地域を盛り上げたい!地盛券配布中!

こんにちは、トーマスです。
吹く風が春めいてきまして、
あたたかな行楽シーズンの予感に
うずうずしている方もいらっしゃるのでは?

南三陸へお出かけしたい貴方のために、
ホテルロビーの『ウミネコ案内所(観光案内所)』は
フロントの皆様が常に情報をアップデートしています!
是非オススメ情報をチェックして
地域のお店を回ってみてくださいね。

そして! お客様の観光のお手伝いと
今回はなによりも
「地域を盛り上げたい!」という思いから、
南三陸ではこの度、南三陸のお店で使える
500円分の利用券【地盛券(じもりけん)】
を発行しました!!

<地盛券(じもりけん)とは?>

全国的な観光・レジャー自粛の渦中にあって
地域のお店は大変な打撃を受けております。
そこで、南三陸にお越し頂いた皆様に
地元でお買い物をするきっかけになればと、
ホテル観洋にご宿泊のお客様へ
500円分の利用券を配布いたします。

<地盛券の配布・使い方について>
南三陸ホテル観洋にご宿泊の
大人のお客様を対象に、フロントにて
お1人様1泊につき1枚お渡しします。
チェックインからチェックアウトの
お日にちまでご利用いただけます。
券に記載された注意事項と利用期限を
必ずご確認ください。

チェックイン時、地盛券とセットでお渡しする
『利用可能店舗一覧』に掲載されている
町内のお店にてご利用可能です。
お買い物の精算時にお店の方にお渡しください。

※お釣りは出ませんのでご注意ください。
※いかなる場合も現金への換金は出来かねます。
※ホテルの宿泊料金には充当できません。館内消費は利用可
(宿泊料金に含まれない飲食代・売店など)

<配布期間>
2020年4月5日チェックインのお客様まで
ご好評につき、
2020年4月24日チェックインのお客様まで延長が決定いたしました。

今月3月13日から配布を開始した地盛券。
13日には利用券をゲットしたお客様から

「これで町にお買い物に行きたい」
「家族にお土産を買いたい」
「美味しいものを食べたい」

などなど、どんなお店で使えるかをチェックしながら
ワクワクしたお声が聞かれました(*’▽’)

南三陸てん店まっぷ加盟店と連携しているので、
まっぷに付属しているスタンプラリーも
楽しめて景品もゲットできちゃいます♪

全国的な自粛ムードで落ち込む地域経済に
活気を呼び戻す取り組みとして、
新聞やニュースでも取り上げられました!


3/10三陸新報


3/14毎日新聞

その他メディア掲載情報につきましては
メディアサンクスをご覧くださいませ。

今後も地域を盛り上げるべく、
地元の商店の皆様と楽しい企画を考えてまいります。

空気がきれいで、海の幸山の幸が美味しい南三陸へ
是非お越しくださいませ~!!

地域を盛り上げたい!地盛券配布中! への2件のコメント

「9年目の未来予想図」と「東日本大震災追悼セレモニー」

皆さん、こんにちは。カナです。

2020年3月11日。震災から9年目の日。

今年も「海の見える命の森」で桜の植樹が行われました。
数年、数十年先の未来予想図へ向けてボランティア様をはじめ、

地元の方にも数名お越し頂き、我々ホテルスタッフも現地へ。

前日10日に吹き荒んでいた雨はすっきりとやみ、晴れていて水平線まで
海景色を見ることができました。
当日の最初は三陸復興観光コンシェルジェセンター長の阿部様より、
集まって頂いた方々の紹介。
進行役として最初の顔合わせを進めて頂きました。

次に当館でも語り部ガイドを行っている後藤一磨様からは
一昨年植えたものは花芽が付き始めて成長を感じていること、
毎年少しずつ森が変わっていて様々な建設やキャンプ等の催し物などの
考えも膨らんできています。と笑顔を頂きました。

そのあとに南三陸で植樹活動を続けて頂いている
「NPO法人 桜並木ネットワーク」の桜野良充様より苗木の扱い方や、
植樹のやり方をレクチャー頂きました。

この後、グループに分かれてそれぞれ7~9本の桜の苗木を植樹。
植樹する場所にはあらかじめ印をつけて頂いているため、
穴を掘るところから開始となります。

しかし、もともと土だけの場所に植えているわけではなく、
自然の山を開拓し、木を切って作業をしているため
切り株が密集しているところは根っこが絡み合い、掘る作業も難航。
石もゴロゴロ出てきましたが、根っこは鎌で切り離しつつ作業を続けました。

