南三陸から未来へ贈る言葉

こんにちは、むっちゃんです(*^^)

先月、千葉県市原市のちはら台南中学校にて
語り部として活躍している伊藤次長が講演を行いました。

市原市では、イベント等を通じて家庭・学校が連携し
子供たちにより良い環境づくりをしていく趣旨のもと
毎年数校を指定し「家庭教育学級」という事業が実施されています。

ちはら台南中学校はその指定校であり
今回は家庭教育学級事業の一環として講演をさせていただきました。

全校生徒や先生方、保護者の方々を合わせると700名以上。
大人数の真剣な眼差しに伊藤次長も緊張していたようですが
参加いただいた皆さまには言葉一つ一つ熱心に耳を傾けていただきました。

市原市の中で一番生徒数が多い学校であり
台風19号で甚大な被害を受けた地域でもあります。
だからこそ、実際に足を運び、自分の目で状況を把握する大切さを
改めて実感いたしました。

貴重な機会を設けていただき
関係者の皆さまには心より感謝申し上げます。

今回の講演が、生徒の皆様にとって今後の人生の一助となれば幸いです。

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さむ~い冬こそ、
景色とお風呂がひとつに繋がるインフィニティ温泉であったまろ♪

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「KATARIBE」を日本から世界へ。

皆さん、こんにちは!カナです。

10月24日。当館を会場とし、
「海外から見た東日本大震災の経験/記録と伝承」
神戸大学都市安全研究オープンゼミナールが行われました。

東日本大震災から約8年。
南三陸や周辺の交通状況も日々変わっています。

今回のオープンゼミナール司会進行は
神戸大学都市安全研究センター教授 北後 明彦 様。

講義をしていただいた4名の講師の皆様を紹介します。
内容もお話しいただいたものを掲載致しますので、
ぜひ、ご覧くださいませ。

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「神戸市大学都市安全研究センター客員教授」
「ニュージーランド・カンタベリー大学兼任准教授」である
ローズマリー デュ プレシス 様。

【東日本大震災と
ニュージーランド・カンタベリー地震の経験から考える経験と共有】

ニュージーランド・カンタベリー地震
→東日本大震災の一か月前に発生(2011年2月22日※東日本大震災は3月11日。)
その時の被災の状況を現地の方に聞いて、海外の方を始め
伝える活動を行っています。
ニュージーランドは「火山」や「断層」があり島が2つに分断されている。
地震や火山噴火なども多く、日本とある意味似ている地形。
全体の人口は480万人。Anckland(首都)には160万人。
今回の基となるChristchurch(市)には40万人が暮らしている。

カンタベリー地震は4つの地震があったが、
最大地震となったのが2011年2月22日。
原因は火山近くの活断層によるもので、
5kmの浅い直下型地震だったために町が大きく揺れた。
その地震で亡くなった方は185名。
そのうちの日本人を含む約181名は
市内の中心部にある崩壊したビルで亡くなっています。
この時の地震によるビルや家屋の崩壊は1,240棟。
そのあとは復旧作業が終わるまで2年間立ち入り禁止となった。
また、「クライストチャーチ(液状化現象)」による被害もあり、
災害危険区域に指定されたために立ち退きが余儀なくされ、
住宅の建設も禁止とされた。
被害額は日本円にすると2,400億円相当にのぼる。
4つの地震が起き、それぞれの場所で被害が多数あった。

教会など、レンガ造りの建物が多かったために崩壊も多くなった。
震災後、多くの防災対策案などがある日本を見て、対策等を学んだ。

ニュージーランドでは「民間防衛」「国防軍」「警察」「消防」によって救助が行われ、復旧作業等は「赤十字」やアメリカやヨーロッパで「救世軍」と呼ばれる団体や、学生の方々もSNSを通して、活動が始まった。
液状化で被災した家屋の片付けなどを中心におこなっていた。

ニュージーランドの復興庁は5年で終了している。
そのため地域や民間で復興を進めていかなければならない。

そして、一番伝えたいのは、
「再建」とは物理的なものではない。
「支援物資」「救助」「医療」「経済支援」…
人の心の再生(再建・復興)でもある。
語りや、聞くことは社会面での再建の一部である。

