マリンパル福興だより  パート5  3月その2

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いらっしゃいませ(*^^*)
マリンパル 小野寺です。

あの日と同じ金曜日の3月11日・・・。

東日本大震災から5年が経ちました。

この5年間、被災地にたくさんの方々がかかわって下さり、マリンパルも本当に多くの方々のご支援と支えをいただきました。
震災後の4月、保育を再開したものの被災した家庭がほとんどで、持たせる着替えや水もなく、ミルク、食料も手に入らないという中、自衛隊の方々を始め、全国の方々が手を差し述べてくださいました。たくさんの方々に見守っていただき、子どもたちは毎日元気いっぱいにすくすく大きくなり、それが保護者の方々や私たち保育者の大きな励みになりました。
おかげでまた今年も8名の子どもたちがマリンパルを旅立とうとしています。たくさんの愛情を受け大きくなれたことに感謝し、誰かが大変な時に手を差し伸べられる人になってほしいと思います。


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南三陸町は今も200名以上の方が行方不明となっています・・・。私の友人だった看護師もいまだ行方不明です。先日の特集で公立志津川病院が津波に飲まれるシーンが放送されていたのをみて友人もここで波にのまれてしまったのかと悔しくて、悲しくて・・・。涙が止まりませんでした。現在も月命日に行方不明者の捜索活動が行われていますが、少しでも多くの方の身元が判明し、一日でも早く家族のもとに帰れる日が来ますようにと、願わずにはいられません。


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当時の記憶をたどろうとすると、心臓がどきどきし始め動悸が激しくなります。振り返らないことで、自分を保てている気がします。我が家の娘たち2人も対照的な反応で、長女は当時中学校で避難生活をしていたすべてを話すことで、自分の中で消化し前に進めるタイプ・・・。次女の口からはいまだに一切語られることはありません。私が娘たちに会いに行くまでの4日間・・・。それほどの恐怖と不安と向き合って過ごしたのだと思います。
この春、娘たちはそれぞれ高校、専門学校を卒業し、新たな道へ進みます。5年の月日は長いと感じるものの、いまだに我が家は、「見なし仮設」で生活が続いています。せめて娘たちは新しい家から送りだしてあげたかったな・・・と、寂しく、残念な気持ちになります。自宅再建まではまだもう少し時間が必要ですが、新しい我が家を夢見て負けずに頑張りたいと思います。


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今日は亡き友、親せき、笑顔で挨拶を交わした町の方々、飼っていたペット、故郷に思いを寄せて静かに祈りを捧げ過ごします。

津波なんて来なければ・・・と何度思ったことでしょう。もう二度どあの災害と悲しみが繰り返されませんように・・・。


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このページは、総務課が2016年3月11日 09:50に書いたブログ記事です。

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