掘った土と肥料を混ぜ合わせ、70㎝ほどの穴に少し入れた後、
苗木を印が出るくらいの位置で止め、残りの土を入れていきます。
その時、まだ苗木は細いため風にあおられれば折れてしまいますので、
支柱をたてて、この支柱に苗木を添えて布と紐で離れないようにくくります。

ボランティアの皆様もそれぞれの場所で。


海の見える命の森の未来予想図を完成させるために
山の斜面へ、バラバラの種類を植えていきます。

全部の植樹を終えた後は海を見ながら昼食。
南三陸大仏がある場所で皆で頂きました。

そして….実は清水寺の設計をまねて、デッキも作成中なんです。
【土足厳禁】です。お気を付けくださいませ。

将来的には、ここに小屋が出来ます。

今後は雨が降っても見学できるように小屋を建てたり、

小さな沢が流れる近くに井戸を掘ったり、

その周りを平地にしてキャンプ場にしたり…
海の見える命の森の未来予想図はまだまだ完成していません。

今年2020年、そして来年2021年の植樹予定はこんな感じ….

数十年先の未来には春になれば桜が満開になり、
山が桜色で鮮やかになる日がやってきます。

そして、この日は南三陸大仏が山頂に鎮座して初めての3.11。

追悼セレモニーの時間が近づくと近隣の住民の方も集まり、開会となりました。

最初は弊社副社長より、

・震災前は普通の山だったこの場所が震災後に皆様のお手をお借りし、
このような志津川湾を一望できる場所になった。
・今後10年・100年・1000年先もこの場所が
手を合わせる場所、そして震災の教訓を伝える場所、人々の心を癒す場所として
維持・管理していきます。 と挨拶を頂き、

次に当館で語り部ガイドを行って頂いている後藤様より、

・震災があった際、大学生がこの山を見て「もったいない」と
言ったことが「海の見える命の森」のスタート。
・「海の見える命の森」の名前の由来は景色。
志津川湾の一番奥まった扇の要にこの場所が位置することから名前がついた。
・9年目にして復興と思われるものはかなり進んでいるようにも思えるが
実際は復興そのものが自然を破壊している状況。
この地域がいつまでも人が穏やかに暮らせる場所であるように
海の幸とこの場所で共に生きていくことが重要。
・自然と人間の生活はどのようにつながりどんな関係にあるのか
そうゆうことも考え、今コロナウイルスが猛威を振るい、
共存しようとしているものを壊そうとしている現状が見えるとき、
9年目を迎えあの震災から気づいた気づきをもう一度思い返しながら新しい未来、
若い人たちが喜んで生まれ暮らせる地球をつくるために
ここで新たな決意をしてこの大仏様と礎にそう誓いたい。との挨拶がありました。

そして植樹でも様々な事をお教えいただいた
桜野様からも挨拶を頂戴いたしました。

・私が属する「NPO法人 桜並木ネットワーク」は
もともと2011年から植物を扱う者たちで結成した団体。
被災地で一時的なものではなく長く植物で出来ることは何かと考えた時、
現地から「桜の木を植えてほしい」と依頼がありこの日に至ります。
・このプロジェクトは3つの事が重なっていて、
「観光誘致、慰霊、学びの場所」
3.11の日がこの先やがて10年、この町の新しい光景をつくったり
もしくは語り継いでいく場所をつくる、
もしくは地域の財産になりうる光景をつくる。
このような場所をつくれる一員に加えて頂いたことに感謝でいっぱいです。

ボランティアで来ていた大学の方からも、

・先輩の代から続いているボランティア活動。
9年の間は「なんでボランティアに行かなきゃいけないの」という人もいましたが、
そこは半強制的にリーダーに連れてこられていました。
しかし、ボランティア活動をしたことがない人でもこの場所にきて活動をすると
「絶対また来たい」と言って帰っていくのが現状です。
・自分たちが初めて来たときは木ばかりだった場所がこんな風に変わったのが
信じられない。この活動はどこの大学を探しても見当たらないと思う。
・これからもこの場所であったことを語り継いでいきたいです
と挨拶を頂きました。

最後に一般社団法人 TSUNAGARI 勝又様から

・震災は普通の生活をしていたなかで、大地震、津波、放射能の問題、
色んなもので人生の考え方から全てがかわってきた。
この場所にくるたびに、思い返すたびに苦しくなることもある。
・しかしこの活動を通してたくさんの人たちに出会えてすごく心が充実して
前を向けているような気がする。
心の奥のほうではすごく不安といろんなものと葛藤しながら頑張っていますが
たくさんの感謝があってのボランティア活動活動ができていると思っていますので
これからも頑張っていきたい。と挨拶を頂きました。

