第2回東北被災地語り部フォーラム 【分科会①】震災遺構の保存と役割を考える

皆さんごきげんよう、ゆきでございます。
今回は分科会①の内容をおまとめしてお届け致します。

~ブログの曜日やイベントの関係上、前後してしまいますが、後ほど読みやすく順番を変更致します~

分科会①
震災遺構の保存と役割を考える

コーディネーター:山内 宏泰 氏(気仙沼リアスアーク美術館副館長)

パネラー:鈴木 卓也 氏(南三陸ネイチャーセンター友の会代表)

宮本 肇 氏(前北淡震災記念公園総支配人)

釘子 明 氏(陸前高田寿一語り部くぎこ屋代表)

今回の議題は、震災遺構の保存について。
しかし、遺構は保存が難しいのです。
なぜ、難しいのでしょうか。
それは、遺構は何か、定義が出来るものではないことが理由として挙げられます。

遺構を残す方法としては、公的に保存することと、私的に保存する2つの方法があります。

遺構を残すために考えられることと言えば
・・・やはりお金がかかること。公(おおやけ)の機関による支援が必要不可欠です。
しかし、公的機関の支援を受けるには、様々な条件があり、全てクリアすることが難しいです。


高野会館(2013年撮影)
2011年3月11日、 327名と、犬2匹の命が守られました。

当館が所有する「高野会館」は私的に保存をしていくことを決めました。
条件等はありませんが、お金がどこからも出ない上、
全ての責任を個人が負わなければなりません。
しかし、保存するための理由は、個人的な目的ではありません。

お金は出るが様々な条件がある公的、
条件はないが資金的援助がない私的、
それぞれのメリット・デメリットがあります。

遺構は公的定義が出来ないものがほとんどです。
建築であれば、建築基準法を守らなければなりませんし、
人が入るようであれば、消防法を守らなければなりません。

建築物という形では残せないのです。

では文化財としてはどうか?
・・・遺構を文化財にするには時間的条件などがあります。

残す方法の一つとしては、囲った公園の中に残ことが挙げられます。
今残されている遺構のほとんどがそれに該当します。

公園化のメリットとしては、もちろん公園内に残せることです。
デメリットとまではいかないかもしれませんが、「公園」という定義をすることにより
遺構の意味が、本来の目的とは違うものとなってしまう恐れがあります。

また、「遺構=人工物」というパターンが多い中、
南三陸の事例では「津波により洗い流された場所に新たな自然環境が形成された」ことにより、
それを後世へ残したいという動きもあります。
「災害がもたらしたもの」という意味では、遺構かもしれません。
「人間と自然の関係性」も遺構という形で残せるのでは、という意見もありました。

兵庫県南部地震で出現した野島断層は、人工物ではない遺構の一つです。
地震に備える大切さを後世に伝えるため保存されています。


質問や意見も出ました。

第一分科会の結論としましては、
保存のためには、国や県が定めたある一定の定義を満たす必要性があり、
それを満たすものとしては、遺構の定義づけが自然となされてしまうため、
その土地の地域性や元々持っていた機能(壊れる前はどのような役割を担っていたか)
などが一律に考えられてしまう危険性があります。

遺構の定義はさまざまあるべきなのです。

どうしても、「遺構」と言うと「防災・減災教育の場、祈りの場」でなくては
ならないのではないか、観光目的・人を集めるために使うのは正しくないのでは、
という定義に当てはめてしまいがちですが、
それはケースバイケースで、
観光の為に活用する遺構があって、
教育の目的があって、
祈りの場の遺構があって、
それぞれ
一番正しい方法で残していけば、
意味のある残し方が出来るのではないでしょうか。

震災から8年が経とうとしていますが、
遺構の有り方も確立してはいませんし、
問題がまだまだあります。

これからも話し合いを重ねて、みんなが納得できる結論が出ることを願います。
皆さまのご家庭でも、震災遺構について語るきっかけとなれば幸いです。


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第2回東北被災地語り部フォーラム<分科会②>災害を知る世代から知らない世代へつなぐ

こんにちは、むっちゃんです(*^^)