なぜ 災害を語り、記録し、共有するのか。
それは、下記に分かれる。
→語り部: 悲しみ、喪失、トラウマを咀嚼し、表現する方法
亡くなった方、負傷した方: 尊重、敬意を払い記憶するための方法
近隣、コミュニティ:共有し、つながるための方法。
未来へ:子孫のために記録し、災害を学び、伝えるため。

ニュージーランドでの災害後の活動。
【地震についての記憶…】
「QuakeBox」の設置。
大型のショッピングモールなどで、災害のことについて尋ね、
「あなたの声を記録しませんか」を声をかけ、みんなのものにしていく。
→ビデオ撮影にて映像を保存していく。

「QuakeCity」の設置。
町の一角を借りて、造られた。
建物の外観は赤。
→地震の衝撃を伝えるための工夫。
中では災害の写真や映像などを流している。
教会が子供たちの為に震災を語り継ぐ本を作成したりした。

「復興(再建)」とは、
「人生の再建」でもある事を忘れてはいけない。

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「東北大学災害科学国際研究所准教授」である、
マリ エリザベス 様。

【海外の災害博物館について。】

災害博物館の事例を紹介します。
それは,アメリカ・インドネシア・台湾の3つ。

【インドネシアの事例】
2004年のインド津波を受け、
「アチェの津波博物館」が完成。
イスラム教にならい、博物館の中にも
「人間」と「神様」の関係なども展示されている。
他には救助に使用した「ヘリコプター」などの展示もある。

気仙沼同様、海岸沿いにあった船が内陸部まで流された。
その船を改装し、そのまま中を博物館へ。

また、ジャナ島では、
地元の人が全部手造りで造った展示場所もある。
被災した自宅も博物館へと変え、現状を伝えている。

【台湾の事例】
「921 地震教育園区」
→野島断層のように、「被災した断層そのもの」を残して、
当日の状況を教える場所もつくった。
しかし、外にあるために管理が難しい課題がある。

【アメリカの事例】
災害の展示の一つで、
「2006年アメリカの南側で起きたハリケーン被害」を展示。
ルイジアナ州博物館が当日の状況を展示している。
洪水になり避難できなかった方々が、
自分の家の壁に当時の状況を記したその壁をそのまま、
博物館にもっていき展示している。
救助の様子もすべて壁にしるし、掲示板の役目も果たした。

「ハワイ太平洋津波博物館」
小さい博物館だが、地元の方の発案で建てられた。
ハワイもチリ地震津波の影響を受けている。
1946年には日系人が多く住む地域も被害にあい、
その後はその場に住んでいた方々が語り部となり、
今も伝える活動をしている。

また、アメリカ カリフォルニア州にある
「科学博物館」の中に「災害展示」がある。
科学博物館なので、地震や津波のメカニズム。
人類に何の被害があるかわかるため、学ぶことが多い場所でもある。

「場所(博物館)」「物(展示物)」「人(語り部)」があれば、
より一層伝える力が強まると考えています。

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「気仙沼市観光コンベンション協会」
二シャント アンヌ 様。

【外国人と気仙沼市東日本大震災伝承活動の取組】
「世界とつながる豊かなローカル」

二シャント様はアメリカより、大学を卒業し2014年に日本に来日。
ジェットプログラムにて、ARTの先生として気仙沼で2年間英語を教え続けた。
一旦帰国ののち、再び気仙沼へ。

2014年に来た時、「復興屋台村」と言う仮説商店街の裏に住んでいた。
最初こそ、何もわからなかったが温かく迎えてくれた商店街の人達が忘れられない。
2017年に観光の仕事をやるようになり、
「気仙沼観光協会」に勤め始めたのが今につながきっかけ。

観光協会が行っている仕事の一つとして「旅行のサイクル」をつくること。

一般の人でもできるサイクルは、
「旅行に行ってSNSで情報を発信すること」
その情報を見た人が、興味をもって次の人につながる。
お店などでも「美味しい」や「楽しい」だけではなく、
その店の人と関わることによって人とのつながりが増えていく。

全体的な「サイクル」をつくるには、
現地の良いところ。美味しいもの。
そして。震災の状況を日本だけ、その場だけではなく、
来てくれた外国の人にも伝えること。が大切になってくる。

