こんにちは、むっちゃんです。

24日と25日の2日間に渡り
第5回全国被災地語り部シンポジウムin東北が開催されました。

本日は、その時の
分科会③ 未来への伝承~震災遺構と私たちの向き合い方~
の様子をお伝えします。

コーディネーターは
小さな命の意味を考える会・大川伝承の会 共同代表の佐藤敏郎様

パネラーは
志津川高等学校、多賀城高等学校、向洋高等学校
釜石高等学校、階上中学校の生徒の皆さま

サポートとして
東北学院大学の雁部那由多さん
釜石高等学校の洞口留伊さんにお越しいただきました。

分科会のタイトルになっている通り
今回のテーマは「震災遺構との向き合い方

東日本大震災からまもなく9年が経過しようとしています。
当時を知らない人たちへ伝承し続けていくため
各地には震災遺構が多数あります。

しかしながら、震災遺構という存在に賛成の方ばかりではありません。
震災を風化させないためにどう向き合っていくべきなのか
各々日々の活動報告と共に話し合いました。

①階上中学校

階上中学校は昨年10月より
ボランティア活動として気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館で
館内ガイド(語り部活動)を行っています。
(活動に参加しているのは3年生5名、2年生13名、1年生7名の計25名)

2019年9月23日の第一回練習会で
震災伝承ネットワークの方々から語り部を教わり活動開始。
2019年9月29日の第二回練習会では、前回学んだことを活かし
当日来観していた階上中学校の同窓生の方々のガイドを担当しました。

日本人だけでなく、JICAの方々や、ACCU中国教職員の方々など
海外からのお客様へのガイドも担当しています。

2019年11月24日には
来館された安倍晋三内閣総理大臣のガイドを代表して3年生5名が担当。
他にも防災フォーラムへの参加や、勉強会も行っています。

館内ガイド(語り部活動)を始めたきっかけは
実際に語り部をやっている人を見て「やってみたい」という気持ちになったから。
最初は難しくて大変だったけれど、今では緊張も薄れ
しっかりと伝えられるようになったそうです。

語り部活動を行う中で工夫しているのは
津波の怖さを分かってもらえるように正確に伝えること。
伝承館へ来る人たちは実際に津波を見ていない人が多いので
ただ語るだけではなく、逆に質問をして興味を持ってもらえるよう工夫しています。

階上中学校では、この語り部活動に力を入れています。
伝承館でしか見れない、聞けない話がたくさんあるので
ぜひ自分の目や耳で体験してほしいと考えています。

②多賀城高等学校

多賀城高校の教育目標は
「さとく ゆたかに たくましく」という
知性の伸長、人格の尊重、心身の健康を掲げています。
約800名の生徒が通い、災害科の開設から4年目を迎えました。

東日本大震災当時、市内の防災無線は聞こえず、情報がほとんど無い中
帰宅可能な生徒には帰宅許可が出ましたが、帰宅途中で津波に遭遇し
歩道橋へ避難、そこで一晩過ごした生徒もいたそうです。

そういった経験から、震災後すぐに津波波高標識設置活動を開始。
市内を襲った津波がどのくらいの高さだったのか
塀や壁に残った跡から波の高さを調査。
測量を行い、道路脇の電柱に津波波高を示す標識を設置したことにより
震災の伝承だけでなく、通学路の安全や通行人への注意喚起としての
役割も果たしています。

しかし、標識の設置は簡単ではありません。
その都度、電柱への設置許可願いと設置後の報告が必要であり
中でも一番の課題だったのは住民の方々の理解です。
自宅前の電柱に標識を設置することは必ずしも快いことではなく
できれば津波のことは思い出したくないという方もおりました。
そのため、生徒会で多賀城市にお願いし
各自治会長に集まってもらって活動の趣旨を説明。
様々な意見がありましたが、最終的には
「高校生がいる活動なら応援する」という言葉を頂き本格的に活動を開始。
これまで設置した標識は100ヶ所を超えています。

東日本大震災からまもなく9年。
建物の建て替えや塗り替えで津波の痕跡が消失してきている中
津波被害にあった家や企業を実際に訪れ、当時の様子を聞き
今度は波高標識を壁に設置する新たな活動を行っています。

他にも、まち歩きといった
津波波高標識をたどりながら、学校を訪れた方々に被災状況を説明し
案内するという活動も行っています。

生徒が手書きで作成した案内マップを持ち
津波が襲来した場所を歩き、津波の高さを実際に感じてもらいながら説明します。
活動を続ける中で
沿岸部と内陸部の方々の津波に対しての意識に差を感じたそうです。

さらに、東日本大震災メモリアルデーを毎年開催し
全国の高校生約200名と様々な意見を交換し、連携を深めています。
震災遺構である荒浜小学校などで被災地スタディツアーを行ったり
グループごとでワークショップを行い意見交換をしたり
ポスターセッションでお互いの活動を紹介したりしています。