先月24日と25日の2日間に渡り、
第2回東北被災地語り部フォーラムが開催されました。

本日は、その時の
分科会② 災害を知る世代から知らない世代へつなぐ
の様子をお伝えします。

コーディネーターは
元志津川中学校校長で、現在3.11震災語り部として活動している菅原 貞芳様

パネラーとして、
志津川高等学校、多賀城高等学校、階上中学校、志津川小学校、入谷小学校の
生徒さんにお越しいただきました。

分科会のタイトルになっている通り、
今回のテーマは「災害を知る世代から知らない世代へつなぐ

東日本大震災からまもなく8年が経過しようとしています。
時間の流れとともに、当時の状況を知らない世代が増え、
それに伴い懸念されるのは「風化」です。

震災を風化させないために。
当時を知らない人たちの防災、減災へ繋げられるように。
あの日生かされた私たちにいったい何ができるのか。
現在行っている活動を含め、今後についてを話し合いました。

活動の報告をしたのは、
階上中学校、多賀城高等学校、志津川高等学校の生徒さんです。

まずは階上中学校

階上中学校の防災学習は「命を守る」を目的とし、
災害を知る
災害に備える
万が一のために訓練する
を学んでいます。

今年度の防災学習のテーマは「自助・共助
体験的学習と探究的学習の2つに分かれて行いました。

体験的学習では学年ごとに防災学習と総合防災訓練を行い、
探究的学習では地区住民へのアンケート調査を実施。

【体験的学習】
1学年は、講師の方を招いて地震津波のメカニズムを学び、
2学年は、消防署の方々からAEDを使用した救急救命講習を、
3学年は、階上小学校の子ども達へカルタを使って
防災を楽しく分かりやすく教える防災啓発活動を行いました。

総合防災訓練は、気仙沼市防災訓練に合わせた日程で午前と午後の2回。
午前は消火訓練、バケツリレー、炊き出し訓練を地区の一員として参加。
午後は委員会ごとに役割を分担し、避難所初期設営訓練を実践しました。

避難所設営に関しては、
生徒以外の誰でも分かるようにマニュアルを作成。
フローチャートを使った説明があり、
準備物や注意点が詳しく書かれてあるためとても分かりやすいです。

【探究的学習】
こちらは、昨年度から取り組みはじめた活動です。
階上地区全世帯を対象とし、
東日本大震災以前・当時の津波避難行動のアンケート調査を実施。
夏休み前にアンケートを配布、回収、集計を行い、
二学期に全校生徒で考察、10月に校内発表会を開き、その後考察の再検討。
12月の防災学習発表会に備えました。

防災学習発表会は以下の4部構成となっています。
1部:体験的学習の発表
2部:アンケート調査の報告
3部:探究的学習の発表
4部:意見交換

結果から、防災意識は低くないが、
訓練が実践的ではないため危機感が薄れてきているのではと推察。
震災を風化させないためにも地域を知り、発信させていくことで防災意識を高め、
これからも地域の一員として取り組みを行っていくそうです。

続いて多賀城高等学校

多賀城高校の「災害科学科」では
災害や防災について科学的な視点で学ぶことができ、
さらに学校全体としては
防災減災学習
東日本大震災の伝承
全国の学校などとの連携・交流
地域を中心とした社会貢献活動」を行っています。

これらが、
ユネスコが提唱するESD(持続可能な開発のための教育:いわゆる生きる力を養成する教育)
理念に合致し、2017年2月にユネスコスクールに加盟が認められました。

上記活動以外にも
通学防災マップづくり
生徒が入学してすぐに行う取り組み。
津波浸水域や土砂災害危険区が記載された地図に自分たちの通学路を朱記し、
有事の際どこに危険が潜んでいるのかを知ることができる。

津波波高標識設置活動
震災後行っていた津波の高さの調査結果をもとに測量を行い、
道路脇の電柱に津波波高の標識を設置する活動。

を全校生徒が積極的に取り組んでいます。

また、生徒が作成した「まち歩き案内マップ」を使い、
自分たちが設置した津波波高標識をたどりながら、
多賀城市内の被災状況を説明・案内する活動も行っているそうです。

最後に志津川高等学校

県内唯一の地域連携型中高一貫校であり、
南三陸町内の志津川中学校、歌津中学校と、
乗り入れ授業や部活動、生徒会交流を通して連携しています。

情報ビジネス科では、震災前より南三陸町の活性化を目的として
南三陸町モアイ化計画」を実施。
オリジナルの缶バッチやストラップの販売を行い、
町民バスや図書館の図書購入資金を町へ寄付していました。

