マリンパル福興だより パート4  ~阪神淡路大震災から20年に寄せて 神戸訪問記~

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1月17日、18日の一泊二日、南三陸ホテル観洋マリンパル主任小野寺ひとみ先生とわたくし、南三陸ホテル観洋託児所マリンパル保育士三浦美香の両名は、阪神淡路大震災から20年を迎えた兵庫県神戸市で行われた「ヒューマンノートwith中西圭三 阪神淡路大震災20年祈念コンサート」に飛び入り参加させていただきました。


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ヒューマンノートさんは、震災以来、ずっと南三陸町各地の避難所を回り、「歌の力でみんなを励まそう!」を合言葉に遠く関西からもう何度も何度もお越し下さっています。月に一回行われている復興市にも登場しているので町民の皆様には、ご存知の方もたくさんいらっしゃると思います。そのヒューマンノートさんのお声掛けで、新生ホームサービス様のご支援を頂き、今回、大きな震災から立ち上がって頑張ってきた神戸の地で神戸の皆さんとご一緒する機会を与えて頂きました。


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南三陸町からは、コーラスサークル「チーム潮騒」の皆様と、元南三陸ホテル観洋ネット販売課の渡邊陽介くんのご家族(震災後、ヒューマンノートの皆さんには、陽介君の「もう一度結婚式」の時に素敵な歌のお祝いをして頂きました)そして、私たち二人を合わせ、19名が参加させていただきました。


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ヒューマンノートさんは、500名を超えるゴスペルチーム。その皆さんが一堂に会してのコンサートとあって、のっけからすごい迫力でしたが、リハーサルの時、皆さんが、温かく私たちを拍手で迎えてくださったので、思わずみんな涙ぐんでしまいました。


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会場前では、うちのホテルを含めた南三陸町内の物産展も開催され、たくさんのボランティアさんたちが南三陸町のアピールをしてくださいました。


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不安だった本番も指揮者の方のすばらしい笑顔のリードのおかげで、みんなと一緒に笑顔で「みんなともだち」と神戸復興のテーマソング「しあわせ運べるように」を歌うことができました。


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会場を埋め尽くしたたくさんのお客様の中には、わざわざこの日のために横浜から駆けつけてくださったマリンパル応援団の佐藤直子ママと安男パパご夫妻の姿も見えます。神戸市教育委員会の山本さんも応援に駆け付けてくださいました。これまでの感謝の気持ちと震災の痛みを分かり合える神戸の皆様のご声援が胸に響き、今にも泣きそうなひとみ先生とわたしでしたが、なんとか気持ちを奮い立たせ、歌ってきました。

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1995年1月17日AM5:46震度7の激震が阪神淡路地方を襲いました。死者行方不明者6437名(内未だ行方不明者は3名)、犠牲者のほとんどが建物倒壊による圧死でした。
12月に神戸市にあるP&Gさんで行われた防災イベントに参加させていただいた時に感じた「都市の復活と輝かしい復興の奇蹟」に対する羨望のまなざしは、今回、2回目の訪問にあたり、少し変わりました。


新長田の神戸飯店代表取締役林攸樹様に、震災から20年の貴重なお話を伺う機会を設けて頂き、わたしたちは、みんなで林様のお話を拝聴したのですが、最初は、「大都市の神戸とちっぽけな南三陸町を比較できないなあ・・・」という思いを否めず「頑張ったからといって、なんとかなるものではないよね・・・」などと会場の中から諦めにも似た声が上がっていました。事実、震災から5年目には、建物の再建が成され、今の神戸市の概要が見え始めていたというのです。ところが、こちらときたら、復興まっただ中とはいえ、見渡す限りの盛土と崩される山々に復興のその先を垣間見ることさえままならない状態です。


しかし林様は、そんな「見た目には大きく変わった神戸市だけど、まだまだ復興途上で大きな悩みを抱えています」と話されました。


NHKの特集で知ったことですが、神戸市の人口流出は顕著で、震災前に住宅ローンを組んでいた人が、更に自力で自宅再建を余儀なくされ、多重債務に苦しんでいる事実や避難所解体後仮設住宅希望者6万人に対し実際には、仮設住宅が2000戸しか建設できず、入居者はすべて高齢者や障害者のような生活弱者と呼ばれる人たちだったので、孤独死が相次ぎ、その後に建設された復興住宅でも生活弱者優先入居だったがために20年経った今でも、NPOの見回りが行われているそうなのです。


東日本大震災を経験した私たちは、こうした神戸市の苦い体験を改善することを前提として様々な法制度が整いました。多重ローンを抱えないための法整備、孤独死にならないように見回りの強化、高齢者のみを入居させることなく異世代入居による相互援助を期待した仮設住宅の入居。そして、これから始まる町づくりは、きっと、震災前の情緒を損なわず人が楽に行き交い、声を掛けあい、助け合える商店街の活性化と観光の復活にポイントが絞られてくるでしょう。なぜなら阪神淡路大震災では、復興の段階で町の商店街を含む中小企業の再建が後手に回り、支援制度がなかったので商店街の復活が遅れ、せっかく再建を果たしても多重ローンに追われ仕方なく閉店した店舗が数多くあるからです。現に、林さんの経営する神戸飯店の入っている新長田のビルの中にも空き店舗が目立っていました。


「大都市神戸とちっぽけな南三陸町を比較できない」と思っていましたが、こうした神戸市の話を伺うと、これまで20年間頑張ってきた神戸市の姿に改めて敬意を称し、頭が下がります。


林様に最後に「復興途上の私たちに、なにか目標になれるような、これだけは、大事だよというような、言葉を頂戴できませんか?」とお伺いしたところ、林様は、しばらく逡巡した後で、

「「みんな、仲良く」ということでしょうか。震災は、人の気持ちさえも大きく変えてしまいます。同じ傷を持つ仲間なのだから、気持ちを分かり合えるはず。お互い仲良くしていれば必ずよい方に向かいます。わだかまりは、あるでしょう。些細なことで人の本性も見えるでしょう。でも、それでも仲良くさえしていれば必ずやよい方に向かう!それを忘れないことです」


と、お話してくださいました。

みんな、なかよく


・・・簡単なようで実は、とても重い言葉のように感じました。

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長くなりましたが、阪神淡路大震災の軌跡を私たちの街づくりにそのまま投影することは、難しいかもしれませんが、必ずやなんらかの道しるべになると私は、思いました。
ハード面での街づくりを行政が頑張っているのだから、私たち町民もまたここで生きる一人としてソフト面の街づくりを推進していくつもりです。


ヒューマンノートの皆様、新生ホームサービスの皆様、神戸市の皆様、横浜から駆けつけて頂いた佐藤様ご夫妻、お世話になりました<(_ _)>

どうぞ、これからも、たくさんの皆様の応援をよろしくお願い申し上げます<(_ _)>

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました<(_ _)>

南三陸ホテル観洋託児所マリンパル保育士  三浦美香 拝

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このページは、総務課が2015年1月23日 17:52に書いたブログ記事です。

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