この日は栗原市より2名の住職様にお越し頂き、
お経をあげていただきました。

そして、南三陸大仏へ献花を捧げました。


そして、14時46分。
あの日、大地震が沿岸部を襲った時刻。
志津川湾に向かい、黙祷。

この後、弊社女将より閉会の挨拶。

「今、14時46分。全国の皆さんが亡くなられた御霊に祈りを捧げました。
この海の見える命の森は皆様にご協力頂きながら
見晴らしのよい場所になりました。
桜の苗木の200~300本と数えるほどになってまいりました。
あの震災直後は片付ける事が多く、
片付けてさら地になったり、「初めから野原だったんですか」と
甚大な被害を受けた中心部を見た方々は仰いました。
この場所は10年が経てば、桜が美しく咲き誇るだろうと言われております。
どうかこれからも皆様の手をかりながらこの森がさらに美しい森になったり、
それから皆様が足を運びたくなる場所へ。
そして万が一、震災が起きた時。
この場所が命が助かる場所になりますように。

本日は足を運んでいただいた皆様、
そして想いを寄せていただいた皆様に感謝を申し上げながら
閉会の言葉とさせていただきます」

閉会の挨拶が終わった直後。
志津川湾のほうを振り返れば、大きな虹が架かっていました。

この虹は同じ時間に各沿岸地域で確認されています。
皆が見たのを分かったかのように数分で南三陸の虹は消えてしまいました。

今年で未曾有の大震災と呼ばれたあの日から9年。
来年は10年をむかえます。
今年なにができるのか、なにをしなければいけないのか。
個人で、皆で、考え共に歩んでまいります。

どうか変わらぬ笑顔・想いを東北へお寄せいただければ幸いです。
他人事ではなく自分事として防災・減災の学びを忘れず、
後世へ伝え続けていきます。

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第5回全国被災地語り部シンポジウム<オプションツアー>海の見える命の森

こんにちは、むっちゃんです。

本日は、先月24日と25日の2日間に渡り開催された
第5回全国被災地語り部シンポジウムin東北
オプションツアー 海の見える命の森
の様子をお伝えします。

海の見える命の森までは徒歩移動となります。
ご案内は、三陸復興観光コンシェルジュセンターの阿部寛行様。

約15分、歩いて麓まで到着しました。

ここから再び歩いて山頂を目指します。

その途中に置かれている材木には
今まで来られたボランティアの方々の名前が書かれています。
たくさんの方々のご支援により、今もなお整備が進められています。

山頂に着いて振り返ると、目の前には海が!

あいにく少し曇っていましたが
晴れの日は青々とした雄大な志津川湾を見渡すことができますよ。

山頂で海の見える命の森のご案内をしていただいたのは
南三陸復興みなさん会代表の後藤一磨様。

海の見える命の森は、志津川湾の海の要の位置にあります。
南三陸に降った雨は他の地域に流れ出ることはありません。
志津川湾のみに注がれ
海の水が綺麗であるか汚くなるかは我々の生活にかかっています。

東日本大震災当時、津波が船も家も、この景色さえもさらっていきました。
この地域に住む人の収入源は、ほとんどこの海からでした。

ボランティアの方々の手を借りて養殖を再開した頃
今までに見たことのない素晴らしいワカメが採れ、倍の値段で取引されました。
「ワカメさえ育てていればまたこの地域で暮らせる」「再び家が建てられる」
誰もがそう思いました。

牡蠣も安定した収入源でした。
たくさんの人が養殖をし、育ちは遅いもので約2年。
2年間育てなければ収穫できなかったのです。
しかし、震災の年の8月に新しい稚貝を入れ、半年後に開けてみると
2年経った牡蠣と同等な大きさに育っていました。

研究者に調査を依頼した結果
震災前、海底にあった1mを越すヘドロが
津波により綺麗さっぱり無くなっていたのです。

水質は50年若返ったと言われています。

津波は、単純に「悪い」「悲しい」ことばかりではありません。
人間が汚した自然を50年も若返らせるという驚異的な結果をもたらしました。

命をつなぐ、命の循環をここで一望でき、命を支えてくれる森
そこから「海の見える命の森」と名付けました。

津波のあと、当たり前にあった全てが何もかもなくなりました。
便利な道具も無く、燃料や電気も何もない状況で人が生きる
そういった体験ができる場所になればと考えています。

