こんにちは、むっちゃんです。
3月1日(日)、2日(月)の2日間
第11回全国被災地語り部シンポジウムが開催されました。
メインディスカッションでは
「これまでの15年、これからの15年」をテーマに
風化が懸念される中で、今後どう語り継いでいくべきか等が話し合われました。
【これまでの15年について(現状、成果、課題)】

釘子 明 氏(陸前高田語り部くぎこ屋代表)
現状
・最初は順調に進んでいたがコロナによって語り部が減り、その後も減少傾向である
成果
・語り部をした人たちが育ち、つながりが出来た
課題
・自分が年齢を重ねて今後どうすればよいか心配

佐藤 敏郎 氏((一社)スマートサプライビジョン理事)
現状
・コロナの時期は大変だったがオンラインを活用して一度に何千名に伝えることが出来た
・宮城県の新任の校長先生が毎年100名ほど研修で大川小学校が訪れる場所になった
成果
・大川小学校を震災遺構として残すことが出来たこと
課題
・遺構の維持管理と伝承を続けること

青木 淑子 氏(富岡町3.11を語る会代表)
現状
・福島は複合災害であり、現在も復旧復興が終わっていないこと
成果
・原子力災害伝承施設が出来たことにより学生も含めて原子力を学ぶ人が増えてきたこと
・語らなくては分からないので福島県で県内の語り部のネットワークを構築
課題
・わかりにくいのが原子力災害
・語り部を育てること
・県の補助はあるが自走することが必要であること
【これからの15年について】
学校ではカリキュラムが決まっているので
防災学習の時間を確保するのは難しいが
総合学習の時間を有効活用することは出来る。
問題は何をどのようにすればよいのかわからない先生が多いことである。
避難所運営では水、トイレ問題がある。
これだけ甚大な災害が起こる日本で
未だにこのような問題が解決されないのはいかがなものかを国が考えるべきである。
語り部は1回聞いたから終わりではなく
東日本大震災から15年経った今だからこそ聞いて欲しいこともある。
年数と共に話すこと、伝えることは変わった。
これこそが語り継ぐことである。

山内 宏泰 氏(リアス・アーク美術館館長・学芸員)
時代や世代、国や地域が変わったとしても
震災は他人事ではなく自分事として認識させることができる
語り、物語、ストーリーが必要である。
また昔話、過去の話ではなく、未来の話として認識してもらうための語りも必要である。
不特定多数の人間の心を動かすことができるような
普遍的な内容がそろそろ必要ではないかと考える。
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続いては分科会②
「語り部からKATARIBEへ」~災害時に問われる多様性の理解~
パネリストの経験から基づく様々な発言があり
テーマについて深く考えさせられる貴重な時間となりました。

リチャード・ハルバーシュタット 氏(石巻市震災遺構門脇小学校館長)
私たちの記憶を紡ぐ、未来のいのちへつなぐ(施設のコンセプト)
石巻専修大学で被災、イギリス大使館から原発の事で帰国すべきと連絡があったが
第二の故郷である石巻に残った。
大学は自主退職してフリーターになったが
石巻市から声がかかり仮設の伝承館で仕事を始めた。
(石巻市復興まちづくり情報交流館 中央館)
その後2022年4月3日石巻市震災遺構門脇小学校がオープンして館長を拝命した。
震災遺構門脇小学校は唯一津波と火災が発生した遺構であり
海外のお客様も多くお越しになる。その際に英語で案内している。
施設としては次の災害に向けて記憶を語る。
そして伝承を通じて命を守ることをコンセプトにしている。

大城 ロクサナ 氏(ひょうごラテンコミュニティー代表)
誰一人取り残されない防災を 自分のわかる言葉での情報支援(自助)
1991年日本に来日し、その後1995年阪神・淡路大震災で被災した。
ペルーでは避難訓練したことがなかったし
日本語がほとんど分からず震災の時は大変だった。
この経験があったので日本語が分からない人のために
2000年からひょうごラテンコミュニティーとエフエムわいわいで活動を始めた。
2011年の東日本大震災では原発の問題で日本語が分からない人がパニックになった。
それでコミュニティとして災害に対して準備をしてないことに気づいた。
その後コミュニティでは自助と人のつながりの重要性を大切にして
このつながりは母国ペルーまで広がりBOSAIがペルーでも始まった。
これからはBOSAIを文化にして日本から世界へ発信していきたい。

周 智堯 氏(台湾静宜大学学生)
語り部をするにあたり最初に感じたのが
「津波てんでんこ」が「自己中心」と誤解される恐れがあり
中国語にうまく翻訳すること、伝えることが課題であった。
実際に案内をしてうまく伝わったが、その一方で語り部の難しさも知った。
大切なことは防災の概念と知識を日常に取り入れることであるが
台湾は災害の多い地域であるにもかかわらずその意識が低い。
また若い人の関心が低いので防災にもっと興味を持つようになって欲しいと感じている。

金 千秋 氏(エフエムわいわい代表理事)
1995年の阪神・淡路がきっかけで発足したのがエフエムわいわいである。
在日コリアンを助ける為、そして当時は外国の方は日本人と
平等な権利があるかの微妙な時代であった。
そのような方々を救うためにラジオなど様々な媒体を利用した。
そもそも防災、語り部という言葉は海外では単語として存在しない。
これは日本独自の文化であるから世界へもっと発信する必要がある。

北村 美和子 氏(東北大学スタートアップ事業化センター特任准教授)
外国人も災害から救うには日頃から助け合っていくコミュニティが大切である。
一般的に語り部を翻訳するとstorytellerと訳されるがあまり良くない。
なぜならstoryはフィクションの意味合いが強いからである。
震災語り部はノンフィクションなので語り部はKATARIBEで良いが
しっかりと説明する必要がある。TSUNAMI、BOSAIも同様である。
単語ではなくまずは防災とは、津波とは、語り部とは。
まずはこの言葉の意味をしっかりと理解してもらい
意識してもらうことから始めるべきである。
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第11回全国被災地語り部シンポジウムにご参加いただいた皆さま
誠にありがとうございました。
東日本大震災や過去の災害を風化させないため
いつか来る未曾有の災害に備えるため
これから先も防災、減災、伝承活動に取り組んで参ります。
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2011年3月11日に発生した東日本大震災。
当時、被災地で何が起こり、どのような教訓が残されたのかを、
実際に被災地を巡りながら語り部が伝えます。
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