皆様こんにちは、マッキーです。
今回は2月24日と25日に開催されました、
第5回全国被災地語り部シンポジウムin東北についてです。

紹介するのは、第3部分科会②「語り部として生きること、前へ進むこと
(上手くまとめきれていないかもしれませんが、ご了承くださいませ)

今回はコーディネーターに
研修旅行でもお世話になりました
陸前高田被災地語り部くぎこ屋代表の「釘子 明」様

東日本大震災の際には全国からの支援を受けたので、
皆様に語り部として震災の事を伝えたい
阪神淡路大震災や中越地震が起きた中、
まさか自分の身に起こるとは思っていなかったので
この思いを二度とさせたくない為語り部になったとの事です。

ゲストスピーカーは、
三陸ひとつなぎ自然学校代表の「伊藤 聡」様

釜石のホテル宝来館のスタッフとして働いていた際に東日本大震災に遭われました。
観光による地域づくり、若者の社会・防災教育の為に、
自分の経験を基に語り部や復興プロセスのガイドを行っています。

ツーリズムリアス代表の「加藤 英一」様

3年前までホテル望洋を経営
震災当時や震災直後に多くの人を受け入れて、
ほぼ一次避難所みたいな形になったとの事。
多くのボランティアが訪れる中、
今度は何ができるかとの事で現在は語り部等の仕事をされています。

3名の自己紹介の後は…

和気あいあいと語り部に関する色々な悩みやお話を
キャッチボールをしながら進めていくスタイルでした。

まずは、気仙沼おとひめ会の「吉田 千春」様より、

加藤様に、
Q:学生にどのような事を伝えて未来に向けてどう生きたらいいのか伝えたか。
A:津波が来て、このような被害があってこのような生活で今は途上でまだまだという事を話しています。
でも実際は何が起こったいうよりは、心の問題だと思う。
心が繋がった子供達は何度も来るし、
お互いの心のふれ合いによって
震災後は若者含め人間関係が濃密になったと思います。
震災の防災・減災と一緒に心の在り方(人のつながり)を伝えていきたいとの事です。

伊藤様には、
Q:事実を伝えて未来という事でどのように子供達にバトンを渡していくか。
A:まだ模索中ではあるが、
私は大学生を受け入れて泥掻きからスタートしていた。
たまたま大学生の影響を受けて、
復興に向けてのまちづくり、次のまち・未来を担う若者を育てる事が重要だと気付いた。
その為には高校生が活躍する場・伝承に関わる場を作る必要があります。
風化とは個人的に、外の意識が低くなる・次世代が3.11の事を気にしなくなる事だと考えています。
その為に語り部活動をしていて、
自分の話+他のガイド+岩手大学の先生の内容や表現をミックスして、
一番標準的なテキストを作り、一人でも多くの語り部仲間を増やす為活動を行っています。

釘子様には、
Q:避難所の運営について
A:男性のみだと目線が偏るため、女性のスタッフも入れた。
・女性はやり繰り上手なので、
お食事や子供を活かすという意味で力を発揮していただいた。
・専門知識のある方を適材適所に入ってもらうようにした。
例)食堂のおばちゃん⇒炊き出し・食事作りの担当
・ラジオ体操など子供達の力を借りる事にも努めました。

気仙沼市役所震災復興・企画部長の「小野寺 憲一」様より、

加藤様には、
Q:未災地から応援が来る・学生が来た理由
A:震災前に知人の大学生が自転車での旅行に望洋に泊めたのが縁で、
震災直後、報道ステーションの取材を受けた所
その時宿泊した学生が望洋に来てくれた。
知人の若者など多くの人が来てくれた。
震災をきっかけに人間関係が広がったとの事。
また、この内容について小野寺様より、
受援力=市民力があった
ネットワーク&つながりがあったのではないかとの事です。

また伊藤様には、
Q:どのように今の活動を経営面などで持続させるか
A:・今のところは復興に紐づいた補助金などで運営していますが、現在は模索中です。
・一般社団法人(NPO的な)形で行っていて、1~2割は寄付によって成り立っています。
・地元企業との連携を強めていき、行政の力も得ていきたいです。
・今後は人材育成に力を入れていきたい
・コーディネート業務や防災教育など事業収入も2~3割ありますとの事。
また、この内容について小野寺様より、
補助金で業務を繋ぐのは危険、
委託してもらえるような環境づくりが大事
人や地域を巻き込んで欲しいとの事です。

また関連して、釘子様より、
お金はいただいている分、
映像や資料をきちっと取って防災について考える機会を作る
ただ地元(に人が来る機会が減っている為、写真展や寄付を集める取り組み
陸前高田の伝承館を訪れる修学旅行に対しても勧めているとの事です。

また、兵庫県の北淡震災記念公園米山様より、

・行政・民生委員・学校の先生のOBなどの力を取り入れてやっている
・経営的に有償ボランティアで行っている
・最初は役場からお金が支払われていたが、現在は貰っていない
・職員の語り部代を上手く回して経営している
・教育委員会にも小中学生達に来てくれるよう依頼している
とのお話がありました。

最後に長野出身の大学生の方より、

Q:私は未災地の防災をする団体に参加していますが、
南海トラフ地震の恐れがある中で、
学生の私が話しても語り部さんのように100%伝わらない
どのようにして津波の恐ろしさを伝えられるか。

この質問に対して釘子様より、

A:自分が災害に遭わないと心の何処かで思っている。
日本は自然災害リスクが高い国であり、
災害に強い街づくりは大変だが、
避難所を見直すことくらいはできるのでは?
自分の大切な人の命を守るために、
これが東日本大震災で亡くなった方の供養でもあると思います。
自分が津波と関係ない場所に住んでいても、
私たちの子供や孫が津波の来る場所に住む事もある。
(実際に今の私だなと感じました)
東日本大震災のような経験をさせていいのかという考え・思いで
自分の目線で大人たちに言う・子供達にこのような想いをさせない為に伝える必要があり、
自分の言葉で分かりやすく伝える事が大事である。
家族と避難所について話す機会が必要なのではとの事でした。

この分科会は本音で震災当時や語り部の裏事情を含め、
語り部の在り方・存在意義について考える内容の濃い分科会となりました。

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