THE・敬老会

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台風が近付いて天気が悪いですねぇ。
そんな中、26日から3日間、南三陸町老人会が行われました。
77歳の喜寿お祝いを兼ねたお食事会を、毎年町内で行っていたんですが、今年は当館で行われました。
南三陸町は大きく4つの地区に分かれています。志津川地区は敬老者1100名・歌津地区は744名・戸倉地区は328名・入谷地区は339名と、たくさんの中で敬老会の出席者はおおよそ7割ほどの方々が来ました。
お食事をしながら、再会の喜びを分かち合ったり、町内の演芸を楽しんだりしました。
その内容を前回同様、写真を通しながらお伝えしたいと思います。
今日は、前半「開会~祝辞」をお送りします。

まずは、開演の様子
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ぞくぞくと会場へ入るみなさん。仲良く手を繋いでる方もいらっしゃいました。
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開会時刻まで、ご友人との会談を楽しむ様子。
久々の再会でしょうか...。

そのころ、当館予約課長主藤さんは・・・。
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・・・会場の様子を伺いながら、指示を促す姿・・・

そして、町長さんより開会の挨拶
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我が町長様でございますっ!!
記念品贈呈はいつもお世話になっている工藤神主さんが授与していました。
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何をいただいたか秘密で・・・
きっと長生きするコツを教えていただいたのかも...。ぜひ、知りたい...。

そして、祝辞は南三陸町議会議長・後藤清喜さんからありがたいお言葉いただきました。
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この後に、祝電祝辞披露がありましたが、割愛させていただきます。
前半戦はこのようなプログラムで、THE・式典という感じでした。

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東日本大災害未曾有の災害私も昭和8年母親に手を引かれ裏山に避難した事を思い出します。現在は埼玉に住んでいますが2度目は昭和35年のチリ津波で丁度長女の出産で母親は埼玉に来ていた時志津川と通信網が絶たれ連絡が取れず日々悶々とした日を送っていた母の姿が今でも目に浮かびます。その時も家は新井田の神社前まで流されました、父親は無事だった事は後で知り何よりでした。今度の大災害は家は勿論のこと妹と甥2人が不帰の旅に出て早1年半昨年と今年も秋の彼岸に南三陸、気線沼、大島と墓参りに行きましたが多くのボランティアの人たちが瓦礫の整理に汗を流しておましたが頭の下がる思いです。今回は多くの避難小屋を訪問しましたが皆さん明るく生活つしている姿を見て此方のほうがかえって勇気を貰って来ました。佐藤町長始め町職員の方も郷里の復興に日々心を痛めていることでしょう、22年暮れ東京日暮里で南三陸会の時初めてお目にかかりましたが翌23年3月この様な災害が起きるとは本当うに予知の出来ない災害です、ご苦労さんですが南三陸町の町長又町職員の方郷土の復興に健康に留意して頑張ってください。

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このページは、総務課が2012年9月29日 20:36に書いたブログ記事です。

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