担っています。

今後は
自分たちだからできること、
行っていかなければならないことを考え、実践していくそうです。

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先日、政府から再び地震発生確率の発表がありました。
日本は地震大国ですから、いつ発生してもおかしくはありません。

それは何十年後かもしれないし、もしかしたら明日かもしれない。
その時に、自分の命を守るため。
東日本大震災で学んだ教訓を生かし、災害を知らない世代へ語り継いでいくこと。

その大切さを改めて実感することができた分科会でした。

各学校の生徒さんも、他の学校が行っている活動を知ることができ、
アイディアを持ち帰ってぜひ実践したいと話していました。

生徒の皆さんにとっても、参加した我々にとっても、
とても有意義な時間になったと思います。

一人一人の活動によって
一人でも多くの命が守られますように。

これからも途絶えることなく、
語り部として、防災・減災活動に取り組んでいくことを誓いました。

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震災を未来へつなぐために。「第4回全国被災地語り部国際シンポジウム in熊本」が開催されました。

皆さまごきげんよう、ゆきでございます。

今月8日~10日にかけて、九州の熊本にて、
「第4回全国被災地語り部シンポジウムin熊本」が開催されました。

当館からは、副社長、女将、語り部として伊藤部長、伊藤次長が参加しました。
プログラムは下記の通りです。

第4回全国被災地語り部国際シンポジウム in熊本
~多様な語りで未来へつなぐ~

<プログラム>
◆12月8日(土)
【第1部】10:30-11:45 熊本城での語り部(日本語・英語)

【第2部】14:15-16:00 先着順(150名)
●被災地の語り部講話
井上学 熊本市危機管理監
岡田美紀(日本語)野島断層保存館/池本啓二(英語)北淡震災記念公園震災の語りべボランティア
●パネルディスカッション
パネリスト
高城禎彦   宮城県 石巻観光ボランティア協会事務局長
長谷川重雄  長崎県 雲仙岳災害記念館語り部ボランティア
毛利聖一   熊本県 熊本日日新聞論説委員
黄嘉慧    台湾  921地震教育園区解説員
コメンテーター
植松浩二 熊本市副市長
阿部憲子 南三陸ホテル観洋女将
コーディネーター
山地久美子 大阪府立大学客員研究員/神戸大学地域連携推進室学術研究員

【第3部】16:15-17:45 語り部ワークショップ
第1分科会「被災地語り部から学ぶ~防災・減災・ネットワーク~」
第2分科会「復興・地域おこしと語り部」
第3分科会「次世代の語り部」 熊本県/宮崎県/兵庫県の高校生

【第4部】17:50-18:10 閉会 総括・「熊本語り部宣言」

【第5部】18:30-20:00 交流会 (熊本城を臨みながら)

◆12月9日(日)【第6部】8:00-17:00 <災害を風化させないための語り部バス>
限定60名 参加無料 (協力 熊本県)
熊本地震の災害遺構と語り部:熊本市内→御船町→南阿蘇村(東海大学阿蘇キャンパス1号館)→益城町→熊本市内

◆12月10日(月)【第7部】10:00-14:00 <雲仙普賢岳噴火災害オプショナルツアー> 現地集合/解散
雲仙岳災害記念館、語り部、土石流被災家屋保存公園ほか


12月8日の第2部パネルディスカッションでは、
当館女将がコメンテーターとして参加致しました。

 

 
当日は熊本市長をはじめ約170名もの方が集まり、
報道関係の方も大勢いらっしゃいました。

各地の皆さまが熊本に集い、経験を伝え、
意見交換、現状と課題、
これからの取り組みについて語り合う、
とても有意義な時間となりました。

熊本宣言を以下に記載致します。

【熊本宣言】
1. 私たちは、地域の歴史を学び、年月の経過とともに風化する災害の記憶を多様な形で伝え、残し、未来に活かすために実践します。
2. 4回のシンポジウムで広がった全国・海外の被災地間の交流を深め、ゆるやかなネットワークを一層広げていきます。交流により各地の災害、それぞれの語り部活動を理解することで、自らの活動の学びとします。
3. 被災の経験から復旧・復興へ向かうステージに沿った語り部活動を進めます。

被災地語り部として、時代・社会にあわせて、映像、写真、文字、歌、多言話、webなど新たな発信方法を工夫した活動を展開します。

シンポジウムの様子は、熊本日日新聞にも大きく取り上げられました。

※クリックで拡大します※

 

そして、来年2月24日(日)には、南三陸ホテル観洋にて
「東北被災地語り部フォーラム2019」を開催致します。

  東北被災地語り部フォーラム2019
~あの日から10年・100年・1000年先の未来へみんなが語り部~

11:00~震災を風化させないための語り部バス(オプション)※無料でご利用頂けます
    高野会館内部を含む案内コース
13:30~開会セレモニー
パネルディスカッション メインテーマ「みんなが語り部」~語ることの意味~
分科会①震災遺構の保存と役割を考える
分科会②災害を知る世代から知らない世代へつなぐ
分科会③「KATARIBE」(語り部)を世界へ

現在内容を詰めている最中でございます!
決まり次第当館HPフェイスブックツイッターにてご案内致します!

\南三陸にも、きてほしいモン!/
南三陸の開催も、どうぞよろしくお願いします!

【ご予約はこちらからどうぞ♪】


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☆次回のスターパーティーは来年1月7日・8日☆

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