こちらは、ミャンマー連邦共和国の
Nay Myo Aung氏
Maung Htet Myat Oo氏より御寄贈頂いた南三陸大仏です。
開眼法要の様子はこちら→「南三陸大仏」開眼法要

新しく設置したバイオトイレの他にも

現在、テラスと小屋の建設作業中です。
清水寺の舞台のような
地面を掘らずにテラスを作り、三坪の小屋を作ろうと計画しています。
傍にわざと木を残したのは、日差しや真っ向からくる海風を防ぐためです。

最後、ご参加いただいた皆さまには海へ向かって黙とうを
そして、集合写真を撮影しました。

海の見える命の森は、いつでも、どなたでも出入り自由です。
ご宿泊のお客様も、日帰りのお客様も、付近を散策したい時にオススメです。
季節によって山の表情は変わりますので
一度行ったことがある方も、何度でも足をお運びくださいませ。

植樹された桜が咲いたらお花見を。
小屋とテラスが出来たら夏は涼みにこの場所で。
キャンプも出来る場所になったら一層賑わいを増すでしょう。

海の見える命の森の未来が楽しみです。

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第5回全国被災地語り部シンポジウム<分科会③>未来への伝承~震災遺構と私たちの向き合い方~

こんにちは、むっちゃんです。

24日と25日の2日間に渡り
第5回全国被災地語り部シンポジウムin東北が開催されました。

本日は、その時の
分科会③ 未来への伝承~震災遺構と私たちの向き合い方~
の様子をお伝えします。

コーディネーターは
小さな命の意味を考える会・大川伝承の会 共同代表の佐藤敏郎様

パネラーは
志津川高等学校、多賀城高等学校、向洋高等学校
釜石高等学校、階上中学校の生徒の皆さま

サポートとして
東北学院大学の雁部那由多さん
釜石高等学校の洞口留伊さんにお越しいただきました。

分科会のタイトルになっている通り
今回のテーマは「震災遺構との向き合い方

東日本大震災からまもなく9年が経過しようとしています。
当時を知らない人たちへ伝承し続けていくため
各地には震災遺構が多数あります。

しかしながら、震災遺構という存在に賛成の方ばかりではありません。
震災を風化させないためにどう向き合っていくべきなのか
各々日々の活動報告と共に話し合いました。

①階上中学校

階上中学校は昨年10月より
ボランティア活動として気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館で
館内ガイド(語り部活動)を行っています。
(活動に参加しているのは3年生5名、2年生13名、1年生7名の計25名)

2019年9月23日の第一回練習会で
震災伝承ネットワークの方々から語り部を教わり活動開始。
2019年9月29日の第二回練習会では、前回学んだことを活かし
当日来観していた階上中学校の同窓生の方々のガイドを担当しました。

日本人だけでなく、JICAの方々や、ACCU中国教職員の方々など
海外からのお客様へのガイドも担当しています。

2019年11月24日には
来館された安倍晋三内閣総理大臣のガイドを代表して3年生5名が担当。
他にも防災フォーラムへの参加や、勉強会も行っています。

館内ガイド(語り部活動)を始めたきっかけは
実際に語り部をやっている人を見て「やってみたい」という気持ちになったから。
最初は難しくて大変だったけれど、今では緊張も薄れ
しっかりと伝えられるようになったそうです。

語り部活動を行う中で工夫しているのは
津波の怖さを分かってもらえるように正確に伝えること。
伝承館へ来る人たちは実際に津波を見ていない人が多いので
ただ語るだけではなく、逆に質問をして興味を持ってもらえるよう工夫しています。

階上中学校では、この語り部活動に力を入れています。
伝承館でしか見れない、聞けない話がたくさんあるので
ぜひ自分の目や耳で体験してほしいと考えています。

②多賀城高等学校

多賀城高校の教育目標は
「さとく ゆたかに たくましく」という
知性の伸長、人格の尊重、心身の健康を掲げています。
約800名の生徒が通い、災害科の開設から4年目を迎えました。

東日本大震災当時、市内の防災無線は聞こえず、情報がほとんど無い中
帰宅可能な生徒には帰宅許可が出ましたが、帰宅途中で津波に遭遇し
歩道橋へ避難、そこで一晩過ごした生徒もいたそうです。

