皆さん、こんにちは。カナです。
最近は本当に暖かくなってきましたね。
春もすぐそこまで来ているのかもしれません。

本日3月10日。
ボランティアの皆様と共に開拓を進めている、「海の見える命の森」にて、
今年で第3回目の開催となる「桜の木 植樹会」が行われました。

「海の見える命の森」は表の山道からの入口と、
山を切り拓き、車で山頂まで向かう2つの通路が完成しました。
(↓切り拓く前の様子。一応、裏道として使われていました!)

(↓山頂側から見た上記の写真の様子です。「道」になっています。)

整備にはもう少し時間がかかりそうですが、
桜の苗木や作業するための道具などは安全に運べるようになり、
前よりも作業が進みやすくなりました。

そして、前よりも草木の整備も進み、海を180度眺める事ができるようになっています。
皆様の協力により開拓が進んでいく「海の見える命の森」です。

【過去 2回の内容です】
□2017年の様子【あれから、6年】
□2018年の様子【3.11 南三陸より】

私の地元の震災当時のお話となりますが一読頂ければ幸いです。
□2018年掲載【新たな一歩を】

3回目となる今年は例年より多く皆様にご参加いただき、
約100名近くの方と一緒に植樹を行い、新しい桜の木がまた増えました。

本日はその様子をご紹介いたします。

朝10時。雨の予報があった今日はぽかぽか天気での開始となりました。
開会のあいさつは当館で「語り部ガイド」として、
町内の案内も行っている 後藤一磨実行委員長より。

「今日は大勢の皆様をお迎えできて、とても嬉しく思います。
皆様が立っておられるこの森を、私たちは「命の森」と名付けました。
森に降った雨は草や木を育て、大地の養分を吸収し田畑を潤し、
やがて海にそそぎます。
その養分がワカメや植物プランクトンを育てます。
植物プランクトンは動物プランクトンや牡蠣のエサになり、
また、小魚の命を育み、中型魚、大型魚へと命が巡るのです。
それらを私たちは食べて生きています。
壮大な命のドラマがこの森から始まるのです。

今日はこの森に「エドヒガンサクラ」を皆さんに植えて頂きます。
「千年の寿命」を持つ桜の苗木です。
春になると山の神が里に降りてきて
農業の神様=作の神になるといわれています。
その作の神が降り立つ木なので「サクラ」と名付けられました。
沢山の皆様のご厚意で苗木が用意され、沢山の皆様の手で桜が植えられます。
今年で3回目を数える行事となりました。
百本を超す桜の森となります。皆様に感謝致します。
何年か経てばこの森は海を望みながら花見ができる場所になるでしょう。
桜の花を愛でながら8年前の津波を想い、
「命とは何か」を考える場所にできたらと思っています。
慣れない作業かと存じます。気を付けて桜を植えてください。」

今回、約100名の皆様に植えて頂いたのはこれから先1000年も生き続ける
私達が今の世界からいなくなって、ずっと先の人たちへ。
あの日起きた出来事と共に伝わっていくように植樹や開拓を続けます。

この後は、桜協賛企業の代表者様にそれぞれ挨拶を頂きました。
・株式会社アデランス 国内事業総括部 渉外担当部長 藤生様

・東京世田谷区ライオンズクラブ会長 丸山様

・P&Gプロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン株式会社 佐沼店店長 永谷様

・富士通エンジニアリングテクノロジーズ株式会社 管理本部長 箭内様

・ピクテ投信投費顧問株式会社 取締役社長 萩野様

・東北福祉大学バレー部 ライジングサンの皆様(代表者様)

・菊武学園大学学生・大学スタッフの皆様(代表者様)

・ナガイレーベン株式会社 澤登慎平様

その後は、作業の注意などの説明があった後、

「桜祈念植樹セレモニー」を開催。
初めは桜並木ネットワークの桜野様より、
「エドヒガンサクラ」の植え方などをご説明頂きました。
まだ幼い木の幹は根っこが折れてしまうともう枯れてしまう事、
あまり深く掘って中に入れても育ちにくいこと、など、
木の習性と共にお教え頂き、

そして、その後に最初の1本を、代表者の皆さんで植えてスタートとなりました。

今回は各3チームに分かれ、斜面での作業です。

もともとの山を開拓している事もあり、少し急斜面の場所などは
お互いに声をかけあっての作業となりました。風が強いと少し危ないような感じです。
所々には休めるように丸太で作ったベンチもあるため、
山の景色を見ながら一休みできます。

観洋スタッフでも植樹を行いました!目印は斜面の丸太ベンチ付近です。
(写真左から、昆野副支配人・尾崎部長・齋藤課長)

土の中は他の根っこだらけでしたが、それを邪魔にならないように取り除き、
丁度良い深さまで掘り進め、根と幹のつなぎ目が隠れないくらいの深さを掘ったら、
穴に入れ、栄養の入った土を上からかぶせます。

その後はまた掘りだした土をかぶせて、再び栄養の入った土をかぶせます。
そして上から水をかけて中まで浸透させた後、木の近くに穴をあけ、
上記写真左部分に写っている竹を差し込み、木の幹を預けるように結びます。
→まだ細い木の幹は風が吹いてしまえば簡単に折れてしまうため、
支柱が必要との事でした!