「座禅の体験」ができる場所が気仙沼本吉町の
「清涼院」と言う場所で行える。
こちらは震災直後に「対策本部」となっていて、
自衛隊の方々はこの場所を中心に「支援物資」などを配布していた。
炊き出しもお寺で行っており、避難所にもなっていた。
「お寺」なので「語り部」だけではなく、
「お寺」らしく「座禅」なども含めて体験できるようにした。

「私が伝えたいのは、
当時のストーリーだけではなく、「今を生きる」にスポットを。
来た人が、「また来たかった」「またこの人に会いたいな」と
思っていただけるようなものへ、これからも務めていきたい」
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「神戸大学地域連携推進室学術研究院」
山地 久美子 様

「阪神淡路大震災」

神戸大学都市安全センターと言うところがあります
こちらの建物は震災の翌年に設立されました。

「震災の語り部」と言うのは
「次世代」「地元」「ほかの国」へ
縦と横を伝えるのが大切。

そして語り継ぐにあたり、
「日本がまずはどうゆうことを伝えていかなくてはならないのか」
多種多様な伝え方があると思います。
「震災遺構」や「展示」「街歩き(語り部)」など..
どれもすべて「語り部」に含まれるものです。

これからは「次世代」の語り部を。
しかし「語り部」自体を行っている人自体が少ない。
なぜか…
「語り部」で生きていくのは難しい。
積極的に行っているのは高齢者の皆様が多くをしめます。
そのため、「次世代」は「高校生」になってしまい、
高齢者の方から見たら、孫のような存在。「次々世代」となってしまう。
その間の20代30代40代50代の人達がなぜできないのか。を考えると、
「語り部」と言うのものがどうゆう役割を持って社会的な意味を持っているか。
と言うことにも通じると思っています。

こちらを踏まえた上で「阪神淡路大震災」の一部分ではございますが、
紹介いたします。

まず「阪神淡路大震災」は「阪神地区」と「淡路地区」が一緒になってできた
国で決定されて名前です。
非常に大きい火事も起こった「断層型地震」でした。

地震が起きたのは「朝5時54分」
亡くなった方は6,434名。
朝の時間と言うこともあり、女性が多かったそうです。

「野島断層」の一部分に断層が生じ、
その断層を保存館にて展示しています。
「野島断層保存館」は「公共建築賞」を受賞しており、
このような建物を遺す事も「語り部」となります。
職員様の中には、もともと高校の英語職員の方が居て、
語り部を英語と日本語両方で行えるため、
館内の案内なども英語で行うこともでき、外国からのお客様にも
詳しく学んでいただけます。

「英語の語り部」も行えたらこれから、もっとよくなります。
地元でそのような方を発掘していくのも大切になっていくかと考えています。

神戸市にある「人と防災未来センター」の中には、
ボランティアで語り部を行っている方もおり、
中にはインドネシア語ができる方もいらっしゃいます。

また、神戸には「ルミナリエ」があり、
鎮魂の意を込めると共に、都市の復興・再生への夢と希望を託して、
大震災の起こった平成7年の12月に初めて開催しました。
以来、震災の記憶を後世に語り継ぐとともに
神戸の希望を象徴する行事として多くの皆様に支えられ、
神戸の冬の風物詩として定着し、
昨年は約343万人もの来場者の皆様にお越し頂きました。

多種多様な形でも、やはり後世に伝えていくことは
これからの日本にとっても外国にとっても大切なことだと考えます。

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講義の後は、コメントも頂きました。

東北大学災害科学国際研究所助教
ゲルスタ ユリア 様

「語る」と言う重要性をたくさんの意見を通し学ぶことができた。
外国でも、日本に似ている形の語り部がありますが、
「語る」と言うのは被災した方々にどのような影響があるのか
その大事さがとても印象に残っています。
また、自分のためではなく、周りの方の復興や、未来の人へ伝えるための活動。
「語る」が形になれば「博物館」へ。
災害の事を知らない方々ひぇどのようにして伝えていくのかが興味深かった。
今日は非常に色んな事を聞けて視野が広がった。
ありがとうございました。

東北大学災害科国際研究助教
フルコ フラヴィア 様

語り部について、観洋に来ているのは4年目ほど。
外国と日本は語り部に似ている部分があり、
それぞれの良さ、伝え方があった。

イタリアでも語り部のようなものをしているが、
つながりが少ないため、皆様の話をきいて「つながり」が必要だと
再度認識できた。
「語り部」のように「語る」ことはできないが、
「伝える」ことはできる。