そういった経験から、震災後すぐに津波波高標識設置活動を開始。
市内を襲った津波がどのくらいの高さだったのか
塀や壁に残った跡から波の高さを調査。
測量を行い、道路脇の電柱に津波波高を示す標識を設置したことにより
震災の伝承だけでなく、通学路の安全や通行人への注意喚起としての
役割も果たしています。

しかし、標識の設置は簡単ではありません。
その都度、電柱への設置許可願いと設置後の報告が必要であり
中でも一番の課題だったのは住民の方々の理解です。
自宅前の電柱に標識を設置することは必ずしも快いことではなく
できれば津波のことは思い出したくないという方もおりました。
そのため、生徒会で多賀城市にお願いし
各自治会長に集まってもらって活動の趣旨を説明。
様々な意見がありましたが、最終的には
「高校生がいる活動なら応援する」という言葉を頂き本格的に活動を開始。
これまで設置した標識は100ヶ所を超えています。

東日本大震災からまもなく9年。
建物の建て替えや塗り替えで津波の痕跡が消失してきている中
津波被害にあった家や企業を実際に訪れ、当時の様子を聞き
今度は波高標識を壁に設置する新たな活動を行っています。

他にも、まち歩きといった
津波波高標識をたどりながら、学校を訪れた方々に被災状況を説明し
案内するという活動も行っています。

生徒が手書きで作成した案内マップを持ち
津波が襲来した場所を歩き、津波の高さを実際に感じてもらいながら説明します。
活動を続ける中で
沿岸部と内陸部の方々の津波に対しての意識に差を感じたそうです。

さらに、東日本大震災メモリアルデーを毎年開催し
全国の高校生約200名と様々な意見を交換し、連携を深めています。
震災遺構である荒浜小学校などで被災地スタディツアーを行ったり
グループごとでワークショップを行い意見交換をしたり
ポスターセッションでお互いの活動を紹介したりしています。

津波波高標識を設置することで震災の痕跡を未来に残し
まち歩きを行うことで津波被害について理解を深めてもらう活動を通し
高校生にも防災・減災活動として震災の伝承ができると実感。
これからも風化させないよう、自分たちが学び続けるだけでなく
たくさんの方々に発信していきたいと考えています。

③向洋高等学校

向洋高校は、地域防災リーダーとして全国の視察や語り継ぐ勉強と
VFCというボランティアフレンドリーサークルの活動として
ボランティア活動をしながら防災についての勉強を日々行っています。

④釜石高等学校

釜石市が主催の、年齢制限や震災の経験などを問わずに募集している
大震災釜石の伝承者(震災の教訓を語り継ぐ意思のある人)という資格を取得。
ラグビーワールドカップの時や、友人や家族など身近な人へ
防災を語り継ぐ活動を行っています。

活動報告のあとは、コーディネーターの佐藤様よりこんな話がありました。

中学校の国語教諭を担当していた頃
震災の翌年に俳句の授業をした際に
コンビニの 窓に汚い 水の跡
という句を詠んだ生徒がいたそうです。

震災直後の1年、2年目頃までは、どこを見てもここまで津波がきたという
事実を目で知ることができていました。
間もない頃は、コンビニの窓も震災遺構だったのかもしれません。

建物の上にバスが乗っていたり、陸に船が乗り上げていたり
それが今では解体され、もしくは自然消滅となっています。

震災遺構は
①保存 ②解体 ③未定
の3つの道をたどると考えられています。

何故残すのか
保存や解体、未定という選択にあたって何か課題があるのではないか
そういったことも含め、各グループでフリートークを行いました。

話し合いの中で生まれた課題などは下記の通りです。

・形あるものいずれは壊れてしまう。どうやって保存し続けていくのか。

・語り部活動を行っているが、それは地域の人たちに本当に浸透しているのか。

・保存したい派と保存したくない派で意見がぶつかっている。
保存したい派は、震災遺構を見て感じて後世に伝えていくため必要だと考えている。
保存したくない派は、震災の気持ちを思い出したくないという気持ちが強い。
この2つの意見をどうやったら釣り合わせることができて、折衷案を出せるのか。

・保存するためには年単位で維持費がかかる。
その維持費をどこまで落とすことができるのか。

・震災遺構は伝承していくために必要不可欠。記録された映像とはまた違う。
しかし、それを見て、つらい思いをする人への考慮も必要。

・震災遺構を見ると、当時の悲しい記憶を思い出す人も多いが
その悲しみがあるからこそ、津波や震災の恐ろしさがリアルに伝わって
防災や減災に繋がるのではないかと思う。