志津川高校の防災学習として、
定期的に行っている防災訓練があります。

実際に起こりうる行方不明者の捜索など、毎年想定を変えて行い、
今年は休み時間に災害が発生したことを想定して訓練を実施。
消火栓を使った放水訓練も行いました。

他にも
弾道ミサイルや豪雨、土砂災害、火災、火山、竜巻、落雷、危険生物など
あらゆる災害について学習し、
社会に出てから「いつ、どこで、どのような」災害に遭遇しても
ある程度自分の身を守れるように考えられた内容となっています。

また、志津川高校には昨年発足した「防災クラブ」があり、
救急手当て法の知識を修得する他、
地域の子ども達を安全に導く役や、避難所でのサポート役にまわったり、
将来地域防災のリーダーを担うための能力を身につける目的で活動しています。

さらに、校内には震災指導室を設置。
当時の様子を伝える物品や、寄贈された物、
震災からこれまでの志津川高校の歩みがわかるような物を展示し、
震災の風化を防ぎ、次の世代に語り継いでいく役目を担っています。

今後は
自分たちだからできること、
行っていかなければならないことを考え、実践していくそうです。

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先日、政府から再び地震発生確率の発表がありました。
日本は地震大国ですから、いつ発生してもおかしくはありません。

それは何十年後かもしれないし、もしかしたら明日かもしれない。
その時に、自分の命を守るため。
東日本大震災で学んだ教訓を生かし、災害を知らない世代へ語り継いでいくこと。

その大切さを改めて実感することができた分科会でした。

各学校の生徒さんも、他の学校が行っている活動を知ることができ、
アイディアを持ち帰ってぜひ実践したいと話していました。

生徒の皆さんにとっても、参加した我々にとっても、
とても有意義な時間になったと思います。

一人一人の活動によって
一人でも多くの命が守られますように。

これからも途絶えることなく、
語り部として、防災・減災活動に取り組んでいくことを誓いました。

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第2回東北被災地語り部フォーラム エクスカーション~気仙沼コース&石巻・大川小学校コース~

皆さまごきげんよう、ゆきでございます。
まもなく震災から8度目の3月11日を迎えようとしております。
私自身は、震災当日は地元から離れており、直接の被害は免れました。
これからは震災を知らない・覚えていない世代が増えて参ります。

沿岸部に住む以外の方、未災地に住む方も、
自分事に置き換えて考えて頂けたらと存じます。

2月24日・25日と行われた
「第2回東北被災地語り部フォーラム2019」
2日目のエクスカーションをご紹介致します。

エクスカーションとは・・・
エクスカーションは従来の見学会や説明を受けるタイプの視察とは異なり、訪れた場所で案内人の解説に耳を傾けながら参加者も意見を交わし、地域の自然や歴史、文化など、さまざまな学術的内容で専門家の解説を聞くと共に、参加者も現地での体験や議論を行い社会資本に対する理解を深めていく「体験型の見学会」です。

今回は①気仙沼コース ②石巻・大川小学校コース をご用意しました。

気仙沼コースは、気仙沼コンベンション協会の宝田様、橋本様にご案内頂きました。
まず、気仙沼向洋高校旧校舎を訪れます。

気仙沼向洋高校旧校舎は、3月10日より、
「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」として公開されます。
【詳しくはこちらをご覧くださいませ】

そして、㈱阿部長商店の創業者である阿部会長の元自宅を見学しました。
震災当日は約20名が大津波から命を守ることが出来たこの階段は、
「命のらせん階段」と名づけられました。

どちらも震災の脅威や日ごろの備えを伝える大事な遺構です。
復旧・復興を進める中でも、震災を物語る遺構は後世に伝えるためには不可欠です。

一方の石巻・大川小学校のコースでは。


三陸観光コンシェルジェの阿部さんがアテンドし、
道中は前日のパネルディスカッションや分科会の内容も絡めながらのご案内をして頂きました。

大川小学校では、小さな命の意味を考える会佐藤和隆さんにご案内頂きました。

大川小学校は、多くの方が犠牲となってしまった場所です。
佐藤さんも、大事なお子さんをなくしておりますが、
このような悲劇を繰り返さぬよう、伝える活動をしておられます。
皆さん、真摯に耳を傾け、そして質問も多く飛び交いました。

地震や災害は、将来必ず起こること。
その被害をいかに最小限にできるか、多くのものを失わずに済むか。
悲しい思いをする人を一人でも少なくしたい。
私たちの思いを後世に伝えたい。それだけなんです。

