仙台藩養蚕の祖

一週間ぶりのご無沙汰です、Bluebirder*Sです。

北海道の震度7・・・ 午前3時ごろの大地震でしたね。

南三陸町でも速報の1分後に感じられた揺れには驚かされました。

被災されました皆さま方には 心より深くお見舞い申し上げますとともに

一日も早い再建をお祈り申し上げます。

さて、南三陸町の入谷地区は、

かつて仙台藩養蚕発祥の地として絹の生産で栄え繁栄しました。

南三陸町でもその昔は農家の大切な副業だったんです。

その始祖となったのが、この人

山内甚之丞(やまうちじんのじょう) です。

雨上がりの南三陸町入谷地区で、

その山内甚之丞の偉業を偲ぶ 公園を見つけました。

その名は、弥生公園。

「昇仙の杜 弥生公園」 と記されていますね。

入谷は、もともと金の産地。これも 知る人ぞ知る南三陸の歴史のひとつです。

その産金が底を尽いた享保年間、

若くして福島に赴き養蚕と製糸の技術を習得して仙台藩全域に伝授したのが

山内甚之丞で 「養蚕の始祖」と仰がれました。

こちらは、昇仙橋。

この橋は、山内甚之丞が数々の功績を認められ仙台藩より名字帯刀を許されて

仙台に行くことになった時 渡った橋と言い伝えられています。

甚之丞は大肝入として地域の生産を増やして産業を盛んにし、

飢きんに見舞われた人たちを救い民を助け、道路を造り寺社を改築、

地域の住民から熱く敬われ神様として奉られた人。

その功績により班の大番士に取り立てられ、仙台へ登った・・・、ということなのです。

以来 甚兵衛をはじめ子孫は代々藩士として生糸吟味役に任じられ、

ついに銘柄「金華山」を生産、

京都西陣はおろか幕末には米国にまで輸出し外貨の獲得に貢献しました。

維新後は旭製糸会社に受け継がれ

パリ万博にはグランプリを獲得し志津川の名声を高めたとのこと。

山内甚之丞・甚兵衛父子の墓所がある弥生公園は町指定の史跡です。

そんな史跡のある入谷桜沢は、雨上がり。

カタツムリも姿を見せた公園内には

アジサイやサルスベリが咲き残っていました。

一方で、ススキの穂に 栗の実

秋の風情が漂い始めた入谷の里。

そんな入谷を伊達藩養蚕業の一大産地として発展させた 山内甚之丞。

その後 山内家が数世紀に亘って地域の住民の生業を確立した功績は

弥生公園 昇仙の杜が伝えています。

 

コメントを残す on 仙台藩養蚕の祖