確かに、震災遺構は記憶を風化させず伝承していくために必要であると思います。
現物を残すことで伝わることがあるけれど
現物が残っていることによりつらい思いをしている人も少なくありません。

震災遺構の中で、たくさん人が助かった場所もあれば
たくさん人が亡くなった場所もあります。
じゃあ、人が助かった場所を残し、亡くなった場所を壊そう
そんな簡単な話でもありません。

サポートの雁部那由多さんは言いました。

「例えば、自分が通っていた小学校が震災遺構になったとしたら
助かった立場からしたら残してほしいと思うし
働いていた先生が仮に亡くなったとしたら反対すると思う。
自分の中でも、当時の立場が違ったら全然違う意見になるのではないか。
これが震災遺構の難しさ。
大事なのは伝える側からしたらどうなのか
地域の人たちからしたらどうなのかをすり合わせていくこと。
一番は色んな立場の人から賛成反対も含め色んな意見をどんどん聞くこと。
対立とはいかなくても結果的にはお互いに考える良いきっかけになる。
保存、解体とは別にある未定という選択肢は個人的にはとてもいいと思う。
どちらか決められる時がきたら決めるというやり方もあり。
震災遺構が誰にとってどんな意味を成すのかを意識していくことが大事」

残すのか、壊すのか。
答えはどちらか1つ。
けれど、どちらも間違いではありません。

だからこそみんなの想いを共有しあって
壊すのであれば残したいという人の気持ちを
残すのであれば壊したいという人の気持ちを汲んだ残し方を
将来見つけていければいい、と佐藤様は語ります。

「もちろん、遺族や当事者の気持ちは大事。
けれど、震災遺構は彼らのためだけにあるのではなく
50年後、60年後の震災を知らない人たちのため
県外などの遠い地域の人たちのためにもあると思う。
何十年後の未来、宮城県や岩手県などの地域に足を運んだ人は絶対に思うはず。
『何で昔の人はこれを残したんだろう』と。
そこに届くような言葉や活動をしていきたいと今日改めて思った」

この分科会に参加した全員にとって
とても有意義で貴重な時間になったと思います。

この場で出た震災遺構に対しての意見はどれも間違いではありません。
きっと、正解でもないでしょう。
それでも、良い話し合いのきっかけとなったことに変わりありません。

一人一人の活動によって
一人でも多くの命が守られますように。

これからも途絶えることなく
語り部として、防災・減災活動に取り組んでいくことを誓いました。

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第5回全国被災地語り部シンポジウム㏌東北~【第2部】~

皆さん、こんにちは!カナです。

さて今日は先週2月24日・25日の2日間にわたり開催された
「第5回全国被災地語り部シンポジウム㏌東北」について
数回に分け、様子をご報告させていただきます。

第2部全てを掲載するため長くなりますが ぜひご覧くださいませ。

当日参加したスタッフのブログ更新日がバラバラなので
シンポジウムの流れが順不同になる事をご了承くださいませ。

まず、私が参加させていただいたのは「第2部」より。
【オープニングセレモニー】から始まりました。

あの日、当日は約400名の参加者の方にお集まりいただき
主な会場となった「羽衣」は報道陣の方も含め満席。

震災から9年を迎える今年。しかしながら、復興はまだ道半ばのところも残っております。

オープニングセレモニーの最初は実行委員長の
弊社、阿部副社長よりご挨拶を頂き、

2016年1回目南三陸町で開催したシンポジウムが
兵庫県淡路市、熊本市などの開催を含み
5回目となり再び南三陸町で開催できること、
昨年、第14回マニュフェスト大賞最優秀コミュニケーション戦略賞を
頂戴したこと、これは弊社だけではなく
震災を語り継ぐ活動を行ってきた語り部の皆様、
ご参加されている皆様と共に歩んできた事が評価され受賞した事、
自然災害は地球規模の気候変動による災害が世界各地で多発していて
シンポジウム開催の意味が年々深くなってきていると思っていること等の話の後

この後、改めてシンポジウムの主旨が参加者皆様に伝えられ、
開会の挨拶となりました。

次に国土交通省東北地方整備局 局長の佐藤克英様にご挨拶を
代理の佐々木貴弘様に代読頂きました。

昨年起きた台風19号の甚大な被害。
国土交通省では被災した地域の河川・道路等の緊急路の復旧や
自治体支援をおこない、今も被災された方々の一日も早い生活再建を。
そして、震災から来月で9年の月日が経ちますが
相次いで「復興道路」の開通などが見られ、着実に復興へ歩みを進めているのが分かる、ということ。
「KATARIBEを世界へ」
この言葉が南三陸より世界へ、未来へ繋がっていきますよう
皆様と共に考えていきたいと思っております。などの挨拶がございました。