他のチームも順調に植樹を行っていき、

お昼すぎ頃には今回第3回目の苗木は無事、怪我人もなく植え終わる事ができました。
その後は山頂にて参加して頂いている皆様と一緒に昼食。
(うっすらと「ハロ」も見る事ができましたよ!見えている木は「山桜」です♪)

参加者の皆様、海を見ながらのお弁当はいかがだったでしょうか?
今日は天気もぽかぽかで外でのお弁当日和ともいえる天気でした。

午後からは、
「東日本大震災追悼の祈りと復興への願い」セレモニーを開催。
当館の阿部女将より追悼挨拶がありました。

「明日3月11日で東日本大震災から、8年が経過します。
たくさんの皆様から応援をいただいたおかげで今日を迎える事ができました。

南三陸町の中心部においては八割もの被災でございます。
駅も警察署も病院も役場もすべて失ってしまった環境の中で
我々も「何とか前を向かなくちゃ」と思いながら、
一歩一歩進んできてこの8年を迎えることが出来ました。

我々も「この出来事を風化させてはならない」と
思ったわけでございますが、
他県よりお越しいただいた方からは、
「ここは初めから野原だったのですか」「さら地だったのですか」
と町中に行かれると仰るようになりました。
それを聞き、「きちんとお伝えしなくては」と思いました。

今、海の見える命の森にて実行委員長をされている後藤一磨さんは、
「語り部」として震災直後からご尽力を頂いております。

昨年よりこの地に設置をした、「津波てんでんこ」の石碑。
「てんでんこ」は「てんでんばらばら」の方言で、
津波が来たらバラバラでも高台に逃げる。
「いのちてんでんこ」とも言えます。
この地域の人たちが忘れてはならない言葉、
そして、東北のみならず他県の方にもぜひ覚えていてほしい言葉です。

ご協力頂いている桜並木ネットワークの皆様には
震災後より各地にて五千本もの桜の木を植樹頂いております。
「津波で被害があった場所へ桜を植樹する。」
それはだんだん大きくなってきたら、地元の子どもたちにも分かりやすく、
「津波がきたら桜の木よりも高い場所へ避難するんだよ」の教えにも繋がります。
それから東北はやや寒さが厳しい場所ですから
春を迎えるにあたって、やはり肌で感じる暖かさだけではなく、
目で見て感じるピンク色の山が色づくと言うのは
とても人の気持ちを明るくするなと感じました。
その素晴らしいプロジェクトが
この海の眺めの良い山にお話が届いた時にはとても嬉しく感じました。

今日、地域の方がここにお越し頂いた際に、
「こんなにここは海が見える場所だったんだね」とびっくりされていて、
「良い場所ができた」と喜んでおられました。

皆様と一緒に追悼の式が行えること、大変感謝申し上げます。
大震災にて失われた尊い命の御霊に皆様と祈りを捧げたいと思います。宜しくお願い致します。この度は本当の心より感謝申し上げます。

追悼挨拶の後、各団体・企業の代表者様に献花を行って頂きました。

海へ向けて、想いを献花に。
その後にも、ご参加者の皆様にも献花をして頂きました。

2011年3月11日。午後14時46分。
この時刻に合わせ、海が見えるこの場所で黙祷を捧げました。

今回で3回目となる「海の見える命の森 桜 植樹会」

閉会の挨拶と共に今日、1つの報告がありました。
それは3年前、第1回目の時に植えた桜の木に小さな小さながついた事。

これは紛れもない第一歩です。
今年、咲くかどうかは分かりませんがこの海を見守りながら育ってきた桜の木。
これから何十年、何千年先にはここがピンクの桜で満開になっていることを、
また再びこの地で会える事を祈って、
最後は集合写真を撮影し、無事幕を閉じる事ができました。

明日、2019年3月11日で2011年に起きた東日本大震災から8年が経過します。
8年が経過する今、震災遺構として残っているものを後世にどのようにして
伝えていくのか、今、私達が出来る事は、やらなければいけない事は、
何なのか、考える日になるかと思います。

明日、実際に現地に居なくても、
想いをよせていただくだけでそれが1つの支援となります。

明日は様々な当時の映像がテレビや、インターネットでながれます。
「他人事」とは思わず「自分事」として今一度、災害について考えて頂ければ幸いです。

東北・南三陸より想いをこめて皆様に感謝申し上げます。
これからも復興の様子を見守って頂ければと思います。