当事者ではないため、「記憶はできない」が「記録はできる」。
これは私達の役割だと思います。

今日講義して頂いた事を忘れず、研究を進めていきます。
ありがとうございました。

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講義が終了した後も約1時間にわたり、
それぞれの語り部活動や、

「語り部」を「KATARIBE」として世界発信していることについてなど、
様々な視点より「意見交換」が行われました。

非常に充実したゼミナールとなり、これからの活動についてもそれぞれ発見できるのもがあった時間でございました。

講義していただいた講師の皆様。
お集まりいただきました語り部の皆様、
参加者の皆様。ありがとうございました。

これからも観洋含め、語り部活動を続けていく、
研究していく皆様をよろしくお願いいたします。

当日、取材に来ていた三陸新報社の方が記事として
掲載頂きました!

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「Kataribe(語り部)」を世界へ。キックオフミーティング㏌南三陸

皆さん、こんにちは!カナです。

さて今回は、7月16日・17日に当館で行われた
「Kataribe(語り部)キックオフミーティングin南三陸」
の様子をご紹介いたします。

今回は宮城・岩手三陸沿岸部の語り部、
観光施設、宿泊施設、行政等、観光に携わる方々が集まり、
連携を深め、訪日外国人を誘客するとともに、
「語り部」を世界へ広げるための事業です。

1日目の最初は当館が運行する、
「震災を風化させないための語り部バス(高野会館コース)」
のインバウンド仕様を見学。

インバウンド仕様では「タブレット」を使用し行われます。

「多言語」を選ぶことができ、
語り部が行われている最中には説明文付の写真も映し出されるため、
訪日外国人の方にもわかりやすく、学んでいただけます。

また「高野会館(コース)」では内部への見学も行います。


「震災遺構」として遺る建物の内装は津波が襲ってきたときのまま。

足元の瓦礫などは安全にご案内ができるよう、片付けを行っておりますが、
津波で折れ曲がった鉄骨や、引き剥がされた絨毯や壁。
天井からぶらさがるシャンデリアや電気ケーブルなどはそのままの状態です。
【高野会館 屋上】※あの日津波は写真の人が居る場所まで到達しています。

↓高野会館についての詳細が掲載されています。ぜひご覧ください。
【高野会館と「命のらせん階段」が「震災伝承施設」に登録されました。】
【語り部バスのご案内はこちらよりご覧ください】

そして今回、テーマになっているのが「Kataribeを世界へ」
当館で行われたシンポジウムなどでも意見交換がされています。

高野会館の語り部を終え、ホテルに戻ってきた後はワーキンググループ会場へ。

当館阿部女将より「Kataribeを世界へ」への取り組み、
背景や思いをご参加いただいた皆様に伝え、

そのあとに、ご参加いただいている施設様より
「過去の取り組み」「現状」「南三陸への想い」を紹介いただきました。

「Kataribe」を世界に発信するにあたり、
「誰に何を発信していくことが大切なのか。重要であるのか」

「訪日外国人向けに語り部を体験していく上で、
何をつたえていくべきなのか。対日本人に対しての違いは何なのか」

をグループディスカッションにて、意見の交換がおこなわれました。

この事業は1年を通して意見交換会やワーキンググループや統計調査を行い、
持続的で自走できる海外誘客を目指す取り組みです。

秋には、釜石でもワーキンググループを開催する予定です。
宮城・三陸岩手沿岸部が県を超え、1つになり今後も頑張ってまいります。

2日目は、
じゃらんリサーチセンターの松本様に
「現在におけるインバウンド事業」についてセミナーを行って頂きました。

そのあとは、1日目に意見交換をしたまとめを
また各チームに分かれグループディスカッションを行いました。

意見のまとめが終わったあと、
気仙沼へ移動し、「気仙沼伝承館」へ向かい、
こちらでは、気仙沼観光コンベンション協会の宝田様にご説明を頂きながら、
施設の見学を行いました。

今回の事業がまた次の取り組みにつながるよう、
情報発信をしてまいります。
ご参加いただいた皆様、引き続き、よろしくお願いいたします。

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札幌から中学生

一週間ぶりのご無沙汰です。Bluebirder*Sです。

 

まだ衣替え前だというのに

いきなり真夏のような陽気になったりしていました。

急激な気温の変化に体調を崩している方もいらっしゃるようですね。

ご自愛くださいませ!

