二週間ぶりのご無沙汰です。

BlueBirder*S です。

今回は野鳥のお話ではなく、

鳴き声のきれいなウグイスに

勝るとも全く劣らない美声で歌い 語り

観衆を魅了する 女語り部浪曲師のご紹介です。

菊池 まどかさん

大阪 浪花の浪曲師であり

2010年には日本レコード大賞新人賞を

受賞した経歴も持つ演歌歌手です。

5歳にして父親が習っていた浪曲を全て覚えてしまい、

6歳で師匠に弟子入り。

その美声は浪曲人百人に一人の逸材と評され、

初代浪花小町として マスコミや舞台でも話題をさらい、

その後9歳で浪曲師として初舞台を踏むという

幼いころから天性の才能を発揮してきました。

そんな菊池まどかさんが

今月10日、南三陸ホテル観洋を訪れ

ロビーで得意の浪曲を披露してくれました。

浪曲は 明治時代初期に始まった演芸で

「浪花節(なにわぶし)」とも呼ばれ、

三味線の伴奏で

独特の節と語りで物語をすすめる語り芸。

一曲が大体30分ほど。

戦後の隆盛後、落語、講談、浪花節と並び称された

3演芸でした。

浪曲と言っても、特に若い世代の方には

馴染みの薄いジャンルかも知れませんね。

生で拝聴した印象は ごくごく新鮮に感じられ

言葉が心に響きます。

きっと若い世代にこそ より新鮮に、また斬新に感じられ、

胸中に届くのではいか、そんな風にも思われたのが

まどかさんの浪曲です。

今回、菊池まどかさんが語ってくれたのは「稲むらの火」

物語は、夕刻に発生した安政の大地震(1854年)

によって襲来した津波に対し、

当時は相当に貴重だった稲束を積み重ねた

「稲むら」に火を放ち、

この火を目印に村の人々を「高台」に誘導して、

多くの命を救った濱口 梧陵(はまぐち ごりょう)氏の

実話がもとになっています。

一声二節三啖呵(いちこえにふしさんたんか)と言われる浪曲

菊池まどかさんは、三拍子揃った 正統実力派浪曲師。

豊かな声量と表情豊かな表現力で、

熱く歌い語り上げていました。

愛嬌ある笑顔とも相まって

ロビーに集まったお客さまの受けも良く、

「待ってましたぁ~!」「いよ!まどかぁ~!!」の

掛け声に気を良くしたまどかさん。その美声は

気持ちよく館内に響き渡り、皆を魅了していました。

今回の「稲むらの火」には

三陸沿岸に伝わる

「津波てんでんこ」という言葉も盛り込まれていました。

津波てんでんこ とは、

自分の家族も自分の大切な人も無事であることを信じて

自分の身はまず自分で守りなさいということを教えた言葉。

避難所に誰かが居ないからと探しに行ったり、

預金通帳を取りに家に戻ったりしてはいけないのです。

皆それぞれが自分で自分の身を守ることが出来れば、

結果的に皆が無事。

何とかなるのも命があればこそ、という意味合いの言葉。

まどかさんによれば、浪曲の「ストーリー」は生き物で

少しずつ変化していくものなのだとか。

まどかさんの南三陸町入りは、

先月下旬の全国語り部シンポジウムに続いて二度目。

南三陸の3.11を知るに連れて

「稲むらの火」の内容も

また少しずつ変化していくことでしょう。

 

何より、菊池まどかさんの浪曲「稲むらの火」は、

文化庁の「子ども育成巡回授業」に採択されていて、

自身各地の子どもたちに防災や減災を伝える

「語り部」浪曲師として活躍しています。

子どもたちにも理解しやすいように、

言葉も極力わかりやすく手直しして語り歌っています。

 

浪曲は「和製オペラ」「ひりとミュージカル」とも言われ

豊かな声量で、登場人物の心情を歌で表現し、

また合間にはセリフも入れながら、

三味線を伴奏にして物語りを進行していきます。

とにかく「ダイナミックな声の力」に圧倒されます。

そんな浪曲の世界を通じ、きっと 子どもたちにも

命を守る防災と減災の心が育まれていくことでしょう。

ひょっとしたら、

「浪曲師になりたい!」って子どもたちも出て来るかも。

そう言えば浪曲の語りって 七五調なんですよね。

そこがまた私たちの心に「伝わりやすい」

要因のひとつなのかも知れません。

 

実はまどかさん、3.11の被災地で

被害の状況や被災者の声を取材していて、

中でも高野会館や気仙沼の観洋創業者宅

2つの震災遺構に強い興味を持ち、当時の出来事を

浪曲にして紹介していきたいという考えをお持ちです。

ロビーでの舞台を終え、

素敵な笑顔でお客さまとの記念撮影に

気さくに応えていたまどかさん。

3.11から丸七年、

浪曲師 菊池まどかさんの益々の活躍を期待しながら

「稲むらの火」に続く

防災減災浪曲の誕生を楽しみに待ちましょう。

いよっ!まどかぁっ 日本一~!!!