この後は政策研究大学院大学客員教授であり、
元国土交通省事務次官の徳山日出男様に【基調講演】を行って頂きました。

演題は「教訓が命を救う-「語り部」のもつ尊い使命」

徳山様は震災直後より救助部隊を各地へ送り込むルート確保を最優先し、
緊急物資の搬入や医療チームを迎え入れるために行動をした方です。
この行動がのちに「くしのは作戦」と命名され、救援と救助活動を支えました。
そのあとは津波の爪痕を伝えるため、伝承施設や震災遺構を通じて
東北から情報を発信しています。

基調講演の内容としましては、
・津波や自然災害の歴史を伝える建物(伝承館など)は
日本だけではなく外国にも存在し、日本とは違った展示の仕方で
教訓や救助活動の様子を伝えている場所がある。ということ。

・東日本大震災から今年で9年。来年は10年を迎え、
注目や関心が集まる最後の山場となるかもしれない。
その時が来るまでこの1年を復興へ向かうこの場所で
どのように過ごし、伝えていかなくてはならないのか。

・日本は「一定規模の災害は防げるようになった」が、
「地域単位ではいきなり巨大災害に直面する」こともある。
その際、「まさか繰り返されるとは思わなかった」
「ちゃんと逃げればよかった。やっとわかった」ではなく、
それを防止するための知識が必要だkが、
教訓や備え、組織の重要さが伝わっていない事も現状としてあげられる。

日本は「災害列島」ここに住むという意識を欠いてはいけない。こと。

・「震災を風化させてはいけない」
「災害の悲惨さ、亡くなった方々のことは忘れてはならない
しかし、同時に命を守るための教訓もつたえていかなくてはならない
命がけで戦った人々の記録、助け合った人々 有効だった備え。
それは歴史そのものであり、
「災害の悲惨さ」だけではなく、「それを乗り越える知恵」を伝えていくことで
災害は知識と備えで乗り越えることができる。ということを後世へ伝えていかなくてはならない。

・教訓が「いのち」を救う。備えることで救える「いのち」がある。
学ぶことで助かる「いのち」がある。

【教訓は世代を超えて伝えていかなくてはならない】

上記の講演が画像を交え行われました。

次に【メインディスカッション】が行われました。

オープニングプレゼンツでは、
奥田梨智さんが「あいたいよ パパ」を朗読。
こちらは第60回「晩翠わかば賞」の受賞作品となっております。

佐藤光莉さんはプレゼンテーションにて「チャレンジ 語り部になる」を発表。

次に
「コーディネーター」として
宮城県南三陸町・一般社団法人復興みなさん会代表 後藤一磨様をお迎えし、

パネラーは、
兵庫県淡路市・北淡震災記念公園総支配人 米山正幸様

岩手県釜石市・浜辺の料理宿「宝来館」女将 岩崎昭子様

宮城県気仙沼市・気仙沼震災復興・企画部長 小野寺憲一様

東京都・クリエイター 映画「一陽来復」監督 尹 美亜様

コメンテーターとして、仙台市・民俗研究家 結城 登美雄様

テーマは「語り部の未来」
後藤様がそれぞれのパネラー様へ質問を投げかけ、意見交換のような流れとなりました。

まず初めに、米山様へ
「阪神淡路大震災からずっと25年語り部を続けてきた米山様から見て
東日本大震災の9年とはどのようなものですか」に対し、

・阪神淡路大震災で被害を受けた場所は復興しているものの、
「震災遺構」「伝承」と皆様にお伝えするものが数少ない。
しかし東日本大震災では「写真」や「動画」がのこっている。
当時の様子を物語ってくれるのはやはり、様子がわかるもの。
復興が進むにつれなくなっていく震災を語る「物」
しかし、「震災遺構」として遺ったものについては
これを様々な世代へ伝えていかなくてならない。
フォーラムやシンポジウム等を通して一人でも多くの方と情報を共有出来たらいいと思います

 

岩崎女将様へ
「女将様にとって東日本大震災の経験はどのようなものでしたか」に対し、

・お越しいただいた皆様に震災後から今までの経緯を
お伝えし、関心を持っていただけるようになった。
しかし、自分は「語り部」ではなくあくまで伝えていただけ。
全てを語る事はできなくても、語り部には多様な形があって
いいと思います。