 

そんな陽気に誘われてか、

南三陸ホテル観洋では 西洋シャクナゲが咲き始めました。

ところで、この22日のことですが、

観洋には 修学旅行の中学生の皆さんが 立ち寄ってくれました。

札幌市立 新川(しんかわ)中学校のみなさんです。

新川中学校は、札幌市街の北西部にある全校生徒数324人規模の学校で、

三年生の修学旅行は

東日本大震災の被災地を見学して

語り部さんをはじめ 訪れた地域の人たちとの交流を深めるのが目的です。

南三陸ホテル観洋では、Bluebirderが被災地の支援について講話。

続いて 気仙沼生まれで地元在住のシンガーソングライター

熊谷 育美さんとの交流会が開かれました。

熊谷 育美さんは、1985年5月24日

気仙沼生まれで地元在住のシンガーソングライター。

物心ついた時からピアノに触れ、

中学時代には日々の思い出を曲に綴るようになっていました。

自然に囲まれ 暮らすからこそ描ける楽曲の世界は、

彼女の美しい故郷「気仙沼」を映すかのようです。

ミニライブでは、「生きて」「雲の遥か」「夏の華」「春の永遠」

「都会の風 故郷の風」の5曲を披露。

 

育美さんのうねるような歌声は力強く、それでいて美しく繊細で

すっかり119人の心をつかみ 魅了していました。

育美さんの語りかけるような歌に聴き入り食い入るように見つめる生徒さんたち

眼差しが真剣です。

 

交流会のハイライトは、新川中の三年生たちの合唱。

旅行を前に、育美さんの曲を練習をしてきていたのです。

曲は「僕らの声」。

育美さんが、東日本大震災に被災した故郷気仙沼を目の当りにして、

無力感にさいなまれた時に創った曲です。

♪ どうか 忘れないで 僕らはここにいる~

♪ 歩いて行こう 足跡つけて ここから明日へ~

♪ 歩いて行こう 一緒に行こう 真っ直ぐ未来へ~

混声二部合唱が 醸し出すハーモニーは 心を打ち、

耳を傾ける育美さんの感動は、涙となって眼に溢れていました。

それはもう 体がゾクゾクするくらいに素晴らしい合唱でしたから。

 

生徒代表は「講話や育美さんの歌を通じ わかったのは、

当たり前なことなんて一つもないのだ、ということ。

だからこそ 人との出会いや出来事を大切にします」と

お礼の言葉を述べていました。

 

「当たり前」だと思っていることは、実はとても「ありがたい(有り難い)」こと

なのだということに こんなに早くに気付けたということは

きっとこれからの人生の歩き方や生き方、物事の受け止め方も

かなり大きく変わってきますね。未来は明るい♪

純朴で素直な印象の札幌市立新川中学校三年生のみなさん、

どうぞ これからの人生に 美しい花を咲かせてください!

札幌から中学生 への2件のコメント

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こんにちは、むっちゃんです(*^^)

ようやく暖かい日が戻ってきましたが、
今日は良い天気にも関わらず風が強いこと強いこと…
もう大丈夫だと思っていた花粉症が再発しそうです:( ;´꒳`;):

さて、お知らせです。

NHKの証言webドキュメント
東日本大震災アーカイブスにて
阿部女将と語り部として活躍する伊藤次長の映像がご覧いただけます。

以外にも、
震災の記録や復興に向かう様子など、
他地域の様々な映像がアーカイブとなって紹介されております。

こちらのキーワード検索欄に
南三陸ホテル」「観洋」「語り部」などを入力して頂くと
検索結果に表示されます。

ぜひご覧くださいませ。
→ NHK 東日本大震災アーカイブス

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本日の日の出です。

ちょうど水平線から昇ります。
今の時期の日の出はだいたい5:10頃。

お泊まりのお客様は少し早起きしてみてくださいね♪

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★ 南三陸キラキラ丼はおかげ様で9周年♪ ★
「南三陸ホテル観洋」

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