いざというとき、どうするか。
それぞれのご家庭で話すきっかけとなれば、幸いです。


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第2回東北被災地語り部フォーラム 第3分科会~「KATARIBE」を世界へ~

皆さん、こんにちは!カナです(・∞・*)
2月も今日を含めてあと2日。
寒さもまた戻ってきたような感じですね..
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さて、一昨日の2月24日・25日に開催された、
「第2回東北被災地 語り部フォーラム」
第1回の開催は2年前の2017年の1月。
それから月日が経過し、だいぶ町も復興へ歩みを進めて参りました。
開始日当日は約400名の方にご参加いただきました。

2011年3月11日「東日本大震災」
東北で起きた未曾有の大震災。
沿岸部は大きな被害を受け、
今もなお、復興途中にあります。

そして、今年の3月で8年をの月日が経過しますが、
8年の歳月が経過する間にも、様々な震災がありました。

2016年4月には熊本地震が発生、
そして、昨年2018年の9月、北海道胆振東部地震発生。
名前がつかなくても、M5以上の地震が何度も起きています。
下記は起きてはいませんが、
報道などでも取り上げられている「南海トラフ地震」
日本海溝側で30年以内に90%の確率でまた、大地震が来る…など、
「沿岸部」・「山間部」・「都心」場所は変わろうとも、
被害が起きるのは間違いありません。

だからこそ、起きた災害を「無かった事」にするのではなく、
現場に居た自分が、周りがそれぞれ伝えられるようにならないといけません。

今日のブログは、私も撮影を兼ねて参加致しました、
【第3部】 分科会③「KATARIBE」(語り部)を世界へ」
について、ご紹介します。

コーディネーターは、東京都・東芝国際交流財団
司会・進行を行って頂きました。  白井 純 様です。

この分科会では、日本の中からではなく、
世界から日本の様々な災害を見たとき、どのように伝えて行けば良いのか、
風化させないためにはどのように世界へ発信していけばよいのか、などを
パネラーの方からお話を聞く事ができました。

私が一番難しい問題だと思ったのは、「言語が変わる外国でどう伝えるか」
様々な言語がある世界で、伝えたいことをうまく全て伝えられない事。
そして、地震や津波を経験した事のない国へはどう伝えるか。

伝える事のむずかしさは、国内だけの問題ではないと感じました。
日本語でもうまく伝えられているか分からなくなってしまう事もあるのに、
外国へ、しかも実際に体験した事の無い人々へ伝えるには…

お話の中では、日本の学生さんがフランスの中学校にて
防災の呼びかけを行った時の事。

フランスは地震がほとんど起きない場所に位置しているため、
「津波や地震ってどんなものなの?」「私達は何に備えればいいの?」など、
質問があったそうです。
その時は「写真」で伝えていたため、映像が無かったことで想像が難しかったのでは、と
振り返りつつ、
「ここでは起きない」「自分には関係ない」のような【他人事(ひとごと)】と感じているから
なのではないかと思ったそうです。

日本では「地震」「津波」などが主ですがその他にもたくさんの災害があります。
もし、自分が知らない土地で出会った事のない災害に遭遇したら..?
自分の安全は自分しか守れません。
その為、「他人事」と思わず「自分事」として捉える事が大事と言う事、
今はもう地球温暖化が進み、今まで起こらなかった災害も世界各地で起きているため、
世界の災害に目を向ければ、世界の命が救われるのではないか。とのお話でした。

他にも、台湾から当館でもインターンシップで研修を行った事のある学生さんも
パネラーとして参加し、
「台湾では日本のように「語り部」が居ない、伝える事ができない」現状や、

イタリア・富山大学都市デザイン学部特命助教の
フラヴィア・フルコ様には、

「復興するにつれて変わっていく町の事をどう伝えていくのか」
→全ての復興が終わってしまえば、もうそれでは「語り部も終わり」で良いのか、
今までどおり伝えていくのか、今後の課題となっていくと思う。との事、

「震災の体験が無い人が多くなると、どうなってしまうのか」
→「皆が語り部」と言っても、経験をした人が居なくなり、
経験していない人が多くなってきたら、どう対応すればよいのか。
「みんなが語り部」になるには、どのように伝えて行けば、
確実なものになるのか。

「外国人の対応ができる語り部は必要か」
→今、「語り部」として活動しているほとんどの人が若年層ではない事、
その為、今から英語を学び英語で語り部を行ってほしい。とお願いするより、
日本語でそのまま震災について語っていただき、
それを外国の方に通訳で伝えれば良いのか、はまだ決定できない課題とのこと。