・「震災で自分自身が変わった」とは思いません。
変わったのではなく、今まで通り一生懸命に一つの事を行って
「生き残った」役割をつとめていければ、
先人の方がそうしてきたように生きて伝えていくのが
自分の役割だと思います。

 

小野寺様へ
「震災直後から行政として取り組んだこと。
法や制度が壁になったことまたは制度の拡大解釈などで可能になったこと
行政としてできたこと、できなかったこと。
これから取り組んでいかなければならない事をお聞かせください」に対し、

・震災直後から「地域の課題解決なしにして真の復興なし」を言葉に、
「復興」という「まちづくり」をすすめてきた。
そしていかに「気仙沼」という町を、今の状況を進めていくか。と思った時、
まちづくりをするにあたり、土台となるのは
「地域資源(人材、歴史、文化、自然、地理)」であり、
そこにその地域に住む人々の想いや課題が加わっていく。
「気仙沼」という場所に他地域のシステムをもってきて融合できるのかと言えば
それは不可能で、しかし「ヒント」や「考え方」はもってこれるため、
それを地域資源にあてはめ融合させる事によりまちづくりを行うことができる。

・しかしながら気仙沼は水産業が既存産業としてあり、
震災前も震災後も「魚がとれたからよかった」「とれなくてこまった」など、
その考えた方では、これからの未来10年、15年したときに
国から東日本大震災の復興は失敗した。と言われかねない。
その為にも、若い世代中高生を中心に震災のこと、
町の事を伝えていく活動が大切になる。これを柱にできれば、中高生も自分自身への教訓にもなるし、
同世代の人へ伝えることもできる。
我々も一緒に徹底して行っていくべきだと感じています。

 

尹 美亜様へ
「岩手、宮城、福島を映画撮影、取材で何回もまわりここで感じた事思ったこと
そして一陽来復をなぜ そして作る前と作った後で感じた事はなんでしょうか」に対し、

・映画作成のための取材を行っていく中で最終的に響いてきた言葉が、
「人は繋がることで生きていける」という言葉。
災害時も人が寄り添い支えあうことでものすごい力を発揮できると感じた。

・「語り部」というのは2種類あると考える。
「誰が伝えるのか」「誰が受け取るのか」
もし仮に一方通行のみだけなら意味を成さない事が取材する中で思いました。

・語り部や伝えていくにあたり、
一番大切なのは「魂がどれだけ震えるか」だと感じます。
「数字」などは忘れてしまうが感動した事はいつまでも覚えている事が多い為、
いかに伝える側が受け取る側の魂を震えさせるのかも大切になってくる。

・「魂が震える語り部」も必要ではあるものの、
「吐き出す語り部」も必要だと感じた。震災から5-6年が過ぎたころの取材は
「こんなに話したのは初めてだ」「整理がついた気がする」等、
外部から来た人に対して話せた。と言うにもあったと言うことでしたが、
先の岩崎女将様が仰られたように多様な語り部があっていいと思いました。

 

4名のコーディネーター様のまとめとして、
民俗研究家の結城登美雄様は、

・語り部をおこなっていくうえで大切なものは
「その土地を生きてきた人」
「これからその土地で生きていく人」の想い。
語りかけるだけではなくその土地を生きている人達の悩みに耳を傾けること。
課題を解決するだけではなく、人間には「期待」や「願い」と言った思いもある、
解決をしたその先にあるもの、なくてはならないものを
語る人だけではなく、地域の方々と共に考えることが必要になっていく。

・様々な話を聞いていくうちに「石碑」ではなく、
木でつくった「木碑(もくひ)」にすれば伝承も繋がっていくのでは。という考えがうまれた。
木で内容を伝え見えなくなったらまた建て直す。
そのたびにそこで何があったのかを思い出せるだろう。という考えもある。
・人とのつながりを絶ってしまっては復興するにもできないものがある。
これから先、どのようにしていくか、今この場所にいる皆さんと一緒にこれからも考えていければと思います。

約2時間半にわたる第2部でございましたが、
9年目、そして10年目を迎えるにあたり何が必要なのか、
必要になっていくのかが見えてくるような内容でございました。

まだご報告をしていない分科会や交流会、
2日目に関しましても、後日掲載いたします。

ぜひ、皆様も他人事とは思わず自分事として
ご覧いただければ幸いです。

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