先日、
やっとスタッフ伊藤さんの語り部バスに乗ることができました。
いつか乗ろうと思いながら、
逃してしまってましたが、ようやく聞くことが出来ました。
自分も地元出身なので、分かってはいるつもりでも、
そこでどんなことがあったのか、そこでは何があったのか、
改めて再確認しました。
病院や防災庁舎、デイサービスなど、各場所での出来事を
聞いて回りました。
そこで、今日は少しだけ語り部の様子をお届けします。
町内はほとんど建築物の解体工事が進み、
ほとんど建物が残ってない状態です。
また、町内全体が約1m以上も地盤沈下しているため、
沿岸に行けば行くほど、冠水しています。
また、雨や大潮・満潮時などは、
川が増水し、町中の道路を冠水し、通行止めになることもしばしば...。
ホテルから国道45号線を町に向かって行くと、
まず、さら地が見えます。そこには以前は、左手に警察署
右には公立志津川病院がありました。
病院は、4階建ての建物で、当時は建物すべて飲み込むほどの
津波が襲いました。
入院患者、看護師さん合わせて約70名の方々が犠牲になりました。
また、屋上へ逃げ切り、助かった人達も寒さに耐え切れず、
亡くなった方もいました。
みなさんもご存知のこちら、防災庁舎です。
ここは報道などでも取り上げられてました。
最後まで「避難してください」と放送し続けた女性や、
女性を助けようと一緒に放送室にいた男性はじめ、
防災庁舎では約40名が犠牲になりました。
次に少し山側の小高いところにある、デイサービスセンターへと向かいました。
ここでは、寝たきりの方や老人の方々がいました。
当時、約70人の入居者がいました。その内の28人が救助されました。
救助とは、ちょうどデイサービスの上に高校があり、その日部活動していた
野球部員とバスケット部員が背負って高校まで駆け上がったのです。
私が参加した語り部では、この後にベイサイドアリーナ(当時、避難所本部)に向かい、仮設の病院や役場などを見て回りました。
今回、語り部にしばらくぶりに参加してみて、
すごく悲しくなったのが本心です。
当時から1年半以上が経ち、少しは落ち着いてきたと思っていましたが、
改めて町の現状を見て、片付いてはいるものの、
これからの町の方針や未来設計がまだまだ着手できてません。
課題が山積みなのはここだけではありません。
福島や岩手もまだまだこれからです。
各被災地にみあった方針・対策や必要です。
そして、現実的な計画を期待しながら、毎日を過ごしています。
来年はもっと明るく楽しい1年になることを願います。
さて、話は変わりますが、明日21時から館内クラブにおいて、
出会わNight!!クリスマスパーティーがあります。
まだまだ、受け付けておりますので、ぜひお問い合わせください!!
はじめまして。今年の10月に観洋さんに泊めていただき語り部ツアーに参加させてもらった富山の「おやかた」です。
UPされている写真を見ると、今でも語り部ツアーで見せていただいた津波の爪あとの姿を鮮明に思い出します。
大船渡・陸前高田・気仙沼・南三陸・松島と移動したのですが、TVで報道されているのとは違い、この目で見てやっと地震・津波の恐ろしさを体感できました。
本当はもっと早く伺いたかったのですが仕事の都合と移動距離の関係でなかなか実現させれませんでした。
また東北の方に行ける機会ができましたら利用させてもらおうと思います。m(_ _)m