「語り部は何を語るか、なぜ語るのか」
→もちろん、「伝承」のため、が一番大きなものとなります。
しかしなぜそんなに必要なのか。
それは、もう既に起きている事をその場所だけにとどめてしまえば、
また同じようなことが他の場所で起きたとき、防ぐことができなくなってしまから、
「防災」の意味もあります。
「防火訓練」だってどこかで火事が起きたから、同じことが起きない様にやります。
語り部も同じくして、「自然災害」は防ぐことが難しい。
そのため、少しでも知恵があれば逃げる場所なども分かる事ができる。

だから「語る」「伝える」必要があるのだと聞いていた私自身も思いました。

今回の「分科会③」では日本だけでない外国から見る日本の事も学ぶことができ、
有意義な時間でした。分科会が終わった後も
参加者様の質疑応答が続き、それぞれの意見交換ができたかと思います。
「日本」だけではなく、この出来事を「世界」へ。
「KATARIBE」の言葉が世界共通語になる事を祈っています。

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【語り部フォーラム】はこれだけではありません。
その他の分科会などについては、連続となりますが掲載を行います。
今年、参加できなかった方もぜひご覧頂ければ幸いです。
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゚*。☆ いいね! フォロー お待ちしてます♪ ☆。*゚
あああ

宜しくお願い致します
\(^o^)/

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第2回語り部フォーラム

1週間ぶりのご無沙汰です、Bluebirder*Sです。

 

24日、南三陸ホテル観洋では、

第2回東北被災地語り部フォーラムが開かれました。

メインテーマは「みんなが語り部」。

Bluebirderは、MCを担当しました。

北は北海道から南は熊本まで、一般の参加者も含めて実に400人が出席。

 

メインパネルディスカッションでは、元ホテルリッツカールトン日本支社長で

人とホスピタリティ研究所代表 高野 登さんをコーディネーター、

民族研究家の結城 登美雄さんをコメンテーターに

4人のパネラーが語り部について、考察を深めました。

この中で、北と南の路線が繋がり

来月には 晴れてリアス線が誕生する三陸鉄道の二橋(にはし)守さんからは、

被災当時、地元が真っ先に望んだのは 陸路ではなく鉄道の復活だったこと。

「すぐに復活できるところから運行を始める」という逸早い社長の決断が、

被災当日から、何と5日後に運行が再開されたこと。

鉄路を後世に残し、3.11の教訓を残そうという確固たる意思が

三陸鉄道の存続に繋がったことが紹介されました。

その後 三陸鉄道では次世代を担う子どもたちに教訓を伝えることを目的に

「震災学習列車」をスタート。

特に修学旅行の児童生徒の利用が増えています。

 

二橋さんは、最後のコメントでは はにかみながら、

ただ まじめな列車は「震災学習列車」だけで、

ほかはドキドキワクワクする鉄道にして行きたい、と締めくくりました。

岩手第三セクター三陸鉄道のこの考え方は、

復興に向かう被災地のどこでも望まれることではないでしょうか。

南三陸町とホテル観洋の今後にもそのままを重ねれば、

語り部バスは、震災の記憶を風化させず

防災・減災につなぐという使命を果たす一方で、

町を訪れ、観洋を訪れる人が、ドキドキワクワクする町に、

宿にしていくことを念頭に進むことが大切なのだということを、

二橋さんは教えて下さった そんな気がします。

二橋さん、ありがとうこざいます!

観洋でも 三鉄に負けず

お客さまの「来てよかった」「ドキドキワクワク」を

どんどん創らなきゃ、です。

 

また、南三陸みなさん会の後藤一磨さんは、

豊かな藻場としてラムサール条約の登録を受けた志津川湾は、

実は3.11の津波が海底を洗ったことで、湾内の環境が50年若返った。

ただその一方で、鮭が不漁で 名産のタコが小ぶりになってしまっているのは

分水嶺の流れを防潮堤が遮り、コンクリートの成分が溶け出していることが

原因ではなかろうかと 懸念しています。

震災前は、スキューバダイビングも盛んだったという志津川湾。

もし、これが懸念ではなく、明らかな悪影響なのであれば、

海のドキドキワクワクの一部が失われてしまうことになりかねません。

自然という「語り部」にも 耳を傾け、注意を払っていく必要性も

大いにあるようです。

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