津波波高標識を設置することで震災の痕跡を未来に残し
まち歩きを行うことで津波被害について理解を深めてもらう活動を通し
高校生にも防災・減災活動として震災の伝承ができると実感。
これからも風化させないよう、自分たちが学び続けるだけでなく
たくさんの方々に発信していきたいと考えています。

③向洋高等学校

向洋高校は、地域防災リーダーとして全国の視察や語り継ぐ勉強と
VFCというボランティアフレンドリーサークルの活動として
ボランティア活動をしながら防災についての勉強を日々行っています。

④釜石高等学校

釜石市が主催の、年齢制限や震災の経験などを問わずに募集している
大震災釜石の伝承者(震災の教訓を語り継ぐ意思のある人)という資格を取得。
ラグビーワールドカップの時や、友人や家族など身近な人へ
防災を語り継ぐ活動を行っています。

活動報告のあとは、コーディネーターの佐藤様よりこんな話がありました。

中学校の国語教諭を担当していた頃
震災の翌年に俳句の授業をした際に
コンビニの 窓に汚い 水の跡
という句を詠んだ生徒がいたそうです。

震災直後の1年、2年目頃までは、どこを見てもここまで津波がきたという
事実を目で知ることができていました。
間もない頃は、コンビニの窓も震災遺構だったのかもしれません。

建物の上にバスが乗っていたり、陸に船が乗り上げていたり
それが今では解体され、もしくは自然消滅となっています。

震災遺構は
①保存 ②解体 ③未定
の3つの道をたどると考えられています。

何故残すのか
保存や解体、未定という選択にあたって何か課題があるのではないか
そういったことも含め、各グループでフリートークを行いました。

話し合いの中で生まれた課題などは下記の通りです。

・形あるものいずれは壊れてしまう。どうやって保存し続けていくのか。

・語り部活動を行っているが、それは地域の人たちに本当に浸透しているのか。

・保存したい派と保存したくない派で意見がぶつかっている。
保存したい派は、震災遺構を見て感じて後世に伝えていくため必要だと考えている。
保存したくない派は、震災の気持ちを思い出したくないという気持ちが強い。
この2つの意見をどうやったら釣り合わせることができて、折衷案を出せるのか。

・保存するためには年単位で維持費がかかる。
その維持費をどこまで落とすことができるのか。

・震災遺構は伝承していくために必要不可欠。記録された映像とはまた違う。
しかし、それを見て、つらい思いをする人への考慮も必要。

・震災遺構を見ると、当時の悲しい記憶を思い出す人も多いが
その悲しみがあるからこそ、津波や震災の恐ろしさがリアルに伝わって
防災や減災に繋がるのではないかと思う。

確かに、震災遺構は記憶を風化させず伝承していくために必要であると思います。
現物を残すことで伝わることがあるけれど
現物が残っていることによりつらい思いをしている人も少なくありません。

震災遺構の中で、たくさん人が助かった場所もあれば
たくさん人が亡くなった場所もあります。
じゃあ、人が助かった場所を残し、亡くなった場所を壊そう
そんな簡単な話でもありません。

サポートの雁部那由多さんは言いました。

「例えば、自分が通っていた小学校が震災遺構になったとしたら
助かった立場からしたら残してほしいと思うし
働いていた先生が仮に亡くなったとしたら反対すると思う。
自分の中でも、当時の立場が違ったら全然違う意見になるのではないか。
これが震災遺構の難しさ。
大事なのは伝える側からしたらどうなのか
地域の人たちからしたらどうなのかをすり合わせていくこと。
一番は色んな立場の人から賛成反対も含め色んな意見をどんどん聞くこと。
対立とはいかなくても結果的にはお互いに考える良いきっかけになる。
保存、解体とは別にある未定という選択肢は個人的にはとてもいいと思う。
どちらか決められる時がきたら決めるというやり方もあり。
震災遺構が誰にとってどんな意味を成すのかを意識していくことが大事」

残すのか、壊すのか。
答えはどちらか1つ。
けれど、どちらも間違いではありません。

だからこそみんなの想いを共有しあって
壊すのであれば残したいという人の気持ちを
残すのであれば壊したいという人の気持ちを汲んだ残し方を
将来見つけていければいい、と佐藤様は語ります。

「もちろん、遺族や当事者の気持ちは大事。
けれど、震災遺構は彼らのためだけにあるのではなく
50年後、60年後の震災を知らない人たちのため
県外などの遠い地域の人たちのためにもあると思う。
何十年後の未来、宮城県や岩手県などの地域に足を運んだ人は絶対に思うはず。
『何で昔の人はこれを残したんだろう』と。
そこに届くような言葉や活動をしていきたいと今日改めて思った」

この分科会に参加した全員にとって
とても有意義で貴重な時間になったと思います。

この場で出た震災遺構に対しての意見はどれも間違いではありません。
きっと、正解でもないでしょう。
それでも、良い話し合いのきっかけとなったことに変わりありません。

一人一人の活動によって
一人でも多くの命が守られますように。

これからも途絶えることなく
語り部として、防災・減災活動に取り組んでいくことを誓いました。